毎日小説No.1 新歓

五月雨前線

1話完結


「演劇部、興味ありませんか〜?」

「君、いい体格してるね! ラグビー向いてるよ!」

「落研どうですかー!!」

 四月四日、午後一時半過ぎ。百葉大学北千葉キャンパスは、新歓企画に訪れた新入生達への勧誘の声で溢れかえっていた。百葉大学に存在する部活、サークルの数はおよそ三百。その内の三分の二以上の団体が本日の新歓企画に参加し、新入生を勧誘すべくビラ配りやパフォーマンスに精を出すのだ。

「文藝部、どうですか〜!」

 私、山田早苗は文藝部のブースでビラを片手に声を張り上げていた。波のように押し寄せてくる新入生に声をかけ、半ば強引にビラを配っていく。

「ありがとうございます! 是非文藝部よろしくお願いしまーす!」

 ビラ、そして新歓用に作った本を受け取ってくれた新入生に笑みを向ける私。手元に無くなってしまったビラを補充しようとしたが、山積みになっていたビラが殆ど残っていないことに気付いた。

「先輩、もうビラって無いんですか?」

「え、嘘。うわマジか、もう殆ど無いじゃん」

 私の横でビラを配っていた佐藤先輩が顔をしかめた。

「まだ一時間半もあるのにな……。やっぱり八百枚じゃ足りなかったか。うーん、どうしようかな」

「私が追加で印刷してきましょうか?」

「いいの!? じゃあよろしく! 印刷代は後で部費から落とすから!」

 ビラを一枚手に取り、私はブースから飛び出した。特に考えもなく印刷の提案をした私だったが、印刷機がある生協付近を訪れて少し後悔した。どの団体もビラ不足に陥っていたらしく、印刷機の前には長蛇の列ができていたのだ。どの団体もこぞって大量の枚数を印刷しているのに加えて、印刷機が古いのか、調子が悪いのか印刷のスピードがとてつもなく遅い。長時間待たされることは火を見るより明らかだった。

「他に印刷機ないのかな……?」

 長蛇の列に並びたくなかった私は、他の印刷機がないか探すことにした。この大学のキャンパスは馬鹿みたいに広いから、印刷機の一つや二つはどこかにあるはずだ。

「どこかにないかな印刷機……ん?」

 普段あまり入ったことのないキャンパスを何気なく覗いてみた私は、

「印刷機 ↑」と書かれた張り紙を見つけた。新歓企画の盛り上がりに反して、キャンパスの中は水を打ったように静かだ。これは穴場スポットならぬ穴場印刷機を見つけたかもしれない。私は意気揚々と歩を進めていった。

 印刷機はすぐに見つかった。しかし、周囲に漂う雰囲気はどこか怪しい。入り口付近の綺麗な感じとは全く異なる、どこか異質で古びたオーラが周囲に漂っている。

 そして極め付けは印刷機本体だ。明らかに数十年前の機械で、本体は埃を被っている。通常の印刷機ならあってしかるべき料金表も無ければ、コインの投入口すらどこにも見当たらない。『印刷スタート』のボタンのみが視界に映る。

 そして極め付けは、「使用可。ただし罰が下る」というぼろぼろの張り紙だ。明らかに普通の印刷機ではない。

 その時、スマホに佐藤先輩からメッセージが届いた。

『ビラ完全に無くなっちゃった……。印刷出来た?』

 まずい、早くビラを印刷して届けなければ。張り紙の内容が気になったが、早く印刷したいという気持ちが勝った。私は用紙をセットし、埃を被ったスタートボタンをそっと指で押した。


***

「山田さんが部室にいた時は、何も異常は無かったんだよね?」

「はい」

「うーんそうだよな……。おかしいよなぁ」

 文藝部部長の谷中先輩が部室に視線を向け、首を捻った。昨日まで何事もなかったのに、今や部室の窓ガラスは無惨にも割られており、床にガラスの破片が散乱していた。

「ガラスの破片からして、外から石か何かが投げ込まれて窓が割れたってことになるよね?」

 佐藤先輩が腕を組みながら言う。

「でもさ、ここは三階だぜ? それに、投げ込まれた何か、っていうけど何も見つからなかったじゃん」

「やっぱりおかしいよなぁ。まあ、警察の人がそろそろ来るらしいから、それを待とうぜ。……あれ、山田さん、なんか顔色悪くない?」

 谷中先輩は私の顔を覗き込み、目を丸くした。

「顔真っ青じゃん。大丈夫?」

「だ、大丈夫ですっ! えっと、私この後バイトがあるので、失礼しますっ!」

 先輩達に背を向け、私は部室から逃亡した。


『ただし罰が下る』


 その言葉が私の頭の中でぐるぐると渦巻いていた。新歓企画でビラ配りをした4月4日以来、文藝部には不可解な異常事態が多発していたのである。部員の一人がキャンパス内で謎の死亡事故に巻き込まれ、部の公式サイトがいつの間にか閉鎖され、そして部室の窓ガラスが割られていた。

 部員達はただ困惑するばかりだったが、私は違った。この異常事態に心当たりがあったからだ。これは『罰』なのではないか? 私があの印刷機を使ったばかりに、不可解なことが次々と起こったのではないか……?

