届かせたあと一歩

「ほ、ほんとうにやるんですね。今宵こよい先輩……」


「もち、男に二言は無い」


「今宵先輩、あなたは生物学上女性です」


「女にも二言は無い。というより、二言を残す女は大抵ろくでもない」


「いえ、そういう事を聞きたいわけじゃ……あぁもう! とんでもない博打作戦ですよ! 失敗したら、とんでもない衝撃に襲われますよ! ショックでご飯が喉を通らなくなるかもですよ! いいんですね!?」


「イエス、アイアム。兎羽とわ


「これなら勝てるんですもんね! だったら何だろうとやってやります!」


「あぁもう兎羽ちゃんまで! 分かりました! 分かりましたよ! 最後の最後の大博打! 観戦者全員のド肝を抜いてやりましょう!」


 最終レースも遂に大詰めを迎え、縦穴と横穴を繋ぐ経由路から見える景色は、嫌でも自分達の立ち位置を再認識させてくれる。この場は見紛おうことなき高空であり、落ちた際に生じる衝撃はもはや想像も付かない領域だ。


 そんな中で彼女達は順調にルートを踏破する一方、とある大博打を挑もうとしてた。


夜見よみ、ルートは?」


「……問題ありません。いえ、そもそも問題しか無いんですよ!」


「なら、オーケー。夜見、もう少しバイブス上げ上げ。じゃないとカメラ越しでも肝を冷やして、表彰中にトイレ送りになる」


「なりません! 兎羽ちゃん、次の角を右折したら後は真っすぐ!」


「うん! それにしても、みさお先輩……」


「なんね?」


「ワクワクしてきましたね!」


「夜見、これがお手本」


「ああぁぁー! 理解出来るかあぁぁぁ!」


 夜見がいつにも増してネジが外れている理由、それは兎羽達が最終的に選択したルート故だった。


 彼女達が向かう最終地点、そこはゴールへと繋がっていない。いや、ゴールに繋がりはする。しかし、兎羽操るムーンワルツでは、絶対にゴールに辿り着けないルートなのだ。


「出口が見えたよ、夜見ちゃん!」


「うー……私は目をつぶっていても、勝敗に関係しませんよね?」


「親友の勇姿を見届けないのは、十マイナス友情ポイント。しかもことあるごとに話題に出す予定だから、その度に兎羽との友情ポイントがマイナスされていく」


「鬼! 悪魔! ドS!」


「何とでも言うがいい。ぶっちゃけ慣れないランナーを任された鬱憤うっぷんと、ここに至るまでの疲労でハイになっている。今の私は無敵」


「てなわけで夜見ちゃん。テーマパークへ遊びに行く予行演習ってことで!」


「嫌だあぁぁぁ……!」


 彼女達が目指すルートの出口。そこは頂上に程近いながらも、どれだけ跳躍しても一歩届かない縦穴の途中であった。一歩踏み出せば断崖絶壁。そんな出口に向けて、ムーンワルツは全速力を出していたのである。


 操の立てた作戦。それは失敗すれば、揃って奈落へと真っ逆さまの大博打だった。ランナーである二人はもちろん、サポーターである夜見も、長時間の落下映像を強制させられる場所であった。


 これまでは横穴ルートが基本であることと、兎羽の能力に絶対の自信を持ててたからこそ夜見は平静を装えていた。しかし、今回は完全な大博打。しかも失敗する確率の方が間違いなく高い。


 自身の並外れた社交力によって、どうにか隠蔽出来ていた。そもそも親友といった者は作らないおかげで、悪ノリの末という機会も無かった。だが、今回だけは逃げ場がない。頑張る二人を裏切るわけにいかず、今回だけは目を閉じるわけにはいかない。


 単純な話だ。夜見は高い所や絶叫マシンが大の苦手なのだ。


「操先輩! 一二の三でお願いします!」


「任せんしゃい」


「行きますよー!」


「うっ……。ううっ……!」


 薄目に涙を溜めながらも、夜見は約束を破るまいと見届けようとする。画面の向こう側で、二機は最後の加速を始めた。



 (負けない、負けないっ、負けないっ!)


 右手の視覚センサーを限界まで使用し、ルチアは登攀とうはんと跳躍を繰り返していく。彼女の動きは常に連続しており、一秒だってその場に留まることは無い。


 そんな動きを繰り返していれば、いくら並列処理に長けたルチアであろうと頭が熱を持っていく。そうして溜まった頭の疲労は、全身を倦怠感で包み込んでいく。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ、っ!? ゴホッゴホッゴホッ! ッ、ハァッ、ハァッ!」


 持ち上げる腕が重いのも、踏み切る足に張りが感じられるのも、どれもが仮想の苦痛に過ぎない。だが、痛みや疲れとは脳の警告信号だ。


 身体に傷が無いにも関わらず、痛みを感じる。身体に乳酸が溜まっていないのに、疲労を感じる。そんな状態が正常であるはずが無い。むしろ本来の怪我や疲労よりも、よっぽど酷い状態と言えるかもしれない。


