02「院長先生の忠告」
俺は病室に人がいないことを確認しながら、枕元に向かう。
よし。やるぞ。
物言わぬばあちゃんの、しわだらけの額に手を添える。そして力強く、唱える。
「痛いの痛いの飛んでいけ、へびつかい座まで飛んでいけ……!」
俺の手が熱を帯び、薄ぼんやりとした光を放つ。だけど「いけるか?」と思ったのも束の間、おぼろげな反応は風に吹かれたようにあっさりと消え去ってしまった。
静寂が訪れる。遠くで鳥が鳴いている。じわじわこっ恥ずかしさが押し寄せてきた。
分かってる。バカバカしいおまじないだ。出典はずっと昔の子供向けアニメ『マジカルヒーラー・
だけど順序だてて言い訳させてほしい。
まず知ってほしいのは、俺自身も異能病を患ってるってこと。そしてその力は、使いようによっては他人の怪我や病気を、治療できるってことだ。
そう、これこそが俺の勝算の正体だ。俺はこの症状で、ばあちゃんを救えると考えている。
ただし、こいつには欠点がいくつかあった。その一つが、おまじないを唱えないと制御できないってこと。こうなってしまった原因は、俺がこの異能を患った十年ほど前にまで遡る。
当時の俺は愚かにも異能を使う際、テレビアニメの主人公を真似て、あのおまじないを唱えていたのだ。もちろん一度や二度じゃない。何度も何度も。何年も何年も。その結果、おまじないがルーチンとして馴染んでしまったのだ。
馬鹿みたいだって? 俺もそう思う。本当にもう、後悔しかない。異能病の発症がもっと後だったなら、ちゃんとカッコイイアニメを見てたのになあ! 口上だって、もっといい感じのダークでエッジの利いたやつにしてたのに。なにが悲しくて、こんな子供っぽいおまじないを……。
で、腹立たしいのは、羞恥に耐えておまじないを口にしたにもかかわらず、ばあちゃんがピクリともしないことだ。
これで六十三回目の失敗。そう。こんな羞恥プレイを、六十三回もやっているのだ! こんなところを誰かに見られたら、舌を噛んで死なねばなるまい。
そう唸った矢先……
「そこまでだ、
「ごばーっ!」
背後から聞こえてきた声に、思わず血を吐いた。ハンカチで口元を抑えて振り返ると、病室のロッカーから飛び出してきた男がウインクを決めていた。
ダンディの化身が白衣を着たようなその男は、よく知る人物だった。
「げっ、黒杉先生……!」
「げっ、とはなんだね、げっ、とは」
六陸厚生病院の創始者にして、「異能外来の名医」と名高い人物――それが彼、黒杉
しかも院長なのに積極的に診療をこなし、その腕はたしか。話し上手で、患者たちからの信頼も篤い。
だけど今の俺にとって、彼はあまり顔を合わせたい相手じゃなかった。
「神蛇原治希君。最近、全く定期診察に来なくなったね。かかりつけの医師を変えただけなら構わないが……、まさかどこの病院にも通っていない、なんてことはないだろうね」
「……」
「誰しも身体のチェックを怠るべきではないが、君の場合は特に注意が必要だ。それは君自身がよ~く知っているはずだ。……最近、調子はどうなんだい?」
「不眠気味で、頭痛と眩暈と貧血が絶えません。あちこち謎のあざが出来てたり、うまく動かなかったり。それから呼吸が苦しかったり、動悸が治まらないなんてこともしょっちゅう。ここ数日は胃の調子も最悪ですね。でも、それ以外はいたって健康なので、ご心配なく!」
「それを健康とは言わないよ、君?」
食い気味にツッコんで、黒杉先生は眉間のしわを揉んだ。彼は容赦なく指摘する。
「キミの異能症状――他者の病や怪我とシンクロしてしまう【傷病共振症状】。その代償は決して軽いものではない。甘く見ていると……いつか本当に死んでしまうよ」
死……!
「もっと真剣に自分の身体を労るべきだ」
「……してるつもりです」
「本当にそうかな? ならさっき異能力を使おうとしていたのは、私の見間違いかな?」
「んんっ!」
やっぱり見られていたか。俺は思いっきり舌を噛んでみたけど、生憎と顎の力が足らず、痛い思いをしただけだった。黒杉先生は続ける。
「おばあさまが倒れてからの君は、様子がおかしい」
「な、なんのことです?」
「君、最近その症状を乱用しているだろう?」
図星を突かれ、動揺しそうになる。黒杉先生が、じっとこちらを観察しながら、話を始めた。
「守秘義務があるので詳細は伏せるが……、うちには先天性の心臓病で定期的な検査に来ている子供の患者がいてね。それが先日、回復に転じた」
「……医者の腕がよかったんですね」
「いや、医師の腕は関係ない。その子は、医者の手を借りずに、いつの間にか、自然回復したのだ。人生五度目の手術を目前にして、ね」
頬を伝う汗が冷たい。
「病気が治るのはいいことですよね?」
「もちろんだとも。患者が健康になるのはいいことだ。しかし、だね」
黒杉先生が身をかがめて、徐々に顔を近づけてくる。
「他にも胃を
もう黒杉先生は鼻先にまで迫っていた。オーデコロンの匂いが鼻腔をくすぐる。
「は、ははは、治療系の異能持ちなんて、そうそういませんよ。レアな症状ですからね」
「はっはっは、そうだとも。そうそういない。だが私は少なくとも一人、そういう真似ができる患者を知っているよ」
「……」
「使っただろう。君」
ああ、そうだ。すべて黒杉先生の指摘通り。俺はここ最近、自らの異能病を利用して、他の患者たちを無断治療しまくっていた。すべては実験のためだ。
「異能は封印したまえ。それが君の健康を守るための、唯一最大の治療だ」
ため息交じりの黒杉先生に、俺は返事をしなかった。その指示は守れないと分かっていたからだ。そんな俺に向かって、黒杉先生は微笑んだ。
「さて……、それではせっかく病院まで来てくれた神蛇原くんに、プレゼントをあげよう」
なんだろう、と顔をあげて、とり出された書類に悲鳴をあげた。
「ほ~ら、健康診断のフルコースだ!」
「やだーっ!」
「やだーっ、ではない。むしろ喜びたまえ。健康診断の予約はいつもいっぱいだが、なあに、院長権限で君の分をねじ込むとも! そこにサインし、受付に届けておくように」
書類に同意したが最後、針で皮膚を貫かれ、まずい薬やカメラを飲まされ、一日中身体という身体を物のように弄ばれることになる!
「さあ、共に健康な明日を目指そうではないか!」
黒杉先生の手が、有無を言わせぬ力で俺の肩をつかむ。俺は大声をあげた。
「あー! 窓の外に全身粉砕骨折の要救助者が!」
「なんだって! いけない、一刻も早く救助を……って、いやいや、そんなわけがなかろう。ここは三階だぞ、君……って、あっ、しまった!」
黒杉先生が我に返った頃には、もう遅い。俺は足を引きずり、病室を逃げ出していた。
「病院の中で走ってはいけない! 待ちたまえ! 待ーちーたーまーえー!」
しつこく呼び止めてくる声が聞こえなくなるまで、杖を頼りに逃げ続けた。
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