 そうだ、きっと罰だ、という思いと、そんな馬鹿な話はない、という理性の声がせめぎあう。高鳴る胸を抑えながら電車に乗り込んだ私は、スマホに一通のメッセージが届いていることに気付いた。

『四月二十五日、午後八時に部室に来てください。話があります。来ないと、部が大変なことになりますよ。使ってはいけない印刷機を使った、山田早苗さん』


 四月二十五日、午後八時。恐る恐る部室を訪れた私を待っていたのは、数個年上の女性の先輩だった。名前は加藤先輩。確か理学部所属だったはずだ。何故そんな言い方をするかというと、ほぼ面識が無いからだった。約一年前に、新歓企画で一度顔を合わせたきり、部の活動に全く顔を出すことがなかった加藤先輩。何故そんな先輩が急に部室に現れたのか、そして何故印刷機のことを知っているのか。私の頭は不安と疑問で溢れていた。

「あの印刷機、使ったでしょ」

 私に背を向けていた先輩は振り返り、小さな声で言った。先輩の形相はこの世のものとは思えないほど恐ろしかった。まずい、この先輩普通じゃない、逃げろ。理性が叫び私は逃げ出そうとしたが、人間とは思えない速度で移動してきた先輩に取り押さえられてしまった。

「離してください!」

「あの印刷機はね、使ってはいけない呪われた印刷機なの」

 私の声が届いていないのか、先輩がうわ言のように続ける。

「離してよ、このっ!」

「使ったら最後、その部員が所属する部に災いが訪れる」

「……え?」

 先輩の目が大きく見開かれた。

「災いを防ぐためには、使用者が身を捧げるしかない。次の生贄が現れるまで、あの場所に魂を囚われ続けるの、そう、この私のように」

 先輩が私を突き飛ばし、首元に手刀を振り下ろした。がっ、という鈍い音とともに私の視界が狭窄していく。

 早く逃げなきゃ、逃げな、きゃ……。思いとは裏腹に、私の体からはどんどん力が抜けていく。最後に聞こえたのは、「ようやく解放される」という安堵めいた先輩の声だった。

***

「え、その山田って人、いなくなっちゃったんですか?」

 先輩が頷きを返すと、文学部二年の浜野美嘉は「え〜!」と声を上げた。

「何ですかそれ、やばくないですか? 神隠し的なやつですか?」

「分からん。前日まで大学に通っていたのに、急に消えちゃったんだよ。あの時は大学に警察が来て大騒ぎだったな。そうか、よく考えればあれからほぼ一年経つのか」

「へええ……。他にも、文藝部にまつわる怖い話とかあるんですか?」

「いっぱいあるよ。山田さんが失踪する前に、急に部の公式サイトが閉鎖されたり、部室の窓ガラスが割られていたり……」

「……文藝部、呪われてたりしませんよね?」

「大丈夫だって。あ、あとあれだ。確か印刷機がどうとか……」

「田中君、浜野さん。そろそろビラ配りが始まるから準備してね」

 四年生の加藤に声をかけられ、はーい、と浜野は返事を返した。今日は新歓企画が行われる日。浜野が所属する文藝部はビラ配りを行う予定だ。百葉大学は規模が大きく、新入生の数は非常に多い。他の団体に負けじとビラ配りを頑張った結果、用意していたビラは一時間程で底をついてしまった。

「浜野さん、ビラを追加で印刷してきてもらえる?」

「あ、了解です!」

 加藤に指示され、浜野は印刷用に残しておいたビラを手に取った。

「生協の印刷機はどうせ混んでるから、キャンパス内の印刷機を使った方がいいと思うよ。なるべく早めでよろしく!」

「分かりました! 行ってきます!」

 浜野は従順に指示に従い、生協の横に位置するキャンパス内に入っていった。それを遠目で見ていた加藤は、誰にも見られないように唇の端を吊り上げた。

「感謝してよね、山田さん。私のお陰で、たった一年でそこから脱出出来るんだから」

 小さく、それでいて冷たい加藤の呟きは、新歓企画の喧騒の中にそっと消えていった。






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