 リンドブルムレース用のダイブ装置は、遊戯用の物よりはよっぽど融通が効く。多少の苦痛や疲労感では、操縦者の意識を無理矢理引き戻すことは無い。


 しかし、何にだって限度はある。並列思考を得意とする者が、何よりも得手としている思考のキャパオーバーで苦痛を感じている。明らかに限度を超えている。長引けば強制解除の可能性だって高まってくる。


「ハァッ、ハァッ、もう少し、ハァッ、もう少しだけで、いいのっ!」


 だが、今のルチアは未来など考えていなかった。この勝負を勝つことに、全霊を捧げていた。


 彼女の望む未来は勝利の先にしか存在しないのだ。余力を残して望まぬ未来を手にするくらいなら、例えこれで破滅しようとも勝利の先の未来を望む。


 そうしなければ、ルチアは呪いに苛まれてしまう。存在しない悪意を持った視線に、聞こえる筈の無い悪意ある言葉に苛まれてしまう。


 もう嫌だった。誰かの未来を踏みにじるのも、誰かの未来を切り捨てるのも嫌だった。


 けれど負け続けの人生もまた、彼女は許容する事が出来なかった。みんなで思い描いた夢。誰もが活躍し、誰もがプロとして名をはせる夢。それを切り捨てることもまた、誰かの未来を切り捨てる事と同義であったのだ。


 (結局、私はどうしようもない欲張りなの。救いようもないワガママなの。この行いの罰は受ける。報いも受ける。だから、だから、この身体が動く内は、私から勝利を奪わせない!)


 もはや彼女に残された原動力は、曲げようの無い意地だけだ。あらゆる物を切り捨てたのだから、勝利だけは寄越してくれという傲慢な論調だけだ。けれどそれで勝利が手に入るなら、それで良かった。


 今の彼女は勝利にしかすがれない、憐れで小さな少女なのだから。


 (もうすぐ、ゴール……。きっと、まともに目すら合わせて貰えなくなる。でも、いいの……。あのチームで私の選手生命が終わるなら……)


 孤独と自嘲、あらゆる苦痛に苛まれながら、ルチアが最後のスパートをかけようとした時だった。


「ルチア! 聞いて、ルチア!」


「アローラ……? どうして……?」


 聞こえてきたのは、あれほど念を押して通信を拒否したサポーターの声。それまで自身の中だけで完結していた世界が、急速に広がっていくのを感じる。


「約束を守れなくてゴメン! ルチアを信じれなくてゴメン! お小言はいくらでも聞く! お説教もいくらでも聞く!」


「ま、待って、アローラ。何が何だか……」


叢雲むらくもが無茶苦茶なルートを走り出した! あるのは袋小路とゴール手前の崖っぷちだけだ! このレースだけは、この瞬間だけは、私は私を否定する! ルチア、急げえぇぇぇ!」


「っ!」


 アローラの言葉は脈絡が無かった。おまけに相当焦っていたのだろう、早口過ぎて脳を酷使していたルチアには半分も聞き取れなかった。


 だが、今の彼女にも分かる事があった。それは、アローラが焦っていた事。いつも能天気で、マイペースで、楽観主義だった彼女が、本気の言葉で本気の警告をしてきた事。この事実だけで、ルチアの警戒は最大まで引き上げられた。


「ルチア_」


 アローラの通信はいまだに続いている。だが、今の彼女には聞き取る余裕も、返答する余裕も存在しなかった。


「私は、負けないっ!」


 感覚の全てを走りに回し、番犬は崖を翔け上がる。


 ※


 (主人公補正って奴は本当に厄介。どんなに作戦を携えても、どんなに下準備に手をかけても、その場のパッションとフィジカルで突破されてたら世話が無い。この世には脳筋ゴリラが多すぎる……)


 加速していくムーンワルツに引っ張られながら、操は心の中で溜息を吐いた。


 生まれてこの方メガネ一筋だというのに、まぶたの裏がゴロゴロと突っ張るような感覚がある。最近眼精疲労の症状が緩和しつつある直美に聞かされた事がある。疲れ目に近い状態の日は、このような症状になるのだと。


 (頑張ったのは一日そこらなのに、おかげで直美二号機一歩手前。二号機なんて大概が駄作か、かませ役。ここまで頑張った結果がこれとか、笑えてくる……。そりゃあ、も悲観が癖になる……)


 自分の限界以上の力を用いて、チームを牽引していく。それはどれほどの苦痛を伴い、どれほどのプレッシャーを負うのだろうか。少なくとも、一日そこらで弱音を吐く操には一生分からない感覚だろう。


 けれども、分からないからこそ、親友が辿った道と手のかかる後輩候補が辿ろうとする道が、唾棄すべき道である事はよく分かる。


 (泣きたきゃ泣け。恨みたきゃ恨め。私はお前を主人公の道から引きずり落とすのだから。だけど、バッドエンドの物語から主人公を引っ張り出すことは、相対して善行と言えるのじゃなかろうか)


