第4話

 お客さんを見送ったら席を片付ける。アルコールをかけて消毒も忘れないように。しっかりと拭いたら今度はお皿を洗う。忘れてはいけない、大事なことである。


「なんかさっき、いい感じだったね」

「上手にお話しできました」

「あはは、そっか。人見知りだったね」


 楽しそうに笑いながらパウンドケーキを焼く準備をしているオーナーの手が止まることはない。やるときはやって、やらないときは休む。これがオーナーの仕事の仕方らしい。メリハリをつけるのはとっても大切なことだ。私も見習おうと思う。


 そういえばさっき見たとき、ココアの元、となるチョコレート原液が少なくなっていた。これが終わったら急いで仕込んじゃおう。アイスが出たら冷蔵庫に入っているものを使って、ホットが出たとき、一通り完成していたら鍋の中のものを使おう。

 よし、と小さく気合を入れなおしてチョコレートの準備を始めるとオーナーが大きくうなずいていくれた。きっと、私の行動が間違っていなかったということだろう。


 チョコレートにお砂糖、ココアパウダーに牛乳を混ぜて作る原液は最初はドロッとしているけれど時間をかけて少しずつ、少しずつとろとろになっていく。チョコレートの香りがお店いっぱいに広がって、自分まで甘い匂いになっていく気がする。きっと、そんなことはないのだろうけど。


「そういえばもう一人の子、あとで遊びに来るって言ってたよ」

「あ、噂の。仲良くなれますかね」

「大丈夫だよ。めっちゃいい子だし」


 週に三日、割と長めの時間を一緒に過ごしているこの人とでさえ最近やっと普通に会話できるようになってきたくらいなのに、大丈夫だろうか。同じお店で働くスタッフ同士、きっと付き合いは長くなるし変なことはできない。うまくやらないと。ていうか、ちゃんと仲良くならないと今後もし二人でお店を任される日がきたら気まずくて普通に笑顔で接客できる気がしない。自覚しているくらいには、感情が表情に出やすい人間だ。お客さんがもし不仲の空気を感じ取ってしまったら。考えただけで恐ろしい。今からそんなことを考えている私が一番恐ろしい気がする。


「そんな難しく考えなくて大丈夫だよ。合わないと思ったらシフト被らないようにするし」

「うう、ありがとうございます。今この瞬間とても気楽になりました」


 自分でも難儀な性質だと思う。この性質、性格のおかげで随分生きにくい生活をしている自覚だってある。それでも生まれ持った性格というのはそう簡単に変えられないものだ。少しずつとろみが増していくチョコレートを見つめながらぼんやりと思う。


「でもここで働き始めてからだいぶ自分以外の人間と話せるようになりました」

「人間って。でもその前も接客はしてたんだよね?」

「してはいましたけど。今の接客と全然違いますよ。いらっしゃいませこんにちは、店内でお召し上がりですか?って言うロボットでした。心があったら続けられない仕事です」


 きっともう戻ることはない職場を思い出すと少し体が震えた。客層の問題か、そもそも企業の方針の問題か。仕事の大変さを知るにはいい機会だったんだ、と思う。大変だった。世界の理不尽を知った。シフトが終わって、制服から私服に着替えて、店を出た瞬間の解放感はすごかった。シャバの空気のおいしさを知った。あそこは刑務所ではないけど、それはそれだ。


「幸せの原液できました」

「ありがとう、さすがです」


 今日は朝から良いこと続きだ。きっともう一人のアルバイトさんとも仲良くできるはずだ。

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湯に花を浮かべて 里中詠 @stnknosekai

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