第一章⑩

「ロッシュさん!?危険です!」

 果たして依吹の言葉は予言となって、薄らいだ煙の中からサジュエルに向かって車が飛んできた。

「ロッ――!」

 しかしそれはサジュエルの目の前で透明の壁にぶつかり、それに拡がった爆炎とともにはじけ飛んだ。サジュエルは炎の中を平然と進みながら不敵に微笑む。

 その姿にゴブリンキングは困惑した。何故ならこの世に生を受けてから数時間あまりで、彼は己の力が他者よりもはるかに優れていることを認識していたからだった。軽く殴るだけで小さい者たちは軽々と吹き飛び、捕まえて少し力を入れてやれば簡単に潰れて死ぬ。彼は「どうやら自分はとてつもなく強い生物らしい」と理解していた。

 それなのに。目の前の小さな生き物は、自分を恐れるどころか自信たっぷりの顔で平然と向かってくるのだ。全力で投げつけた硬い物を弱々しい身体でやすく防いで、地面を埋める炎をものともせずに。

 理解不能――その本能的な恐怖がゴブリンキングをあと退ずさらせた。それを見てサジュエルは苦笑する。

「王種ともあろう者が、みっともないな」

 対してゴブリンキングは街灯の支柱を地面から引き抜き、近寄るなとでも言いたげにその鉄棒を振り回す。しかしサジュエルが軽く手を上げただけで、鉄棒は一瞬で腐食し、優雅な彼の身体に触れることなく散っていった。

「だがその反応は間違いではない、と言っておこうか。なぜなら魔法とは魔素を操る法であり、魔獣を滅する法でもある。それを極めている僕は君にとっての天敵に他ならない。そしてこのサジュエル・L・ロッシュは、あらゆる魔素をおのが意思のみで操ることができる」

 その台詞せりふに反応したのは依吹だった。

「魔素を意思のみで……? そんなことが……」

 サジュエルは背を向けたまま彼女の言葉にこたえる。

「可能なのだよ、神性を持つ者であれば。つまりこの僕はたんなる賢者ではなく――」

 彼は今にも逃げ出しそうなゴブリンキングの前で、優雅な動きで手を天にかざした。

「神の眷属だということさ」

 すると空に、星々とまがうほど大量の光の粒が発生した。それらは輝きを増しながら形を変え、ひとつひとつが神々しい光の剣となった。人智を超えたその魔法の美しさに、依吹は空を見上げながら息をんだ。

「天をうずめる……光の剣……? これは――!!」


     *


 ホラを倒した仁悟とヲーレンが急ぎ依吹のもとへと向かっているときだった。空は突如敷き詰められた光の群れによって彼らを、そして街全体を照らした。

「おい神島、なんだこれは!? 何が起こってる?」

「俺にだって分かりませんよ! それより急がねえと!」

 その現象に車も人も立ち止まっている中、仁悟がヲーレンに先立って目抜き通りへと辿たどり着くと、へたり込んだまま空を見上げる依吹とその先のサジュエルの姿が見えた。

「如月、無事か!? こりゃ一体なんの――」


「これって、第三きんじゆクラウ・ソラス……?」

 依吹が呟いた言葉に「正解だ」とサジュエルがうなずく。間もなく夜空を埋めた光の剣は、その切っ先をたったひとつの目標であるゴブリンキングへと向けた。

「少し早いが閉幕だ。ご退場願おう」

 サジュエルは指をパチンと鳴らす。それをきっかけに降り注ぐ光の剣。断末魔の声を上げるいとまも与えず、殺到したそのやいばはゴブリンキングの全身を一瞬で細切れにした。飛び散らんとする肉片までもが無際限に斬り刻まれ、そよ風で吹き飛ぶほどのちりとなる。

「ど……どうなってやがんだ……? 今のがキングだったのか?」

 ほうけた様子の依吹を前に、仁悟は遅れて駆け付けたヲーレンと顔を見合わせた。


     *


 半壊した建物や裏返った車から立ち昇っていた火は駆け付けた消防隊員に間もなく消し止められたものの、外苑東通り一帯にはいまだに焦げ臭さと白い煙が残っていた。

 ひっきりなしに往復していたストレッチャーが次第に姿を消してゆき、やがて最後の負傷者を乗せた救急車が現場を去ると、そこに残ったのは仁悟と依吹と、少し離れたところでガードレールに腰掛けているサジュエルだけだった。

