03「計画」

「……ッ!」


 少し行ったところで、俺は心臓の痛みに耐えきれなくなって、足を止めた。


 杖を取り落として、壁に手を突く。左胸が締め付けられるような感覚。この場所の痛みは、他のどんな痛みより切実だ。背中に走る冷たい感覚は、命の危険を察知した身体の悲鳴だ。こういう時は、歯を食いしばって耐えるしかない。


「お、おい君、大丈夫かい」


 通りすがりの親切なおじさんがやってくる。けどその声は、まるで膜を隔てた向こう側から聞こえてくるようだ。今はとにかく、自分の脈の音がうるさい。応対する余裕はなかった。


 じっとりにじむ脂汗も拭わず、落ち着くのを待つ。


「ふっ、このままじゃ死ぬ……か」

「えっ、このままじゃ死ぬ!?」


 異能病【傷病共振症状】――俺は「ペイン・コレクター」とルビをふっているのだが――とにかくこいつは、他人の病気や怪我を消失させることができる。世にも珍しい、治療系の異能症状だ。


 ただし、こいつには二つの有害症状がある。その一つが、消した傷病を自分の身体に引き受けてしまう、というものだ。


 治療系の異能だなんて格好つけたけど、傷病を治療していると言うよりは、自分の身体に引き受けていると言う方が実態に近い。


 この症状のせいで、死にかけたこともあった。


 あれは六年前、ペットの犬が交通事故に遭った時のこと。瀕死の重傷を救ってやろうと無我夢中でおまじないを唱えた俺は、全身の骨がひび割れる音を聞いて、病院に担ぎ込まれた。


 以来、何人もの医者たちから、同じことを言われ続けてきた。


『ストップ異能、ダメ、絶対!』


 言いつけを守って治療能力さえ封印しておけば、おれの異能病に命の危険はない。悪性度グレードこそ「有害症状をコントロールできず、心身や生活に大きな影響がある」3相当だけど、気を使ってさえいれば日常生活は送れる、ギリギリ安全な部類と言える。


 だけど最近の俺は言いつけを破り、【傷病共振症状ペイン・コレクター】を乱用していた。実験と称して、手当たり次第に他人の傷病を引き受けまくっている。こうして心臓の痛みに苦しんでいるのも、その結果だ。これは先日、心臓病の子供を治療した際の代償だった。


 さすがに心臓病の治療はやりすぎたと思わないでもない。それでも俺は、実験をやめるつもりなんてなかった。


 昏睡状態にあるばあちゃんを救うには、【傷病共振症状ペイン・コレクター】が頼みの綱だ。この異能なら、現代医療で治せない病にも太刀打ちできる。


 問題は、何故かこいつが異能病にだけは、まったく効果を発揮しないことだ。先ほどのように、一瞬だけなら手応えを感じるのだけど、すぐに不発に終わってしまう。その原理も、今のところは分からない。


 仮説としては、単純に治療の力が足りていない――つまり異能力が弱い、ということが考えられる。


 であれば、とるべき方法は決まっている。異能の重症化だ。俺の病気をより悪化させれば、あるいは治療能力が向上することがあるかもしれない。ばあちゃんの意識を取り戻すことだってできる……かもしれない。だからこその実験だ。


 俺には諦める気なんて、毛頭ない。


 この世に、「どうしようもないもの」があることは知っている。病気、人の心、世界情勢。どう足掻いても覆すことのできない現実は、いろいろだ。


 だけど自分の直面している問題が、本当に「どうしようもないこと」なのかどうか。すべてが終わるまで、答え合わせはできないものだ。だからその瞬間までは、ありったけの知識と知恵を絞って、八方手を尽くして、状況打開の処方箋を探し続けるべきなのだ。


 異能病で苦しんでいた小学生時代の俺に、そう教えてくれたのは、他ならぬ黒杉先生だった。それは紛れもなく、俺のつらい闘病生活を変えた言葉だ。自らの病気と向き合い、その治療に挑む俺を支えてくれた。そしてその言葉は今も尚、俺の中に深く根付いている。


 俺は「処方箋」を探し続ける。手段なんか選んでいられない。使えるものはなんでも使う。それが自分の病気であっても、だ。


 たとえこの身が滅びようと、可能性「かもしれない」がある限り、俺は家族のために戦い続ける。


「……ふぅ」


 じっとしていたおかげで、徐々に心拍数が落ち着いてきた。「廊下の片隅で心臓を抑えてるのって、ちょっとカッコよくないか?」……なんてことを考えられるくらいには、持ち直した。


「おい君、本当に大丈夫なのかい?」


 通りすがりのおじさんは、ずっと傍らにいてくれたらしい。良い人だ。俺は笑顔を作った。


「ええ大丈夫です。ちょっとあちこち調子が悪いだけなんで、全然、問題――ゴバッ!」


 タイミング悪く咳が出て、ついでに派手に血を吐いた。おじさんが目を白黒させる。


「きゅきゅきゅ救急車! 誰か、救急車を!」


 血を見てパニックを起こしたのか、助けを呼びに走り去って行ってしまった。驚かせてしまったらしい。わざとじゃなかったとはいえ、悪いことをしてしまった。


 俺はハンカチで強く口元を拭う。べったりと黒い血がついていた。


 実は口から血を吹くという症状にも、吐血や喀血、口内出血など様々なパターンがある。それぞれ消化器系由来か、呼吸器系由来か、あるいは口内の傷由来か……という違いがあるわけだ。まあなんであれ、口から血が出たら即刻、医者にかかるのが賢明だ。


 だけどそれは、今の俺には無理な話だ。


 異能病を重症化させるということは、それを治そうとする医者の意向に、真っ向から逆らうということだ。診察なんて受けられるわけがない。主治医だった黒杉先生に顔を合わせることだって、気まずいのだ。


「……先生にバレた以上、この病院でこれ以上の実験をするのは無理、か」


 俺は血の味がする唇をかみ、壁のポスターに目をやる。


『異能かな? と思ったら異能外来へ!』

『異能病の治療には、長期的な医師の診療が重要です』


 そんな文言を、皮肉な気持ちで眺める。


 悪いが俺はまだまだ大丈夫だ。だから、もっともっと――


「――不健康になってやる!」


 行こう。この後は仲間たちとの待ち合わせがある。俺は杖を拾って、病院を抜け出した。

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