求めた救いはすぐそばに

 娯楽のすいを凝らした人工メガフロートといえど、夜間の海上部、それもナイトプールなどが隣接する方面とは逆側ともなれば、人足は滅多に無い。加えて、現在は先ほどのエキシビジョンマッチを語り合う事に全員が夢中だ。滅多に無い人足は皆無となっていた。


「……」


 ルチアは海を見ていた。


 引いては返す波打ち際を、ただ見ていた。


 ゴールを果たし、敗北が決定付けられた瞬間。ダイブから帰還したルチアはそのまま走り出していた。仲間達の多くはレースの途中、唯一制止の言葉をかけたディオルすらも振り切ってここに辿り着いてしまった。


 薄情者だという自覚はある。けれど、何もかもを捨て去った末の敗北に、彼女は耐えられなかった。仲間達の顔すらまともに見られない状態だったのだ。


 多くがない交ぜになった感情。しかし、それも一人になったことで、いつの間にか消沈してしまっていた。


 きっと会場内では、表彰式が行われている事だろう。レースを見届けた観客達はルチアがいない事を訝しみ、疑問の声を上げるだろう。仲間達にも少なからず迷惑をかけた事だろう。


 だが、顔すら見れない自分が、仲間達の隣に立てる訳が無い。それどころか、表彰中に泣き出してしまう可能性すらある。そうなれば多くの憶測を呼ぶ。ルチアを呪った少女の行いを、自身で再現してしまう事になる。


 それだけは嫌だった。仲間達はもちろん、相手チームにも、距離を置いていた父にだって呪いを伝染させるのは御免だった。


「もう、終わりね……」


 ほら捨てた。やっぱり捨てた。あの時の私は正しかった。


 ルチアを苦しめる呪いの言葉。それが敗北した瞬間から水を得た魚の様に、苛烈さを増していた。


 周囲に人がいない状態ですらこれなのだ。人込みに混じれば、周囲の目線が、他愛ない雑談が、ふとしたタイミングでぶつかった肩が、全て悪意ある行いに書き換えられてしまうだろう。


 そんな状態の自分が、別のチームに移籍して何になる。無気力なまま失敗を繰り返し、迷惑をかけ続けるだけだ。


 父との約束を破る事になる。自分を目当てにしていたらしい、叢雲むらくもの思惑を遮る事になる。そして、仲間達を苦しめる事になる。だがそれでも、この呪いから遠ざかれるなら仕方が無い。もう限界だった。


 ルチアはこの日をもって、リンドブルムレースから距離を置くつもりだった。


「隣、邪魔するぜ」


「……」


 そんな考えを巡らしていたルチアの後ろに、いつの間にか一人の人物が立っていた。彼女はルチアの返答すら待たず隣に歩み寄ると、どっかりと腰を下ろした。


 拒否するタイミングを完全に失ってしまった。今更離れてくれなんて言えないし、人込みから逃れられるこの場を放棄する事も難しい。ルチアは仕方なく、突然の来訪者である直美を無言で受け入れることにした。


「表彰式は無事に終わったよ」


「……」


「お前の親父さんが機転を利かせて、代表者だけの式にしてくれた。そっちはソフィーって子が、慣れないながらも必死に胸を張ってたよ」


「……そう。なら私は、敗北のショックで泣きはらしているといった所かしら」


「よく分かったな。さすが親子」


「……」


「……」


 いつもの気力があれば、直美の言葉にも言い返していた事だろう。いや、隣に座るのがソフィー達や兎羽、夜見であったのなら、きっと言い返せていた。ルチアが直美に言い返せなかったのは、彼女の言葉に一切の悲観が無く、思いやりを込めて事実を淡々と告げていたからだ。


「離れるつもりか?」


「……なによ。悪い?」


 何がなどと、無粋な事は言わない。きっと顔色で察せられてしまったのだろう。


「考えた末の行動なんだろ? 悪いわけがねぇ。だけど、好きな事から距離を置くってのは、お前の思う以上に辛い事だ」


「……」


 分かったような口を、などとは口が裂けても言えない。目の前の直美が、病によってリンドブルムレースに転向してきた人物である事は調べが付いている。


 先ほどの説明と同じだ。直美の言葉には打算が無い。ルチアに引退を踏み止まらせようとするのは、全てが実体験に基づく思いやりだ。


 だから言い返せない。仲間達すら遠ざけたのに、彼女を振り切って離れる事が出来ない。


「過去の私と違って、お前は選べる立場にあるんだ。その決断は仲間達と話し合って決めた事か? 衝動的に決めた事なんじゃないのか? それならもう一度だけ、話し合って_」


「出来るわけないじゃない!」


 仲間達を話題に出された瞬間、ルチアの感情を堰き止めていた蓋がはじけ飛んだ。


「勝つために損傷を強いたのよ! 勝つために無理を強いたのよ! それなのに、最後にはそこまでしてくれたみんなを切り捨てて……! どの面下げて話し合えって言うのよ!」


