エピローグ 「巣立ち」
パフェは大量の書物を抱えていた。
「この黒いのは魔法関連のもので、これは王都の歴史書、あとこれには王城での礼儀作法が書いてあって、こっちは家事の仕方、それから――」
「も、もういいよ! もう大丈夫!」
プラムは家に運び込まれた百冊以上の本を前に狼狽える。
「こんなに持ち運べない……こともないけど、バッグに入らない! あと読み終わらない!」
「あ、そっかそっか、そうだよね」
パフェは、じゃあどうしよっか、と頭を抱え、次に、せめてこの本は渡さなきゃ、と選別を始め、かと思いきや、やっぱりあの本は必要なんじゃ、と優柔不断に長いこと格闘を続け、最終的に十冊にまとめるとプラムに差し出した。
「はい、ちゃんと読んでね」
「わ、わかった」
空いた時間に読めばいいからね、という態度だったが、顔は、今すぐにでも読んでほしいと言っていた。目や口元に心配や不安が溢れている。辛い想いを抱えさせるのは嫌だったので、プラムはなんとか安心させようとする。
「ちゃんと読むからね」
「よかった」
安堵を感じ取る。その根元に、百倍くらいの心配を感じ取る。これは無理だと諦めた。
プラムの装いは随分とすっきりしていた。腕輪やピアスなど、装飾品の形をした魔除けが全て外れているからだ。加護が宿った今はもう、必要ない。
「なんだか嬉しそう」
「好きな服着れる日が来るなんて思わなかったから」
彼が着ているのは制服でも祭服でもない。白無地で簡素だが、れっきとした私服だ。借り物なので正確には私服でもないのだが、それでも新鮮だった。
バッグを背負い、剣を携え、新しい服装とともに爽やかになった心持ちで、外へ出る。
風が吹いていた。フクロウがいなくなったことで、白くなった風が。
「村の皆に挨拶してきた?」
「うん、『受け入れてくれてありがとう』と『お世話になりました』って、伝えてきた」
村を見渡す。相変わらず暗い。復興中で景色はだいぶ変わっているが、思い出は残っている。この場所には、人生の半分以上が詰まっている。
「楽しかったな」
少しだけ寂しくなる。
家を見上げる。不思議な気分だ。これから出ていくというのに、夜にはまたここに帰って来るような気がしている。
またね、と心の中だけで告げる。
「ちょっと待って、まだ行かないでね」
家の中に戻ったパフェが、慌てたように言った。
「プラムに渡したいものがあるの」
「何?」
出てきた彼女は包みを抱えていた。差し出される。
「開けていい?」
「どうぞ」
中に入っていたのは、
「靴だ」
白い革製の靴だった。柔らかそうな素材で、運動にも適しているように見えた。大きくて優しい加護が宿っている。店に売っているものではない。
「十五歳の誕生日プレゼントにね、作ってたの。せめて靴くらいは好きなの履けるように」
「これ作ったの!? すごい!」
「あ、で、でも、急いで間に合わせたから形は悪いし、爪先の方は脆いかもしれなくて、気に入らなかったら使わなくてもいいから……」
「ううん、今履く」
「ああ、ちょっと……!」
プラムは今履いているものを雑に脱ぎ捨て、プレゼントを履き直した。
パフェは、物は大切に扱わなきゃダメだよ、と脱いだ靴を拾いながら、忙しなく様子を窺う。
「ど、どう……?」
「いいね、気に入った!」
申告通り表面に粗さが目立つが、耐久性は問題ない。専用に作っただけあって、足のサイズはぴったりだった。
「ほ、本当……? 気を遣わなくてもいいんだよ?」
「僕は嘘つかないぞ」
「そうだけど……でも、嫌になったら捨ててもいいからね……」
「しつこいぞ?」
「ご、ごめん」
どうしても心配してしまうパフェのために、プラムは明るく笑って見せる。
「大丈夫! この靴一生使うから!」
