9、春分(その3)――生まれ変わり?



 ようやく布の道に終わりが見えた。黒い板張りの廊下の左右は御簾が幾重にも垂らされて、いかにも平安時代の寝殿造りというふうだ。


 出入口の前まで進むと、中に声をかけるより早くガバッと御簾が持ち上げられて、かわりに雲を衝くような大男が行く手を塞いだ。


「おっと!」


 と、大男は桜を見、その隣で固まった雀に目を留めて、


「すまん、驚かせたか」

はつさんたら、ちょうどいいところに出てきたねえ」


 発――雷乃発声かみなりすなわちこえをはっすは桜にニイっと鋭い歯を見せ、腹から野太い声を響かせた。


「おう、おかえり。つばきもよう来たな。そいで――おまえさんもな」


 発が遠慮会釈もなくひげ面を雀に寄せると、雀は怯えた瞳で玄鳥至つばめきたるに助けを求めた。発とは身長差が優に三十センチはあるし、初対面のおっさんがこれだけパーソナルスペースを詰めてくればそれは怖いだろう。――見ていて面白くはあったが、後で春から小言をちょうだいするのも面倒だ。


「発、仕事中に悪いが、春分さまの所へ頼む。雀、こっちへ」


 発が離れるや否や、雀は小鳥が草陰に突っ込むように玄鳥至の背後へ逃げた。


「発さん、ちょっとそこどいて」


 桜はするりと発の横をすり抜けて、先に室内へと入っていった。


春分しゅんぶんさまー? 桜、ただいま戻りました。お待ちかねの方をお連れしましたよ」


 春分の室内はにおい立つように華やかだ。廊下と同じ黒い床にいくつもの衣桁いこうが立てられ、千紫万紅の女の着物が所狭しと並べられている。前に玄鳥至が「こんなに色も柄もバラバラでは、どこに目当ての着物があるかわからないだろう」と桜に問うと、季節順なのだと教えられて感心した。


 着物の道をするする行くと、部屋の中央に出た。掘りごたつ式にくり抜かれ、畳張りで、二十畳ほどの広さがある。

 その中心付近に、肘枕に腕を置いてゆるく座した春分と、そばに控える桜の姿があった。


「やあ、つばき。そして君が雀くんか。ようこそ、チーム春分へ。これからよろしく」


 春分が立ち上がって片腕を横に伸ばすと、本紫の小袿の袂に咲いた満開の桜が今にも香るように広がった。


 春分は身の丈百八十、よく鍛えているので決して線は細くない。そこに女物の着物を着付け、薄紅色の下げ髪を尻まで波打たせ、化粧こそ施していないものの、はっきりと女を装っている。端整な顔立ちが優美な着物に負けず、春の宮の中庭を清明と並んで歩く姿は、女たちがきゃあきゃあ騒ぎ立てるほど絵になるものだ。


 玄鳥至は雀を連れて畳に降りた。


「お待ちいただきましたか」

「そりゃあ、待ち望んでいたともさ」


 天井の大きな天窓から降り注ぐ春の陽光の下で、春分は眩しく破顔した。

 雀のかすかに揺れ動く黒目から、緊張がひしひしと伝わってくる。春分は秀眉を山なりにして朗らかに笑った。


「そう緊張しなさんな。ほら、雀くん。あれが君の席だよ」


 畳の四方に各人のスペースがあり、そのうち春分が示した席は、腰丈の棚がL字に置かれ、その内側に文机がある。棚には書物よりも、スズメの小物や謎の動物のあみぐるみや、伝統工芸品の文箱などが並べられ、文机には米俵の文鎮がぽつんとある。雀色の座布団は少し斜めで、主は今ちょっと席を外しているだけのように見える。


 雀はまるで吸い寄せられるように、ふらふらとそこへ近づいた。


「……触ってもいいですか?」

「もちろん、どうぞ。それは君のものだ」


 雀はまず奇妙なあみぐるみを手に取った。「それが気になったのかよ!」と玄鳥至は心中で突っ込んだが、春分も桜も、おおらかで物事に頓着しない発までもが固唾を飲んで雀を注視しているようなので、それに倣って黙っていた。


 雀はなかなかものを言わず、とうとう焦れた春分が促した。


「それで?」

「え?」

「それはなんだと思う? その……血を吐いているイタチのような動物は?」

「いえ、さあ……? おれもはじめて見ました。なんでしょうね?」


 チーム春分の三人は気が抜けたように脱力した。

 玄鳥至は、ははあ、と呆れ顔になった。


「それはこいつに失礼だと思いますよ」

「うん……わかってはいるんだが、どうしても確かめたくってな。今後仲間として迎え入れるなら、あいつの生まれ変わりではないかと頭の隅で思いながら接するのは、それこそ失礼な話じゃないか」


 桜は首をすぼめる上司を半目で見やり、馬鹿らしいというふうに鼻を鳴らした。


「私は違うと思うって言ったんだけど、春分さまはあきらめられないとおっしゃって。実際に雀ちゃんと話をして、これは違うなと確信したよ」


 春分は前髪を掻き上げながら苦笑する。


「もしや、と思ったんだよ。雀始巣すずめはじめてすくうの物に触れれば記憶が蘇るとか、何か変化が現れるんじゃないか、ってな。まあ、これではっきりしたよ。この子はあの雀始巣ではない」

「あの……、ごめんなさい」


 雀があみぐるみを手にのせたままつぶやいた。それで桜も発もあわてふためいた。


「いやだ雀ちゃん、君は悪くないんだよ!」

「そうだそうだ、おれたちが勝手に期待しただけなんだ。すまん、おまえさんの気持ちも考えずに……。ほら、春分さま!」


 部下にせっつかれ、春分は苦笑して雀と視線の高さを合わせた。


「君を歓迎しているのはほんとうなんだ。ただ、前任の雀始巣があまりにも唐突に消えてしまったものだから、共に働いていた我々は、十一年経った今でもやりきれない思いを抱えているんだよ。……しかし君にはすまないことをした。正式に君が任に着くまでに、棚を空にしておこう。この際だから、処分してしまったほうがいいんだろうな」

「いえ、そんな。思い出の品なんですし、取っておいてください。前の雀始巣の方もきっと寂しく思いますよ」


 玄鳥至が横目で春分を窺うと、男前はなんとも表現しがたい面持ちだった。


「思い出の品、か……。そうだな、君がそう言うのなら取っておこうか」

「はい。あの……消えてしまったってどういうことですか? 失踪ということですか?」


 暦たちはにわかに愁い、瞳を伏せた。

 皆の反応に戸惑う雀を安心させるように、春分はゆっくりと語り始めた。


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