27、小満(その1)――合掌造りの家で



 何の収穫もないままに一日目を終え、翌日、玄鳥至つばめきたると雀は再び夏の宮に参じ、迎えに出たミズルとかわずの案内で、二十四節気・小満しょうまんのもとへ向かっていた。


「なんでボクがあんたらの案内なんて……」

「まーまー、立夏りっかさまのお言いつけなんだからー」

「空々しい。あんたが自ら案内役を買って出たってことくらい知ってるんだよ」

「小満さまの所までなんて、どうってことない距離でしょー。それにわたしはうれしいなー、またすぐに雀くんと会えてさー」


 蛙に心からの笑みを向けられ、雀は目もとを染めてはにかみ笑いした。蛙は特別美人というわけではないが、面倒見の良いお姉さんといったふうで、明るく気遣い屋なところは雀の好むタイプだろう。

 ミズルが面白そうに雀に近寄る。


「へえ、君、うぶなの。一人でいることが好きなタイプ?」

「え、あの……」


 玄鳥至はにやにやとして、


「今日はするか? 俺と二人でおひとりさま飯」

「しないっつってんだろ! あんたには話しかけてないんだよ!」

「あ、あの!」


 雀がシュビッと手を挙げる。「今日は、タケくんは……?」


「あの子はお留守番。同行させても飽きるかー、もっと楽しいことを見つけてどこかへ行っちゃうかー、って感じだからねー。来てほしかったー?」


 蛙のからかいに雀はぶんぶん首を振り、蛙は自慢の外ハネ髪を揺らしてケロケロ笑った。


 小満の仕事場は、立夏の湖の向こうに見える峠道を越えてさらに行った先にある。一行は目と鼻の先の所までやって来ていた。

 土手に立ち、流れる汗を拭う。下にはエメラルド色の太い川が流れ、その上に架けられた木の吊り橋が風に揺れている。橋の先には合掌造りの屋根部分が見えた。


天地視書てんちししょはこの川ですか?」


 橋の上で雀が問うと、蛙はにこっとした。


「わかってきたねえー、雀くん」

「使い方は思うほど単純じゃないけどね」


 ミズルが含み笑いした。



 橋を渡りきり、合掌造りの中へと入る。今日もうだるような暑さだったが、一歩中へと踏み込めば、涼しさにすうっと汗がひいていった。土間より一段上がった所から奥は板張りで、手前に囲炉裏の間が見える。天井の太い梁がすすけて黒光りして、夏の宮なのに冬を感じた。


「ごめんくださいー。小満さま、蛙ですー」


 蛙がよく通る声で呼びかけると、頭上から声がかかった。


「おや、おいでだね。そこの階段から上がっておいで」


 土間のすぐ上、囲炉裏の部屋を見下ろす位置に火を見張る小部屋があって、小さな火見窓から化粧の濃い顔が覗いている。


べにちゃーん、ミズルとつばきと雀くんもいるんだけど、いいかなー?」

「見えてる、見えてる。いいから上がっておいで」


 履物を脱ぎ、四人は幅広の階段をのしのし上がって中二階に出た。

 部屋には三台の扇風機が競い合って首を振り、その中央で色とりどりの特大クッションに埋まるようにして、紅花栄べにばなさかう蚕起食桑かいこおきてくわをはむがだらけていた。


「ちょっと二人ともー、任期終了直後とはいえ、だらしないわよー。筆探しはどうしたのー? 小満さまとむぎちゃんはー?」

「外を見るだけで目が潰れそうだってのに、こんな日差しの下に出られると思っているのかい? 私はまだいいとして、かいこなんて肌が真っ赤になっちゃうんだから」

「髪も傷むわ……」


 蚕が絹糸を束にしたような自身の髪を、ハープを奏でるように梳く。紅はその頭を己の豊満な胸に引き寄せた。「おお、よしよし」


 この二人のぐうたらは今始まったことではないのだが、蛙が得意の間延び口調でだらだら説教し始めた。


 玄鳥至が雀の様子を確認すると、案の定耳まで真っ赤になってうつむいている。唇がかすかに動いているようだ。どうやら自分の足の指を無心に数えているらしい。無理もない。この二人は子どもにはちと刺激が強い。


