29、小満(その3)――収穫



 六人がかりなので仕事は早く、ほどなくして、刈り取った小麦の列が畑の横にずらりと並べられた。


「はい、やめー! みんな、お疲れさま!」


 ミズルがへにゃへにゃとへたり込み、そこにまだまだ元気なかわずがぴょんと近寄った。


「ボクはこういうの、向いてないんだって……」

「よくやったねえー、ミズル。えらい、えらい」

「馬鹿にすんな。もとはと言えば、あんたが勝手に手伝いを申し出るから――」

「はーい、次はこれを背負って川へ運びますよー」


 小満しょうまんの号令に、ミズルは無言で土に倒れ込んだ。


 麦が空中から藁の背負子しょいこを人数分取り出して配る。玄鳥至つばめきたるは麦の助けを借りて小麦を背負うと、藁が肩に食い込み、思わず「ぐう」と苦痛が漏れた。


「春の宮では、畑仕事はしない?」

「しないな……」

「たまにはいいでしょ、こういうのも」

「まあ、悪くはないが……重い」


 麦はパッと明るい笑い声を上げると、小麦色のおさげと豊かな乳を揺らし、背負子を手にキョロキョロしている雀を手伝いに向かった。


 最も大量の小麦を背負ったのは、小柄な小満であった。どこにそんな力を隠しているのか、彼女は自身の三倍の量を背負い、尚且つ足取り軽く皆を先導した。次いで麦が体の二倍の小麦を背負った。そんな二人とは裏腹に、誰よりも少量を担ぎながら文句を垂れたのはミズルであった。雀は声ひとつ出さなかったが、肩や背中が痛すぎて歯を食い縛ることに精一杯でそんな余裕はなかったのだと、後にぼやいた。



 川に着いて青々とした草の上に小麦を下ろし、皆の息も整わぬうちに小満が次の指示を出す。


「それを糸で縛って、一斉に川へ投げ入れます! べにちゃん、蚕ちゃん、糸の準備はいい?」


 紅と蚕が土手の上で日傘を差し、優雅にこちらを見下ろしている。二人そろって急ぐ様子もなくスルスルと土手を下り、紅が糸の束を小満に差し出す。


「わあ、良い色に染まったねえ」


 絹糸は紅色にキラキラときらめき、小麦の穂に合わせるととても馴染んだ。「きれーい!」蛙が娘らしく歓声を上げ、そこに雀も混じってひとしきり糸を褒めると、機嫌を良くした蚕がよく冷えた麦茶を振る舞ってくれた――何も言っていない玄鳥至とミズルもちゃっかりいただいた。


 小満と麦が穂をだいたい二十本でひと束にし、糸で括る。それを横に連ね、ひと束ひと束をまた糸で繋ぐ。気の遠くなるような作業に見えたが、二人の水際立った手の動きで作業をすべて終えると、岸にはまるで魔法のように黄金の絨毯ができあがっていた。


 小満は腰に手を当てて川の流れを確認すると、


「ちょっと速いね。ま、いいでしょう」


 と、いちばん端の二、三束をまとめて引っ掴み、川に向かってぽんぽん投げた。連なった小麦はまるで意思があるかのように、ひとりでに向こう岸へたどり着いていく。それを見て他の者も後に続き――紅と蚕は不参加だったが――川はあっという間に金色に染まった。


 束が水流に負けないよう糸の端を握り、小満はずんと足を踏ん張った。



「我は夏季が二十四節気、小満也! 我が望みしものを現せ! 《天地視書てんちししょ》!」



 パアッと小麦が発光し、じわじわと川の水に染み込まれていく。はじめはドロドロしていたが、それがいっさいの不純物を取り払い、手を伸ばせば触れられそうなほど鮮明な景色を映し出す。ネジバナに巻かれた花のひとつひとつ、青い紫陽花の葉を這うカタツムリのぬめり、鮎釣りをする男の顔の黒子やしわまではっきりと見える。


 雀がそのまま川にどぼんしそうなほど顔を近づけるので、玄鳥至は甚平の襟首を掴んで引き戻した。それでも雀の熱を帯びた瞳は天地視書にくぎ付けだった。


「なんか……すごく立体的じゃないですか? 解像度が高いっていうか……」


 余らせた糸を指に巻きつけながら、紅が答える。


「すべての天地視書の中でも、私たちがいちばん手間隙をかけるんだ。だから他とは比べものにならないほど鮮明に、詳細に地上の様子を知ることができる。私たちの願いが通りやすくなるのかね」

「小麦を育てて収穫することも、蚕を育てて糸を紡ぎ、紅花で染めることも、一朝一夕ではできないもの」


 蚕が紅の指に繋がる糸をいじりながら言葉を繋いだ。



 小満が号令をかけ、皆で天地視書を覗き込む。各々イメージした場所を映し出し、ようやく梅子の筆探しが始まった。

 雀もそれに倣ったが、「それにしても……」と、つい独り言がこぼれ出た。


「天地視書を開くのに、いちいち手間がかかりすぎやしないかなあ……」


 隣で川面を覗き込んでいた麦が、「まさかあ」と手をひらひらさせる。


「普段は納屋にストックがあるよ」

「え? じゃあ、今日は……?」

「せっかくだから体験したほうがいいって、小満さまが」

「ありがた迷惑!」


 そばを通ったミズルが忌々しそうに唾を飛ばし、離れた所にどっかりと腰を下ろして川を睨んだ。ミズルの不機嫌を察してか、その付近の天地視書がゆらゆらと景色を変えて、大量のミミズの姿を映し出す。たちまちミズルの頬がゆるんだので、雀と麦は目を見交わしてくすくす笑った。


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