04「二人の助手」

「傷は深くありませんから! 泣く必要はありません。さあ、気を強く持って」

「痛い? ねえ、痛い? うんうん、痛いよね。痛いとなんだか泣けてくるよねぇ~」


 待ち合わせ場所は、病院からほど近い公園広場だ。時間ピッタリに来てみたら、広場の片隅がなにやら騒がしい。


 見れば女の子がへたり込んで泣きじゃくっていた。スカートの裾からのぞく膝小僧が、真っ赤な血に濡れている。転んで派手にすりむいたらしい。まあ子供なんて転んでナンボの生き物だ。そういうこともあるだろう。


 問題は女の子の傍にいる、二人の学生だ。


「とにかく、傷口を洗いに行きましょう。ね? ほら、立ってください。何事もまずは根性! 根性ですよ、根性! 頑張りポイント百点あげますから。さあ!」


 女の子を叱咤激励しているのは、髪をツーサイドアップに結んだ勝ち気そうな女子だ。


 制服の着こなしが模範的な一方で、そこだけポップなドクロの髪飾りが妙に目を引く。鋭い目を真っすぐ少女に向けながら、雑な根性論を振りかざしていた。


 逆に甘やかしているのは、開いているのかどうかも分からない眠たげな眼をした男子だ。


「ほら、飴ちゃんいるぅ? いろいろあるよ。ブドウ味にオレンジ味にレモン味。僕のオススメはイチゴ味なんだけどねぇ……あれ、いらない?」


 男子用の制服を着ていなかったら、女子と見間違えてしまいそうな……いや、なんなら着ていても、「男装の女子なのでは?」と勘繰りたくなるような容姿をしている。額にかけたゴーグルは、キラキラ輝くシールで飾られていた。


 二人はまるで旅人を襲う北風と太陽だ。だけど順番の譲り合いというものを知らない。互いに怒涛の同時攻撃を仕掛けて、女の子を余計に混乱させている。泣き声は激しさを増す一方だ。


「ああ、もう、どうして学校では泣く子の対処法を教えてくれないんでしょうか! あたしの手には余ります! いったいどうしたら……!」

「メイちゃんが怒るのやめたら、泣き止むんじゃないかなぁ~」

「あたし怒ってませんってば!」

「ほら大きい声出す~」

「あたしが悪いって言うんですか? ふふ。ええ、そうですね。どうせあたしが悪いんです。やることなすことすべてが裏目。全部全部あたしが悪い。ああ……ああ」


 北風女子が全身から黒い闇を垂れ流し始めた。その隣で太陽は攻勢を緩めない。


「ほ~ら、クマさんのぬいぐるみ! ゾウさん、トラさん、ウサギさん、それからそれから~」


 手品のように次々ぬいぐるみが湧き出してくる。その間中、彼の輪郭はノイズが走るように激しくぶれっぱなしだ。動作も早送りのボタンを押したように小刻みで、残像が見えている。


 もちろん女の子は泣き止まない。完全に心の扉を閉ざしてしまっている。


 ああ、なんて……なんてダルい状況! 首を突っ込みたくない。正直このまま素通りしたい。したいのだけども……。そういうわけにもいかない。何故って? あの面倒くさそうな二人組こそが、俺と待ち合わせている連中だからだ。


「まったく」と呟いて、そちらへ向かう。


「なにしてんだよ?」


 北風の女子、足衛あしえメイがこちらに気付いた。闇を振り払って直立し、四十五度の礼を披露する。


「あ、神蛇原かんじゃばる先輩っ!? お疲れ様です! 到着を心待ちにしておりました!」


 すかさずもう片方の太陽男子、二十並草はたなみくさゆうも寄ってくる。


「へへ~、ハルくん、相変わらず待ち合わせ時間ドンピシャだねぇ」


 俺は二人にもう一度、質問を重ねた。


「なにを、してるんだ?」

「ああ、そうでした! それなんですけど、聞いてください、神蛇原かんじゃばる先輩!」

「今ねぇ、転んだ子をなんとかなだめようとしてるとこ~……」

「ですが全然泣き止んでくれず……!」

「そろそろ打つ手が尽きそうで、どうしようかなぁ……みたいな感じ~」


 要は余計なことに首を突っ込んで、勝手に途方に暮れている、と言うわけか。


「放っておけばいいじゃないか」と言ったら、強い抗議が返ってきた。

「なに言ってるんですか。ダメです、それは!」

「そうそう。できない相談だよ、それはぁ~」


 どうやら二人の意見は、完全に一致しているらしい。


「泣いてる子供を見て見ぬふりなんて、筋が通らないじゃないですか! 道理ポイント大幅減点です!」

「こんなおもしろい状況、見過ごして帰るなんて! 桶狭間で奇襲をかけない織田信長みたいなものだよ~!」


 いや、一致してないぞ、これ。


 足衛が二十並草に食って掛かる。


「おもしろいとはなんですか、二十並草先輩! 倫理観をお持ちでない!?」

「へへへ~。ねえねえ。この子が自力で立ち上がれるかどうか、応援生配信しようよ。盛り上がりそうじゃな~い? ハルくん、どう思う?」

「人間性を薪にキャンプファイヤーする気か?」


 さぞ盛大に炎上することだろうよ。


 この優し気な見た目からは想像もつかないだろうが、二十並草はあらゆる物事を「おもしろいか、おもしろくないか」の物差しだけで判断する、クソ野郎だ。


 こいつ、教育上の観点から、子供に近づけさせない方がいいんじゃないか……?