 紅は胸もとを大きく広げた袖なしの着物に、暑いからという理由で紅色の髪をベリーショートにし、うなじがいっそう白く艶めかしく、濃いめに施した化粧も相まって、女の色香が漂っている。クレオパトラや楊貴妃もタジタジだろうし、小野小町はドン引き絶句で間違いない。


 一方蚕は花魁のように堂々と着物の肩口を広げ、前で結んだ帯の片方を長く垂らし、前身頃から覗かせたきめの細かい素足をわざと見え隠れさせて、妖艶、このひと言に尽きる。


 教育のためにも今すぐ立ち去るが吉と判断し、玄鳥至は蛙の念仏を遮った。


「紅、小満さまはどちらにおられる」


 馬耳東風モードの紅は多少人の耳に近づいたらしく、ついと視線を外へ流した。


「さあて。いつものように麦を連れてどこかへ出かけたようだけれど。あんたたちが来ることは知っているから、そう遠くへは行ってないと思うよ」

「スズメを捕っているのではないかしら」


 蚕がうっとりと赤い唇をゆがませた。


「今朝あたくしが、『スズメの丸焼きってどんな味がするのかしら』って言ったもの」

「そうか」


 玄鳥至が雀の肩を抱いてその場を去ろうとすると、外からきゃあきゃあはしゃぐ声が近づいて来た。

 紅はとことん怠そうに身を起こすと、窓から外へ向かって呼びかけた。


「小満さまぁ、もうつばきたち来ちゃってますよー」

「あら! ごめん、ごめん。麦ちゃん、急ごう」


 ばたばたと慌ただしい物音とかしましい笑い声が階段を上ってきて、麦わら帽子がふたつ、モグラ叩きのようにひょっこり現れる。


「あたしったら、小麦畑のスズメを追いかけるのに夢中になっちゃって。ごめんねえ、つばき、雀くん。待たせたねえ。蛙ちゃんもミズルも、案内ありがとうね!」


 小満は小柄な体でぽんと上りきると、麦わら帽子を後ろにはね除けて雀の手を取った。


「昨日のお昼ぶりだね、雀くん。お手伝いありがとう! あたしが小満【しょうまん】です。五月二十一日から六月五日頃までを受け持ってます。初候は蚕ちゃん、蚕起食桑【かいこおきてくわをはむ】。次候は紅ちゃん、紅花栄【べにばなさかう】。末候は麦ちゃん、麦秋至【むぎのときいたる】です! 蚕が桑を食んで大きくなれば絹産業が盛んになり、紅花が咲けばそれで織物を染められて、麦が収穫の時を迎えれば食に困らない。いいことずくめの節気です!」


 婀娜あだっぽい紅と蚕と違い、麦は健全で血色がいい。絣の着物にモンペと肌の露出がほとんどなく、火照ってそばかすがより目立つ顔を麦わら帽子でパタパタ扇いで微笑んでいる。小満のほうはといえば、たすき掛けした着物の上にサロペットを穿いて、こちらもまったく色気がない。雀は麦と小満に目線を固定した。


「さてさて」


 小満はぐるりと一同を見回して、


「天地視書に参りましょうかね」


 即座に異を唱える声がふたつ上がった。


「小満さまぁ、まさかそれ、私たちもじゃありませんよね?」

「あたくし、脱水症状を起こしちまいますわ。紅もうなじがこんがり焼けて、きっと痛くて眠れなくなります」

「うーん、それなら二人はかわりに何をしてくれるの?」

「もちろん、カイコの世話を」


 紅が天井を見上げた。


「私たちの天地視書には絹糸が欠かせませんからね」


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