第一章⑪

「ではサジュエル・L・ロッシュさん。まずあなたが私たちの捜査と魔獣の討伐にご協力してくださったことには感謝します。ですがあんな魔法を扱える人間を、たとえあなた自身に害意がなかったとしても、市民の安全を守る身として見過ごすことはできません。よって、このまま帰すこともできません」

 真っ直ぐなまなしできっぱりと断言する依吹。だがサジュエルはその目を正面から受け止めてなおきっぱりと応えた。

「僕が魔法を使うのは僕が賢者だからだ。解るかね? 自身を定義するのに他人の許可など必要ない」

「ロッシュさん……そういう言い分は聴くつもりですが、あなたが禁呪使用の容疑者である以上、我々はあなたを――」

 言いかけたとき、依吹の全身が震えた。体中の毛穴が開いて総毛立つような感覚は、恐怖というより感動したときのそれに近い。そしてその理由はいわずもがな目の前のサジュエルにあった。

「僕を? どうするというのだ?」

 彼のひとみは金色に輝きただ静かに依吹を見据えていた。たったそれだけのことで、しかし依吹は呼吸すら忘れ、意識が遠のくような感覚に陥った。よろめく彼女の肩を傍らの仁悟が素早く支えて、サジュエルをにらむ。

「テメェ、なんかしやがったな。……大丈夫か、如月」

「え、ええ、なんとか……」

 言いながらもふらつく依吹。サジュエルはげんそうな仁悟にいちべつをくれてから言う。

「ほんの少しだけ、神の威光を見せてあげたのさ。神性を持たない普通の人間であれば歓喜で気を失うはずだが、よく耐えられたものだ。心が強い」

 驚きか称賛か、サジュエルはかすかに笑みを浮かべてそう言うと、小さく指をパチンと鳴らしてみせた。その直後に依吹の心身は確かさを取り戻し、彼女が再びサジュエルを恐れることなく見つめると、サジュエルは微笑みのまま今度はごく自然にその視線を受け止めた。

「正直この時代にはもう用がないかと思っていたが、しかし君のその、神の威光にすら屈せぬ責任感と意志の強さは敬意を払うに値するな」

 彼はおもむろに腰を上げてローブのすそを軽く払ってから、

「――明後日あさつての昼、君たちの本拠地で待っていたまえ」

 それだけを言い残し、引き留めようとする仁悟らの声を無視してその場を立ち去っていった。


     *


 格式高い執務室。毛足の長いカーペットと棚に飾られた表彰たて。嫌味な派手さはないものの豪華であることに間違いはない。

「悪いな楢橋。忙しいところいきなり呼び出して」

 部屋奥に鎮座する大きなデスクで、たけそうすけは書類にサインをしながらそう言った。手前の応接机にはヲーレンがかしこまる様子もなく座っている。

「警視総監様直々のお呼びとありゃあ、いち刑事ごときに文句は言えねえよ」

「そんな言い方をするな。討伐部隊からのよしみだろ」

「まあな」

 ヲーレンは小さく笑って、棚の上に飾られた写真立てに目をやる。そこには軍服を着て肩を組んだ、若き日の彼らの姿があった。

「早はええな、あれからもう40年か……。それでなんの用だ? 例のゴブリンの件か?」

「それもある。が本題は別だ」

 宗介は書類を片付けて顔を上げる。見た目的にはヲーレンと同じぐらいの年齢のエルフで、気難しそうな雰囲気をまとってはいるものの表情は穏やかな男だった。

「今朝、魔法庁から連絡があった。サジュエル・L・ロッシュという人物についてだ」

「例のエルフのだんか」

「ああ。かの御仁に対して、我が国は一切の強制ないし権力を行使しないという話だ」

「なにぃ? あれだけの魔法を使った人間を野放しにするってのか?」

「俺も最初は耳を疑った。しかしこれは決定事項であり命令だ。非公式だが内閣府の承認も得られている」

「そんな馬鹿な話があるかよ。俺らより世間が黙っちゃいねえ」

「もちろん彼の情報やその処遇についても公にはしない。一昨夜の事件は既にテレビやネットでも取りされているが、メディアにはすぐに圧力がかかるはずだ」

「動画や写真はどうする? もうかなり出回ってるだろう?」

「サジュエル氏の顔が映っているものはない。それに報告では、やったのが誰であれ世間はおおむね彼に対して好意的という話だ。凶悪な魔獣を倒した英雄だからな」

「そりゃまあ、そうかもしれんが……」

 ヲーレンはうなりながら頭をく。助けられたとは言っても、本来自分たちが行うべき仕事を部外者に持っていかれたというのは、獣対をあずかる彼としては釈然としない。

「楢橋、気持ちは分かるが受け入れろ。なにせ今回の決定には、政治的というより経済的な圧力が働いているらしい。そもそも最初に魔法庁へ働きかけてきたのは、イギリスのテイターニア家からという話だ」