「あれ、楢橋さんは?」

「ナラさんなら事後処理が山盛りだとかって署に帰ったよ。少しは休めばいいのにな」

「ホントそうですよね。あーでも私も報告書書かないとだー」

「俺なんか報告書だけじゃなく始末書もだよ。ビルの屋上から飛び降りて、パトカーP C まるまる1台ぶっつぶしちまったからな」

「相変わらずちやちやしますね……」

「ああ滅茶苦茶だ。だがようするに今回は、そういう事件だったってことだろ」

「たしかに、そうですよね……。それにしても――」

 依吹は遠くで何やら考えにふけっているサジュエルを見つめながら言った。

「あの人は一体何者なんでしょう? ゴブリンキングを消滅させたあの魔法、あんなの軍事兵器レベルですよ。もしあれが本当に禁呪なのだとしたら――」

「さあな。分からないなら本人に直接けばいいんじゃないのか?」

 仁悟はそう言ってサジュエルに声をかける。

「おいクソエルフ! ちょっと来い!」

 するとサジュエルは二人の方にちらりと顔を向けてから、人差し指で招くような仕草をした。仁悟らは彼が何か発見でもしたのかと、逆にサジュエルのもとへ歩いていく。

「なんだよ、なんかあったのか?」

「別に何もない。何か用があるのは君たちだろう。だったらそっちが来るべきだ。いちいち僕に足を運ばせるな」

「お前……マジか。何様なんだよ」

 仁悟が半笑いで額に血管を浮き上がらせたので、依吹が慌てて割って入る。

「すみません! そうですよね、こちらは助けていただいた身ですし。失礼しました」

「解ればいい。そっちのいぬくんはちゃんとしつけておきたまえ」

「ああ? 誰が仔――」

「まあまあまあ、抑えて抑えて。そんなんじゃ話が進みませんよ神島さん」

「……チッ」

 ふてくされて横を向く仁悟をなだめつつ、依吹はサジュエルの顔を見て問う。

「ロッシュさん。端的にお訊きします。あなたは一体何者なんですか?」

「言っただろう? 僕はアールヴの賢者だ。かつて勇者ライザスらとともに魔王を倒し、その魔王の再臨から未来を守るため永い眠りについた。そして目覚めたのがこの時代だったというわけさ」

「勇者と魔王を……? たしかそれはライオネル一世だったはずですが……」

「君らがどう認識しているかなど関係ない。だが真実だ」

「ではあなたが使ったあの魔法は、本当に伝説の魔法――第三禁呪クラウ・ソラスということですか? まさか実在するとは思いませんでしたが」

 するとそこで仁悟がささやくように依吹に尋ねた。

「そういや、そのナントカ禁呪ってのは何なんだ?」

「禁呪というのは過去に存在したとされる伝説の魔法です。ライオネル一世は使えたという話もありますが、理論もじゆもんの構築法も不明なので、今では都市伝説みたいな扱いになってます。でも実際にあったとすれば、それは現代の科学や魔法学の常識、あるいは世界のことわりすらも覆すようなものなんです。だから各国の憲法や国際法でも一切の使用が禁止されているんです」

「なるほど。あの光の剣がそれだったってのか」

「確証はありませんけど……。禁呪というのは全部で四つあるとされていて、第一から順に危険度が増していきます。あのクラウ・ソラスは第三禁呪なので、軍事的に見れば戦術兵器に相当します」

「マジか。小型核レベルってことかよ……」

 そんな二人のやり取りを聞いていたサジュエルは、なにやらあきれたような少し大きめのいきでそれを遮った。

「どうも君らは勘違いをしているようだ。クラウ・ソラスを含めて恐らく君らが禁呪と呼んでいる魔法は、そんな危険や破壊を伴うようなものではない。たんに僕オリジナルの魔法、というだけだ。当然僕にしか使えないから他者の使用を禁ずる必要もない」

「では、やはりあれは禁呪なんですね?」と依吹。

「まあ呼び方は好きにすればいい」

 彼女としてはサジュエルのオリジナルの魔法という部分に興味がかれないでもなかったが、それよりも今は警官として、彼が禁呪を使ったという事実に重きを置いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る