「小さくなったら危ないから、それはやめて」
「はーい」
失敗した。逆に窘められた。
「引き留めてごめんね。それだけだから」
「待って、僕もあるんだ」
プラムは懐に手を入れ、驚くパフェにそれを見せた。植物でできた二つのリングだった。
「これは何?」
「指輪」
「指輪?」
「そう、さっき花をむしって作った。加護を込めたからちゃんと硬いはず」
パフェの左手を取り、一つを薬指にはめる。
「今はこれしかないけど、いつかちゃんと本物あげるから」
「えぇ!?」
彼女は驚愕の声を上げ、頬をみるみる紅潮させた。どうすればいいかわからず、目を右往左往させている。
「魔物全部倒して帰ってきたら、結婚してね」
「え、えーと……」
パフェは騒がしく身振り手振りをしながら考え込む。混乱した頭には様々な雑念が混じってまとまらず、長考は一分近くに及んだ。自分の指にある指輪を見つめ、なんとか心を落ち着けると、非常に言いづらそうにする。
「……まだ早いかな」
「あれ!?」
さすがのプラムもショックを受けた。
「喜んでくれると思ったのに……」
「嬉しいよ! 嬉しいんだけど、いきなりすぎて……」
「いきなりじゃないよ」
「え?」
「だって――」
プラムは六歳の時、けっこんしよ、と言ったことがあった。すると十一歳のパフェは大層ときめいた顔をして、いいよ、結婚しよ、と返した。そのことを説明する。
「六歳の頃でしょ!?」
「そうだよ。ダメ?」
「ダメ、じゃないけど……私覚えてないよそれ」
「でも、僕は覚えてるよ」
プラムは少し拗ねたように言った。
「ずっと、覚えてる」
それから、手を取って、目を見て、真剣な眼差しをして、言った。
「パフェのこと、忘れないから」
その紫の瞳を見て、パフェはようやく意図を察した。彼は、遠くに行っても、何があっても忘れないと、そういうことを言いたかったのだ。
「もしかしてそのために用意したの、指輪?」
「そう」
不器用すぎて、パフェは思わず笑ってしまう。優しさに心が洗われる。この子と一緒にいてよかったと、思った。
微笑む。
「本当に、口下手なんだから」
肩を抱き、額にキスをした。唇を離すと、プラムは額を押さえて恥ずかしそうにした。
左手の指輪を、右手で大切に包む。
「いいよ。じゃあ、それまで預かっておくね」
「よかった」
「それから、全部終わったらなんて言わないで、たまには帰って来てね」
「わかった。そうする」
会話が途切れ、星空に溶けていく。
涼しい風が吹く。
「じゃ、もう行くよ」
「行ってらっしゃい」
プラムは背を向け、歩いていく。
少ししたところで立ち止まる。振り返って、深く頭を下げる。
「お世話になりました」
パフェは涙を浮かべた。
「元気でね」
手を振る。
その姿が少しずつ、離れていく。
♦
『ディアタウン』を出た高級車が王都に向かっている。南に進むにつれ、空が薄っすらと明るくなっていくようだった。
運転席にオレンジ、助手席にシルバー、後部座席には右から順に、メイジー、リンジェル、プラムが並んで座っている。
車内には鼻歌が響いていた。
「オレンジが運転するんだね」
「ひぃっ!!」
「ひぃ? いや、てっきりメイジーがするのかと思ってたからさ」
リンジェルは鼻歌を切って、代わりに答える。
「オレンジは車で逃げるのも得意なんですよ」
「あー、そういうことなんだ」
ハンドルを握る橙髪の少女はカタカタと震えていた。感情を読み取ってみると、とにかく様々な危機に怯えることに夢中で、まるで集中できていなかった。
「ほんとに大丈夫か? 事故になりそうだ」
「問題ありません」
リンジェルは紅茶をすする。余裕のある態度だ。オレンジに全幅の信頼を置いているのがわかる。彼女だけでなく、他の全員も同様に信頼を置いていた。