 団結によって勝利する。幼い頃に決めた指針を、自らの手で破り捨ててしまった。


 仲間達に顔向け出来るはずが無かった。仲間達からの非難が怖かった。だからルチアは逃げ出した。本当は努力への評価を、敗北への慰めを何よりも求めていたというのに。


「ルチア、お前は一つ勘違いをしてる」


 そんなルチアだからこそ、直美は助けてやりたいと思うのだ。苦手な話し合いの場に自ら赴いたのだ。


「勘、違い……?」


「どうして勝つための作戦を考えたお前が、後ろめたい気分にならなきゃいけねーんだ? どうして要所要所の最善を取っていたお前が、仲間の顔色を伺わないといけねーんだ?」


「そんなの、私達のチームは団結を第一に考えてたからで_」


「そこだよ」


「えっ?」


「リンドブルムレースは、常にリソース配分を考えなきゃいけないスポーツだ。エースに多くのリソースを割けるよう、潰れ役を用意する。苦手なコースが選ばれた奴を切り捨てる。どっちも私がになわされた役だ。今回の私に求められたのは、ゴールをする事だけだった」


「そんなの当たり前で_」


「なら聞くぞ。お前から見て私達は、団結の足りていないチームだったか? ただ勝利を目指すだけの、冷徹で友情なんて一片も存在しないチームだったか?」


「あっ……」


 そんなわけ無かった。叢雲は常に和気藹々わきあいあいとしていて、いつも誰かの短所を誰かが補っていた。ルチアの目指す理想がそこにはあった。いつの間にか失ってしまった光景がそこにはあったのだ。


「お前だけが潰れ役を担って、お前だけがチームの火消しに回る。こっちの方がよっぽど不健全じゃねぇか。ただ走らせるだけ、ただ直させるだけ。団結を目指すなら、まずはあいつらを信じて任せる事から始めるべきだったと思うぜ」


「っ! そんな余裕無かった! みんなの成長を待てるだけの余裕が私には無かったの! ずっとずっと、私の後ろにはがあった! どうせみんなを切り捨てるんだろって、が聞こえた! 負ければ負けるほど、強くなっていた! だから、だから私は……!」


「……遠回しに聞かされたよ。負けた腹いせに因縁を付けられたんだろ?」


「因縁じゃない! ただ事実を突きつけられただけで_」


「いいや因縁だ。だってお前の大切な仲間達は、誰一人だって切り捨てられるなんて思って無かったんだからな」


「はっ? そんなの、分かるわけ_」


「ルチアッ!」


 背後から声がした。耳に馴染む聞き慣れた声。急いで振り返ってみれば、そこには親友の姿があった。


「ソフィー……どうして……」


 こちらを一心に見つめる瞳に怯み、思わず後ずさりをしてしまう。そのまま反射的に走り出そうとした所で、直美に腕を掴まれた。


「目を逸らすな。いい加減、お前達は分かり合うべきだ」


「あっ……あぁっ……」


 ソフィーが近付いてくるたびに、ルチアの身体は震え、呼吸が荒くなっていく。当たり前だ。二度と顔を合わすつもりが無かった相手が、一刻も経たない内に目の前へ現れたのだから。


 きっと、どうして見捨てたんだと詰問される。結局はあの少女が言った通りかと呆れられる。最低だと罵られる。ありとあらゆる最悪が頭を過り、ルチアはぎゅっと目をつぶった。


「……えっ?」


「ごめん!」


 だが、想定していた衝撃は訪れなかった。ルチアを待っていたのは痛いくらいの抱擁。そして、親友の謝罪だった。


「ソ、ソフィー……?」


「ずっとずっと、謝りたかった! ルチア一人に任せ切りで、しかもそれが一番良いだなんて心さえも騙して! ルチアはこんなにも苦しんでいたのに! ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」


「どうして、どうして怒らないの……? 私はみんなを見捨てたのに……」


「見捨てられたなんて、誰も思ってない! むしろ、本当に見捨てていたのは私達の方! 自分達の限界を勝手に決めつけて、ルチアの努力に追い付こうとしなかった私達の方! だからルチア、これ以上自分を追い詰めないで。引退するなんて言わないで!」


「そんな……。だって、だって……私がいなくなったら、ロサンゼルスヘイローズは……」


「弱くなるよ。もしかしたら解散するかもしれない。でもね、今の私達は誰一人だって、ルチアに追い付く事をあきらめてない! 例え離れ離れになっても、何年かかっても、あなたの隣に立てる選手になってみせるから! だから、だから、行ってルチア! あなたにふさわしいチームの下に!」


「……うっ、うぅっ、うわあぁぁぁぁん!」


 ルチアの涙がソフィーの肩を濡らした。ソフィーは気にする様子も無く、ルチアを抱きしめ続けた。


 結局は些細なすれ違いだったのだ。ルチアは自分の行いを捨て去る事だと信じ、仲間達はルチアとの実力差で後ろめたさを感じて本当のコミュニケーションを怠るようになってしまった。


 ルチアが一人で解決する事を選ばなければ、あるいは誰か一人でも彼女のように変わる決断を下せていれば、ここまで拗れることは無かったのだろう。


 だが、それらは全て過去の話だ。彼女達は分かり合えたのだから。


 表彰式から一時間後、ルチアの叢雲学園への移籍が正式に通達された。

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