 操という存在は、ルチアという物語の中では悪の化身そのものだっただろう。存在そのものがイレギュラー。主人公が築き上げた努力の道を、ぽっと出の分際で根こそぎ焼き払っていく。


 しかも自ら前に出て戦うタイプではなく、発想を武器にして主人公のメンタルを傷付けるタイプ。嫌われるタイプの悪役だ。人気ランキングに苦情を投げ入れられる悪役だ。


 だがそれも、バッドエンドが確定した物語から主人公を救い出すためなら、許される行いなのではと操は思う。


 (兎羽の脇役に数えられるか。あるいはダブル主人公を気取るのか。どっちゃでもええよ。だからいい加減、楽になるべき)


 苦しんで、苦しんで、苦しみぬいた挙句が破滅だなんてあんまりすぎる。バッドエンドが大嫌いな操は、そんな結末を回避するためなら平気で恨まれるような事が出来るのだ。あるいは破滅した抜け殻と共に、終わりを享受する事すら出来るのだ。


 (こっちも組み立てには苦労した。最後の最後の大仕掛け。夜見と一緒に、存分に腰を抜かすと良い)


「一、二の、三です!」


 加速をめいっぱいに終えたムーンワルツが、兎羽の掛け声と同時に宙へと飛び出した。


 その跳躍は並みのリンドブルムでは決して実現出来ない大跳躍。されど横穴から頂上まででは、絶妙に一足届かない大跳躍。加速で生まれたスピードも尋常な物では無い。このままでは二機揃って壁の染みになるのは確実だった。


 (どうせ誰にもタイミングなんて分からんから、感覚派の兎羽にぶん投げた。後はダイスの女神に祈るのみ)


 だが飛び出した彼女達は、そのまま壁に衝突するがままで終わることは無かった。一番跳躍の勢いが付いたタイミングで爪を軸にメガテリウムが半回転を行い、そのままムーンワルツとのドッキングを解除したのだ。


 ムーンワルツ以上の加速を以て、壁へと吹っ飛んでいくメガテリウム。しかし、この機体は大きな特徴を持った特化型機体だ。様々な要素が、一般機とは異なる動きを実現する。


 一つは最軽量の機体であること。吹っ飛んだ最初こそスピードが出ていたが、回転運動のままに飛んだおかげで、勢いはほとんど腕部に集中している。


 一つは腕部に劣らないほどの、鋭く大きな爪を有している事。回転運動で一番勢いが付いたのは腕部。その腕部の先に取り付けられたのは、岩盤にも突き刺さるほどの鋭い爪。運が悪ければ背中から激突していただろう壁面は、見事爪からの着地に成功していた。


 そして最後の一つとして、操縦者がリンドブルムの深い知識を有するメカニックであった事。操はここまでのルートを踏破する間に、綿密な計算を行っていたのだ。爪の破損確率、着地の成功率、機体の損壊率、兎羽の成功率。


 壁に突き刺さったメガテリウムに迫るのは、遅れて飛来したムーンワルツ。操は確率という大勝負に勝利したのだ。


「兎羽、


「はいっ!」


 ぐしゃりと不快な音を立てながら、操の頭を踏み台にして兎羽が大きく跳躍していく。その高さは壁面を悠々と飛び越えて、砂嵐が飛び交う視覚センサーの向こう側へと飛んでいく。


 同時に踏み台にされたメガテリウムを襲うのは、彼女を地獄へと叩き落さんとする強い衝撃。ガリガリと金属音をまき散らし、自身の身体がどんどんと下がっていく事がよく分かる。


 (大丈夫。私は私の技術を信じている)


 落ちて。落ちて。それでもなおガリガリと壁を削っていって。


 だが、彼女は踏みとどまった。


 ようやくメガテリウムが停止したのは、ムーンワルツが踏み台にした距離から三十メートルは下であった。


「ふふっ。大勝利」


 珍しく笑みを漏らした砂嵐舞い散る彼女の視界には、ヒビが入って砕ける寸前の左爪と、同じように崩壊寸前の右爪の姿があった。ボロボロでありながらも、両者は健在であった。メガテリウムの移動手段は、最後まで損壊すること無く残ったのだ。


 視界はまばら、爪もボロボロ、機体は全体的に異音を出している。それでも、登攀することに支障は無かった。それだけで操は満ち足りていた。なにせ彼女のメガテリウムは、登攀に特化した機体でもあるのだから。


「ありがとうメガテリウム。あなたと歩んだ三つのレース。私は決して忘れない」


 ギシリ、ギシリとぎこちない動きでありながら、メガテリウムは登攀を開始した。三十メートルの崖なんて、この機体からすれば大した障害になり得ない。


 ムーンワルツとウォッチドッグのゴールからほどなくして、メガテリウムはゴールラインを突破したのだった。

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