私は叢雲のメカニック

「う、嘘……、あそこから、まだ……!?」


 通信の向こう側から響き渡るのは、驚愕を通り越して絶句する夜見よみの声。レース中の兎羽とわ達には、その反応だけで何があったかを察するのは十分だった。


「夜見ちゃ_」


「夜見、深呼吸。そこから、まずは案内」


 だが、彼女が呆けている間にも、刻一刻とレースは進行しているのだ。兎羽の声かけすらもぶった切り、みさおは的確な指摘で夜見を正気に戻そうとする。


 夜見の反応から操としても、これ以上のアクシデントは致命傷であると判断したためだった。


「はっ!? す、すみません! 兎羽ちゃん、そこからは緩やかな右カーブが続くよ! 今宵こよい先輩は出来るだけ爪の消費を最低限でお願いします!」


「あっ、えっと、分かった!」


「りょ」


 幸い、瞬きの内に夜見は正気を取り戻した。前方に道で判断するに、ルート案内にもブレは感じられない。


「……で、どしたん? 話聞こか?」


 ここまでの安定を取り戻して初めて、操は軽い口調で夜見に問いかけた。きっと聞かなければいけない内容だ。だが、またしても呆けられるのは御免だったからだ。


「んぐっ、そ、そうです! ルチアちゃんが、ウォッチドッグが! あの交錯から、さらにペースを上げて登攀とうはんしているんです!」


 そこから兎羽達が聞かされたのは、遠巻きに見たルチアの動き。まるで落下を意に介さず、横穴の入り口を足場に利用し、大ジャンプを繰り返す。


 一見すると自暴自棄の末の行動に見えるが、ミスをする様子は微塵も無い。そして、リスクを犯す分だけのメリットが彼女の手へ零れ落ちていっている状態であると。


「このままのペースだと、私達は追い付けません。せめて勝負に持ち込むためには、第一ルートへ戻る必要があるんです。でも_」


「それは無理。ヒビが入っている以上、一度のカーブだけでも爪が折れる可能性がある」


 ルチアの加速は予想以上、これまでのルートを通っていたら敗北は確実。けれど別ルートを取ろうにも、破損寸前のメガテリウムの爪が邪魔をする。


 ムーンワルツがこれまで横道を疾走出来たのは、メガテリウムというブレーキ機構を背負っていたおかげだ。彼女が地面や壁に爪を刺し込むことで摩擦が生じ、スピードの減速やジャンプ力の減衰を実現。そのような力業で、誤魔化していたに過ぎないのだ。


 現在のメガテリウムは、ムーンワルツの跳躍失敗を補った結果として左爪に大きな損傷を抱えてしまっている。メカニックで無くとも致命的な損傷だと分かる、中央部に発生した大きなヒビ。


 もちろんメカニックの操からしても、このヒビは致命傷どころかドクターストップクラスの損傷だと分かる。最悪の場合、ムーンワルツの背中から伝わる振動だけで破損しかねない損傷だとも。


 第一案だったルートが最速な事は分かる。第一案のルートを通らなければ、勝利が難しくなった事も分かる。だが、二機揃ってのリタイアが現実的な確率な以上、操は断じてゴーサインを出す事は出来なかったのだ。


「じゃ、じゃあ、私達の負けって、こと……?」


「あっ……いや……」


 兎羽が現実を受け止められないといった、震える声で二人に問いかける。


 負けず嫌いな彼女であるが、どちらかと言えばいさぎは良い方だ。そんな兎羽でも明らかに動揺しているのは、それだけ叢雲むらくもの勝利を信じていたからだろう。


 アドリブに次ぐアドリブ。そんな中でも仲間と作戦を信じ、細い勝利の糸を手繰り寄せてきた。この最終レースだって、博打に片足を突っ込んだ末のレースだったのだ。


 純粋に勝利を信じていたからこそ、その落胆は凄まじい。頭で考えるタイプで無いからこそ、頭の良い夜見達の意見に流されてしまう。今はまだ操縦に影響していない。だが、いつ集中力を切らして事故を起こすか分からない。


 ずっと個人の技のみを磨く生活を続けてきた兎羽は、チームゲームの敗北に慣れていない。レース中に敗北が決定するというショックに、耐性が出来ていなかったのだ。


 (まったく、世話が焼ける)


 あっちのメンタルケアをしたら、今度はこっちのメンタルケア。開催から最終レースに至るまで様々な苦労を背負いこんできた操は、いい加減に嫌気が差してくる。しかし、それでも勝負に敗北した未来を考えれば、自分の苦労など安い物。彼女の辞書に途中で投げ出すという言葉は無い。


「落ち着け」


 ほとんどブレーキだけで進めるカーブに入った瞬間を見計らい、操は自慢の爪でムーンワルツをぶっ叩いた。


「あイター!? み、操先輩!?」


 突然殴られた兎羽は、反射的にこちらを振り返ろうとする。そんな兎羽操るムーンワルツの頭を、メガテリウムは無理矢理前へと向かせながら喋る。


「むべっ!? ちょ、ちょっと、操センパ_」


「兎羽も、そして夜見も。どっちも浮足立っている。いいから落ち着け、すぐさま落ち着け、とにかく落ち着け。どうせつらつらと意見交換しようと、ランナーバカの兎羽とお利口さんの夜見じゃ、画期的な意見なんぞ出てこない」


 操は語る。この場で慌てふためきながら意見を上げ連ねた所で、無難な選択か破滅的な無茶の二択に終わるだろうと。


「うっ……」


「じゃ、じゃあ、やっぱ_あイター!?」


「話は最後まで聞け。兎羽には完璧な走りを遂行するという役目がある。夜見には兎羽のサポートと、柔軟なルート変更という役割がある。さて、この場で暇を持て余している人員は誰がいる?」


 操は語る。兎羽はランナーの責務を果たさねばならず忙しく。夜見はそんな兎羽へのリアルタイム補助に追われて忙しい。手持無沙汰な暇人は誰だと。


「えっ……」


「そうだ。今宵先輩は第二レースでも……!」


「私にこの悪路を走り切る技術は無い。私にこのコースのルート変更を遂行するだけの記憶力は無い。けど、私は叢雲のメインメカニック。機体の特性と損傷を含めた博打の成功率には、一家言を持っている」


 操は語る。自分にはランナーの技術も、サポーターの技術も無い。しかし、機体の知識と損傷を加味した作戦の立案には自信を持っていると。


「私がこの四面楚歌を打ち砕く。だから二人は私を信じて、この叢雲という船の運行だけに集中しろ」


 無い無い尽くしの状態で作戦の立案を行う以上、舵輪を任せた船の正体が最新型のボートか泥船で終わるかは分からない。しかし、相手はロサンゼルスヘイローズという船をたった一人で運行しているのだ。そんな相手に敗北を喫する。そんなものは操のプライドが許さない。


 彼女とのアドリブ合戦は、一勝一敗の最終戦。ここで勝利した方が、名実共に勝者となる。


「チームゲームすら忘れたに、勝利への方程式って奴を刻み込む」


 いまだ作戦のさの字も思いつかない頭の中、それでも操は勝利への希望を誰よりも失っていなかった。

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