05「危険な患者・その一」

 陽が暮れた。落書きだらけのシャッターが並ぶ駅前商店街。俺たち三人は、その空き家の一つに忍び込んでいた。二階で、あらかじめ隠しておいた黒い外套を着こみ、ブーツに履き替える。鞄の口から覗いているのは、大枚をはたいて購入したペストマスクだ。


 これは『路地裏の診療所イリーガル・クリニック』の活動衣装だった。動きやすさ、匿名性、そしてなによりイカした見た目。三拍子そろったナイス衣装だ。だけども、仲間たちからの評判はあまりよくない。今日も足衛あしえが不満を口にした。


「前から思っていたのですが先輩、このペストマスクやめにしませんか?」

「なんだと⁉」


 足衛が困ったようにマスクを指さす。


「あ、いえ。先輩のセンスにケチを入れたいわけではないのですが、ほら、視界は悪いですし、走ると呼気もこもりますし……」

「それになにより、ダサいよねぇ~!」


 二十並草はたなみくさまで追随する。足衛は慌てて、手を振った。


「ダサいなんて! あ、あたしはそこまで思っているわけでは!……ま、まあ、変態みたいで気が引けるなぁ、とはちょっぴり思っておりましたが」


 おまえら、そんなふうに思ってたのか……! 嘘だろ。こんなにイカしたマスクの魅力が分からないだなんて。……それとも、もしかして俺のセンスの方が問題なのか? いや。そんなはずない! ペストマスクがカッコいのは、人類の共通認識だ!


「衣装に関する文句は受け付けん!」


 俺は二人のブーイングを無視して、背中を向けた。そしてひび割れた窓から、通りを見下ろす。時刻はすでに九時過ぎ。人通りはかなりまばらだ。


 疲れた顔の大人や、虚ろな目の若者を一人一人見送っていく。その度に【傷病共振症状ペイン・コレクター】が働き、彼らの体調がほのかに伝わってきた。疲労や肩こり、腰痛や頭痛……。そんな感覚がやってきては、また通り過ぎていく。まったく現代人は病んでいる。


 俺は実験体にふさわしい獲物を品定めしながら、空いた手でゼリー飲料水を取り出した。夕食代わりだ。見張りをしながらでも、手軽に栄養摂取できる。


 だけど足衛がこれに眉を吊り上げた。勢いよく隣に這い寄って来る。


「あ、神蛇原かんじゃばる先輩、またそれですか? ダメですってば! ちゃんとした料理も食べないと、健康ポイント、大幅マイナスですよ! 何度も言ってるじゃないですか」

「いいんだよ、食欲ないから」


 反対側にやってきた二十並草も、いつの間にか取り出した弁当箱を手に、便乗してくる。


「わがままはダメだよ~。ちゃんと野菜も食べなきゃ。ほ~ら、唐揚げの下に敷かれたレタスを、君にあげよう~」

「自分の嫌いなもの俺に押し付けるな」

「あれぇ~、バレた?」


 二十並草はヘラヘラ笑い、レタスをかじる。速度が速すぎて、ハムスターの食事のようだ。だけど吸い込まれていくレタスは、途中でピタリと止まった。


「あ! 見てアレ!」


 二十並草の目は、窓の外に向けられていた。視線を追いかけて、俺も気が付く。


 通りに、一人の少女がいた。


 異様に目を引く姿だ。小さな身体が、全身包帯まみれ。ぎこちない手つきで松葉杖をつきながら、よたよた、ふらふらと歩いている。


「うぇへへ、ミイラだよ、ミイラ! なんだか、ハルくんを見てるみたいだねぇ!」

「いくらなんでも、あんなに酷くないだろ」


 すると足衛が、「開いた口が塞がらないポイント百点!」と言いたげな視線を向けてきた。


「神蛇原先輩、ご自分の左腕の怪我を上から順に説明できますか?」


 そう言われて自分の左腕に目を落とす。


 肩から上腕部にかけての打撲は、数日前「異世界に行く」とか抜かして、トラックと接触した自殺志願者から回収した傷だ。その少し下から前腕にかけての火傷は、大食いチャレンジ中にラーメンをひっくり返した女子高生から。手首の捻挫は駅の階段を転げ落ち、連続倒立回転を披露する羽目になった老婆から。


 この他にも親指の腱がイカレて曲がらなくなっていて、人差し指と中指の爪が――


 説明している途中で、足衛が白目を剥いて倒れてしまった。慌てて彼女の肩を抱き上げる。


「お、おい、大丈夫か!」


 すぐに復活した足衛は、キッと目を吊り上げ、叫んだ。


「大丈夫じゃありませんッ!」

「うおっ!」

「左腕だけでこれですよ? 聞いてるだけで、クラクラしてきました。人に大丈夫か、なんて聞いてる場合じゃありませんよ! 全然、大丈夫じゃ、ありません!」

「……えーっと」

「実験も結構ですが、先輩は一度、身体を休めるための時間を作るべきです。ちょっと、聞いてますか? 真面目な話をしているんですよ!」


 凄い剣幕だ。病院で集めてきた傷病もあると知ったら、もっと怒られそうだな。


 実は病院での治療実験について、俺は二人に一切の報告をしていない。あれは、『路地裏の診療所イリーガル・クリニック』での活動とは別に、こっそり進めていた実験だった。だからそっちで心臓やら胃やら肺やらに病気を抱え込んだことは、俺だけの秘密になっている。二十並草はともかく、心配性の足衛には伏せておきたい。


 俺は苦し紛れの笑顔で、手を広げる。


「まあ、落ち着け。あまり騒ぐと下の患者に気付かれて、治療実験に、支障が……あれ? 待てよ?」


 俺は、ふいに違和感に気が付いた。さっきから、「本来ならあるはずのもの」がない。それを確かめるため、急いで窓に張り付いた。二十並草が首を傾げる。


「ハルくん、どうかした?」

「痛みが……ない?」


 俺の【傷病共振症状ペイン・コレクター】は、近くにいる人間の傷や病と共振し、その苦痛を感じ取る。これはおよそ十メートル圏内の傷病には、自動で反応するものだ。今の俺と少女の距離感だったら、まず間違いなく機能している。にもかかわらず、どうしたことか、あの少女からはなんの苦痛も伝わってこない。


「まさか、怪我しているふり……ということか?」

「ええっ? なんのために、そんなわけのわからないことを?」


 足衛の発した疑問は、三人の首を一斉に同じ方向へと傾けさせた。さっぱり分からない。


 そこで二十並草が提案した。


「じゃあ、確かめてみようよ!」

「……そうだな」


 もし彼女が健康体なら、ケガ人のフリをする訳を聞いてみればいいし、逆に不健康体だったなら、【傷病共振症状ペイン・コレクター】の被検体にすればいい。もしかしたら今までにない、貴重な症例かもしれない。


 なにがばあちゃんを助けるアイデアの種になるかわからないのだ。今はどんなデータでも集めておきたい。


「よし、行くぞ。『路地裏の診療所イリーガル・クリニック』の強制診察を開始する」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る