いつかの終点を夢に見て

 エキシビジョンマッチを終えた翌日、ルチアは大型のキャリーケースを抱えて玄関に立っていた。ケースの中身は新生活で用いられる日用品、行先は叢雲むらくも学園の学生寮。


 ソフィーとの話し合いを終えたルチアは、そのままロサンゼルスヘイローズ所属としての最期の夜を仲間達と楽しんだ。


 過去に戻れるのなら、ルチアは仲間達に指摘する勇気を、仲間達はルチアの才能に追いつくだけの努力を求めた事だろう。だが、もはやそれは叶わない。道は違えてしまったのだから。


 一度は引退すら考えた。しかし、いつかルチアの隣に立つ。仲間達が新たに立ててくれた約束のおかげで、ルチアは前を向くことが出来た。


 道は違えた。けれども、辿り着く先は一緒なのだ。何を悲観する必要がある。


「持ち物は、良し。絶好の旅立ち日和ね」


 別れを終えた以上、いつまでもここに留まれば未練が生まれる。玄関に差し込む光は、まるでルチアの旅立ちを祝福してくれているようだった。


 両親への挨拶はさっさと終えてしまった。今生の別れではない。それどころか数時間あれば、再会が可能な距離。何か思う事があれば、後からでも伝えるのは容易いのだから。


 ルチアが玄関の扉に手をかけた時だった。


「ルチア」


 振り返ると、父であるロレンツォの姿があった。


「なに? パパ」


 前日は仲間達との話し合いに時間を使ってしまった。今日は挨拶も早々に出かける準備を始めてしまった。


 ロレンツォとルチアの間にあったわだかまりは、いまだに解決していなかった。久しく無かった君が付かない名前呼び。それに合わせて、久しぶりにコーチを父と呼ぶ。


「新しいチームは、どう思う?」


「そんなのまだ分からないわよ。ただ、直美が今更になって年齢の話題を出してきたから、飛び級の証明データを見せつけてやったの。そしたら、あんぐり口を開けて大げさに驚いてたわ。あれは傑作だった」


「……」


 彼女は多くの努力を重ねてきた。リンドブルムレースに関連する事はもちろん、基礎体力向上のトレーニングや知識を深めるための学業も。


 飛び級証明はそんな努力の過程で手に入ったおまけのような物だった。ただ、そんな宝の持ち腐れが新たな道を切り開く一助となるのだから、人生というのは面白い。


「それにね。兎羽とわなんて私が移籍選手だって事を、言われるまで気が付かない鈍感女だったし、みさおはいまだにガキ扱いするし、夜見よみは常識人振ってるけど、たぶん中身は他のメンバーと大差無いの!」


 これまで私的な会話を極力避けていたにも関わらず、いざ覚悟を決めて話してみれば、すらすらと言葉が生まれてくる。


 それも当然だ。なんせ彼女はミドルスクールの一年生。まだまだ父親が必要な年齢だ。


 無理やり押さえつけていた感情を抑制する必要が無いと分かった今、不足していた分の親子の愛を無意識に求めだしたのだろう。


「それで?」


「……上手くやっていけそうよ。私の一番は埋まっているけど、二番目ならいいかもと思えるくらいには」


「そうか……」


「……」


 だが、愛を求めようにも自分は旅立ってしまう。それどころか歩み寄りこそ始めたが、根本的なすれ違いの修復は成されていない。 


 その自覚があるためかロレンツォはいつものような勢いがなく、ルチアの方は空元気に近いため会話がどうにもぎこちない。このままでは微妙な関係のまま、物理的距離まで離れてしまう事になる。


 それは許されなかった。ルチアの目の前に立つロレンツォは、会場にて影山から約束をされていたのだ。


 今回の騒動を反省しているなら、娘との関係を修復しろと。


 そして、話すタイミングを逃し続けた旅立ちの朝。本当は一緒に娘の門出に立ち会いたいだろう妻に尻を蹴飛ばされ、この場が実現するに至ったのだ。


 二人を敵に回せば後が怖い。そもそもロレンツォ当人も、このままではいけない事は分かり切っていた。


 あそこまで自分を嫌悪していた娘が、歩み寄りの態度を見せているのだ。自分が口に出さないでどうする。


 意を決したロレンツォは、世渡りのための仮面を全て捨て去って娘に向き合った。


「すまなかった」


「えっ?」


 困惑する娘の声。それを気にせず、ロレンツォは言葉を続ける。


「あの日、俺がやるべきだった事は、表彰前のスカウトを裏へ追いやり、俺を知る奴らの賞賛を遮り、の言葉からお前を守ってやる事だった」


「それは……」


「なのに俺は何一つ父親としての役割を果たさず、やったことといえば、自己満足で娘を傷付けただけだ。もっと上手くやれた。大人の俺には出来る事がたくさんあった。その中で最悪を選択してしまった。本当にすまなかった」


「パパ……」


 掛け値無しの言葉だった。ルチアが呪いに縛られていたように、ロレンツォも呪いを受け入れてしまっていたのだ。


 せめてあの場で娘を守っていれば、自身の行いを娘に話す機会を作っていれば、事態はここまでこじれずに済んでいたかもしれない。


 それをずっと後回しにし、あまつさえ娘が自分を嫌悪しているだろうと、遠ざかるがままにしてしまった。


 ルチアと仲間達の顛末を聞いてロレンツォは悟った。彼女達と同様に、自分達にも会話が足りていなかったのだと。


「言いたい事はそれだけだ。旅立ちの気分を汚してしまって悪かった」


 言いたい事は言い終えた。ロレンツォはきびすを返し、家の中へと戻ろうとする。だが、その腕を掴まれた。掴む者など、この場には一人しかいない。


「私もごめん!」


「なっ……」


「パパにはパパの事情があったはずなのに。あれだけ愛してくれた人が、意味も無く他人を虐げる筈が無いのに! なのに私は言葉を鵜呑みにして、手にした事実だけで勝手な解釈をしてた!」


「ルチア……」


「歩み寄る度胸が無かった! 話す勇気が無かった! 本当は、本当はもっと早く、今までの関係に戻りたかった!」


「ルチア!」


 いつの間にか肩に乗せられないほどに成長した娘を、ロレンツォは抱きしめた。本当はもっと与えてやれはずだった愛を込め、力の限りルチアを抱きしめた。


 そうしてどれだけの時が過ぎ去っただろうか。ポツリとロレンツォが口を開いた。


「自分の手でお前を導けなかった事を、本当に申し訳なく思う。けれど、影山は信用出来る男だ。俺と違って不愛想なのが玉に瑕だがな」


「うん。私、頑張るから」


「あぁ。だが、頑張りはほどほどに_」


「何言ってるの。ソフィー達は私に追い付くって言ったのよ。そんな私が公式大会の一回戦落ち常連だったら、みんなに顔向け出来ないじゃない。頑張るわ。今よりも、ずっと、ずっと」


「……そうだな。頑張り方も、頑張る量も、今度は教えてくれる奴がいる。力の限り頑張ってみて、無理をしたら叱られるといい」


「うん」


 今度こそ別れを終えたルチアは、無言のまま見送るロレンツォに一度だけ振り返ってそのまま歩き出した。


 新天地を目指す彼女の表情は、旅立ちにふさわしい晴れやかな顔だった。


____________


 これにて第二章は完結です。ここまで読み進めていただき、本当にありがとうございました!


 次章に関しては書く予定はありますが、おそらく次回のカクヨムコン付近での連続投稿になると思います。


 一年近く期間が空いてしまいますが、それでもふと目に付いたら、お手に取っていただけたら幸いです。あらためて、本当にありがとうございました。

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