「テイターニアだと? 世界屈指の財閥じゃねえか」

「ああ。あそこの当主は私人でありながら、世界中のどの公人よりも強い影響力を持つと言われている。各国の王族や大統領、もちろん総理大臣よりもな。今回の働きかけはその当主本人から直接なんだそうだ。あの御仁はどうもその血縁者らしい」

「なんてこった……そりゃ保身ばかりのお偉いさんじゃ逆らえねえわけだ」

「まあとにかくそういうことだ。彼は自由にさせておけ。逆らえばクビが飛ぶ。獣対の室長であるお前でも、警視総監の俺ですら例外なくな」

 けんしわを寄せて念を押す宗介に、ヲーレンは「やれやれだ」と溜め息を吐いてみせた。


     *


「まったく、いつ来るんだよあのクソエルフ」

 警察署の前でりつしようの警官と一緒に立っているのは仁悟と依吹。彼が腕時計に目をやると、時刻はそろそろ13時になるところである。

「昼休みが終わっちまったじゃねえか。飯も食ってないのに」

「まあ仕方ないですよ、上からの厳命なんですから。これも仕事です」

「真面目か、如月」

 そうして仁悟がぐだぐだと依吹に愚痴をこぼしていると、しばらくして見慣れぬ風体の男性が彼らに近寄ってきて声をかけた。

「出迎えご苦労、いぬくん。少し待たせたようだ」

 二人がそちらを見やると、そこにはダークグリーンのスリーピースを着て白い革靴を履いた男が立っていた。きらびやかな金髪は風になびかせ、その手にはこくたんのステッキを携えている。

「お前、どうしたんだそのかつこう――」

 満足げな表情で微笑む彼は、紛れもなくサジュエル・L・ロッシュその人だった。

「奇抜すぎるだろ。つーか『仔犬くん』ってなんだよ」

「君の呼び名だ。ちなみに英語では仔犬パピー という単語に『生意気な若者』という意味もあるらしい。君にはピッタリの呼び名じゃあないかね」

 その台詞せりふに仁悟がみつくより早く、依吹が何かに気付いた様子で言った。

「あれ? ロッシュさん、翻訳の魔法を使ってないんですか?」

「もちろんだとも。あれは応急措置みたいなものだからな。しかしもう覚えたので使う必要はない」

「覚えた――って日本語を!? たったの2日でですか?」

「2日もあれば言語のひとつくらいは習得できる。なにせ僕は賢者だから」

「いや賢者だからって……」

 あつに取られている依吹の横で仁悟が口を出す。

「で、お前は何をしに来たんだ? 例の一件に関しては不問にしろと指示があった。俺は納得してないがな。とにかくウチらはもうお前に用はないってことだ」

「なんだ聞いていないのか。僕は君たちに協力することにしたのだ」

「はあ? なんだそりゃ?」

「僕はもともとこの世界を魔王から守るために目覚めて……まあ色々と手違いはあったが、少なくともモンスターによる危険はまだ残っているようだし、手段や手続きはともかくモンスターから世界を守るという目的は同じなのでね。だから協力するのだ。深謝したまえ」

「ふざけるなよ。誰がそんなこと――」

 仁悟の言葉を彼の携帯の着信音が遮る。彼は画面を確認するとすぐに電話に出た。

「……はい神島です。……は?……はい、一緒ですが……分かりました。了解です」

 短い通話を終えると彼は下を向いて頭を抱えた。その様子を見て依吹が尋ねる。

「楢橋さんからですか?」

「ああ。上からの命令で、このクソエルフが本日付けで六課の特別捜査顧問になったそうだ」

「ええっ!? ロッシュさんが? すごいですね!」

「凄いっつーか、あり得ないだろ。……マジでってやがる……」

 どんよりと肩を落とす仁悟と、驚きのまなしでサジュエルを見つめる依吹。

「まあそういうことだ。ところで仔犬くん、君らが所属している組織は何という名前だ?」

「知らないで入ったのか。なめてるな」

「私たちが所属しているのは、警視庁刑事部、魔法及び魔獣事犯捜査第六課内、魔獣対策室。通称『獣対じゆうたい』です」

 横から依吹が伝えると、

「なるほど。ではさしづめ今日から僕は『獣対の賢者』といったところだな」

 サジュエルはそう言って満足気な笑みを浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

警視庁魔獣対策室 狼刑事と目覚めの賢者 ヨシビロコウ/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