「見ての通りです、神蛇原先輩。二十並草先輩は全っ然、頼りになりません。頼れるポイント零点です。ですから、どうか、お願いします。この子をなだめるのに手を貸してくれませんか? ね?」


 そう言って足衛が手を合わせてくる。ほーら。やっぱりダルいことになった。


「……悪いが、俺は見境のない人助けってやつが大嫌いなんだ」


 北風と太陽の攻撃が治まったことで、女の子の方も多少は落ち着いたように見える。だけどまだまだ泣き止むまでには至らない。両袖はもう涙でびしょ濡れだ。


 俺は彼女の脚に目をやった。たしかに、膝は派手にすりむいている。こうして近くにいるだけで、俺の膝にもじりじりと焼けるような痛みがある。俺の膝が、彼女の傷に共振してしまっているのだ。


 お察しの通り、これが【傷病共振症状ペイン・コレクター】のもう一つの有害症状。近くに傷病を抱えた人間がいると、それだけで俺は、勝手に痛みを共有してしまうのだ。


「他人の痛みが分かる大人になれ」なんて無責任なことを、誰でも一度は言われたことがあると思うけど、ハッキリ言ってお勧めしない。少なくとも俺は、痛いのも苦しいのも大嫌いだ。


 ……。ちっ、しょうがない。


 俺は無理矢理に、女の子の細腕を引っ張り上げた。


「しゃんとしろ。いつまでそうしてる気だ」


 二十並草が声を上げる。


「ああ~、ハルくん、乱暴は駄目だよ~?」

「知るか。痛いの痛いの飛んでいけ、へびつかい座まで飛んでいけ――、なんておまじないをやってもらわないと、泣き止めないのか? ほらよ」


 俺は二十並草の方に……いや、やめとこ、足衛の方に女の子の背中を押した。


「あ。先輩、今!」


 目敏く俺の行動に気が付いた足衛は、女の子の膝を覗き込む。そこにあったはずの傷は、忽然と消えていた。これにはさすがの女の子も、涙を引っ込め、ぽかんとしている。


「ふん。次から走り回る時は、せいぜい足元に気を付けるんだな」


 俺は捨て台詞を残して、その場を後にした。


   ●


 少し離れて、制服のズボンをまくり上げる。


「痛ぇ……」


 見れば膝のところに痛々しい傷ができていた。女の子の膝から消えた傷と、場所も形もピッタリ同じだ。


「……ちっ、余計な傷を負った」

「へへへ~、ハルくんはおもしろいねぇ~」


 ズボンのすそを下ろしたところで突然、声をかけられる。いつの間にか俺の隣に二十並草がいた。俺は二十並草の訳知り顔を睨みつけ、一応シラを切ってみる。


「なんのことだ」

「またまたぁ~。アレなんでしょぉ? 例のパ……、いやピ? プ? とにかくパ行から始まるなんとかかんとかみたいな名前の……」

「もうちょっとがんばれよ! 【傷病共振症状】と書いて『ペイン・コレクター』だ!」

「そうそう、それそれ! ほ~ら案の定。それで治してあげてたんじゃぁ~ん。素直じゃないねえ」

「ぐっ……」


 墓穴を掘った。


 そもそも二十並草や足衛とは、六陸厚生病院の異能外来で出会った仲だ。付き合いも五年以上に及ぶ。症状のことは、お互いに熟知していた。誤魔化し通せるはずもない。


 言葉に詰まっていると、背後から軽やかな足音が駆け寄ってきた。


「神蛇原先輩~!」


 今度は足衛が追い付いてきた。彼女も二十並草と同じような訳知り顔で、俺の隣に並んだ。


「さすがです。奥ゆかしいポイントがあったら百点満点ですね! あたしは分かってますよ。使ったんですよね、アレ! 『パイン・コレクター』みたいな名前の……」

「惜しいけど、そんな美味しそうな名前じゃねえよ!」


 まったく。人助けなんて、ばかばかしいことで褒められるのは、小学生までで十分だ。ふてくされて歩調を速める俺を、足衛が慌てて引き止める。


「あ、待ってください。今晩もやるんですよね、闇医者活動!」

「わ、バカ! 少しは声を潜めろ!」


 俺は慌てて彼女に人差し指を立てる。


「俺たち三人が『路地裏の診療所イリーガル・クリニック』であることは、誰にも明かしちゃダメだって約束だろ!」

「そ、そうでした。申し訳ありません……」


 最近、六陸に出没するペストマスクの闇医者集団、『路地裏の診療所イリーガル・クリニック』。それは【傷病共振症状ペイン・コレクター】を実験するために、俺が立ち上げた秘密研究機関だ。


 足衛と二十並草はそれぞれ、助手A、助手Bとして、俺の計画を手伝ってくれている。


 本来この活動は、俺だけで進めるべき実験だ。なにせやっていることは無免許での治療行為。犯罪だ。


 だから実際、ばあちゃんが倒れた直後は、俺一人で動いていた。だけど結局、行き詰まってしまった。そこでこの二人に声をかけて、協力を頼みこんだのだ。足衛も二十並草も、二つ返事で引き受けてくれた。


 二人には滅茶苦茶感謝している。だからこそ、その経歴に汚点を残すことは避けたい。俺たちが『路地裏の診療所イリーガル・クリニック』であることは、バレてはいけない秘密なのだ。


「俺たちは影の組織だ。こそこそ治療して、被検体どものデータをいただく。それだけでいい。だからこそ、なんだ。それを忘れないでくれ」

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