間違えた。オレンジがオレンジをまるで信頼していない。とにかく失敗を怖れて青い顔をしている。
大丈夫か? と再度訝しむ。
「そっちは雪が積もってるそうだ。次のとこ右に曲がれ」
シルバーが指示を出した。
「は、はい……」
車は丁寧に進路を変更する。
まぁなんとかなるか、とプラムは放り投げる。いざとなったら車ごと浮かせてしまおう、と頭の隅に留めておく。
鼻歌が再開した。
「ご機嫌だね」
「それはそうでしょう。だって、欲しかったものが手に入ったんですから」
薄紅の瞳がプラムに向いている。物扱いかよ、と思った。
「ああ、訂正します。欲しかった人です」
「どうだかなぁ」
「うふふ」
リンジェルの表情は、地区にいた時のいつよりも綻んでいた。お祝いとばかりに、皿に広げたクッキーをつまんでいる。皿を持っているのはメイジーである。心の底からの幸せが感じ取れる。
「気に食わないな」
プラムは鼻息を鳴らす。
「あれだけ好き勝手に振舞ってたのに、リンジェルだけ得して、しかも一つの損もしてないんだから。後味が悪い」
「そうなるように動きましたから」
挑発的な流し目とともに、リンジェルはクッキーを一枚取る。
「君もそうするといい。とても楽しいですよ」
「ふぅん、じゃあ」
プラムの手にクッキーの皿が現れる。テレポートで強奪した。
「これは僕のものだ」
メイジーが驚愕する。取り返そうと手が伸びる前に、少年は皿を傾けて全部口に流し込んだ。頬張る。バリバリと咀嚼する。
リンジェルはあんぐりと口を開け、瞬きを繰り返していた。
飲み込む。
「あー美味しかった! ごちそうさま!」
「や、やりましたね……! 私から奪いましたね!!」
メイジーが鍔を弾き、鞘から短剣を覗かせる。
「処刑しますか?」
「処刑しなさい! 首を刎ねて盛大にぶっ殺しなさい!」
「かしこまりました」
「やれるもんならやってみろ!」
主を挟み、従者二人が取っ組み合いになる。車が大きく揺れる。
「てめぇら静かにしてろ! 事故になったらどうすんだ!」
シルバーがキレる。
「助けてぇぇ……」
オレンジが怯える。
間もなく、夜が明ける。
♦
その夜、夢を見た。
何もない真っ白な空間だ。目の前に、アルベールが立っている。
「よぉ、やっと起きたか」
「ごめんね、遅くなって」
「本当だよ。のんびりしやがって」
アルベールは不遜に笑う。おおらかな態度はまるで兄のようで、初めてまともに話すのに、気心を知れた相手を前にしてる気分になった。パフェ以外で、初めて家族を想起させた。
「悪いな、お前にまで任せちまって」
そんな彼はふと、暗い寂寥を滲ませた。
「千年前に倒し切れなかったせい……いや、元をたどれば、俺の代で終わらせられなかった俺のせいだ。すまない」
目を伏せた表情には、人生における後悔や無念が強く窺える。
大昔に何があって、彼がどんな想いを抱いていたのかは知る由もないが、責任感に苦しんでいることはわかる。
「そういうの嫌いだな」
しかし、プラムはばっさりと切り捨てた。
「まるで僕には任せられないって言われてるみたいで腹が立つ。僕はここにいるんだから、いくらでも頼ってくれたらいいんだよ」
アルベールは目を丸くした。
「お前、俺みたいなこと言うな。ああ、お前は俺か」
「そうだよ。だから安心しなよ」
「ああ、そうだな」
彼は天を仰ぐ。
ほんの少し、肩の荷が下りたようで、幾分か清々しく笑った。
「これから大変なことがたくさんある。頑張れよ」
「今までありがとう」
ハイタッチする。
想いは託され、次に繋がれる。
勇気の足音が聞こえる。
地球は勇者の指先にある 雪村 緑 @greenest1
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