守るためなら番犬は

「どうせ父親みたいに、勝てなくなれば仲間を捨てる癖に! 私のお父さんにやったみたいに、多くの居場所を奪う癖に!」


 最初は何を言われたのか分からなかった。


 涙で目を真っ赤に腫らし、ルチアを指差して絶叫する年上の少女。そんな彼女が大会の係員になだめすかされながら連れ出されていく。


 不安に駆られて父を見れば、彼は酷く悲し気な表情をしながら彼女と、そしてルチアを見つめていた。その顔を見て、初めて自分は悪意をぶつけられたのだと実感した。


 今よりも幼かったルチア、当然自制心など育っていない。ぶつけられた熱量のままに父の過去を詮索し、そうして真実に辿り着いた。


 少女の言った事は本当だったのだ。この日、ルチアは呪われた。


 何かのプロを名乗るのなら、勝利を追求するのが当たり前。生まれたばかりのルチアと陰りを見せてきた全盛期。今でこそ経験で誤魔化せているが、いずれ誤魔化しが効かないほどの衰えがやってくる。


 生来の世渡りの上手さを活かして、父は全盛期を過ぎてから、多くの栄光を手に入れた。俗にいう、遅咲きの選手に数えられるのだろう。


 成長した今となっては、父のやり方にも理解は持てた。自分や母を愛しているからこその選択だったと、ようやく分かった。


 だが、彼の行いに歩み寄るのは理解までだ。納得までは決して出来ない。そこまで許容してしまったら、自分が仲間達に抱いている友情を否定してしまうと思ったから。


 移籍の話も全てキャンセルした。自分は父とは違う。初めて出来た仲間達と共に、一番の栄光を手に入れてみせる。その後も勝利を積み重ね、誰よりも仲間を大切にするプロになってみせる。


 そこまでやってようやく。あの少女にもたらされた呪いが、全くの筋違いであったと否定出来る。自分は父とは異なり、友情と強さを両立出来ると証明する。


 歪んでしまった願いを胸に、ルチアは努力を重ねた。誰にも負けないチームを作るべく、必死に努力を重ねた。



 (その願いの先がコレだなんて、私の守護天使様はずいぶんとスパルタなのね)


 登攀とうはん、登攀、ひたすらに登攀。身体の動きと連動して、偽りの火照りがやってくる。なのに頭の中だけは寒々しく、これ以上ないほどスッキリとしている。


 原因は分かっている。考える要素が減ったためだ。ソフィーの負担にならないルートを、エメリーの昂ぶりを抑える言葉を、ディオルにやる気を出させる説得を、アローラのサポートを現実に落とし込む解釈を。それら全てから解放されたルチアは、これまでに類を見ないほどに頭が回っていたのだ。


 皮肉なものだと思う。誰よりも仲間を考えていたのに、結局切り捨てる事が一番強さに繋がってしまった。今も脳内では様々なルート選択の相談が行われ、並行して三つの視覚情報が処理されていく。どれもが鮮明だ。どれもが高速に処理出来る。なのに心はどんどん空虚になっていく。空っぽになっていく。


 このチームで勝ちたいと思ったあの日、父との不和が決定的となってしまったあの日、父は言った。


 その思いは矛盾している、と。


 ルチアが努力を重ねて勝利を得るほどに、対戦相手という壁は高く大きくそびえることとなった。その頃から、エメリーは無謀な勝負を挑む頻度が増え、ソフィーは何でもルチアを頼るようになり、ディオルの修繕は遅れが目立ち、アローラの博打戦術はより酷くなった。


 ルチアのやり方が反発を招き、彼女らとの友情が崩壊したのだろうか。いいや、違う。ルチアの成長に彼女達が付いていけなくなったのだ。ルチアが目指す壁と、彼女らの乗り越えられる壁には大きな隔たりがあったのだ。


 実力とは階段を駆け上がるのに似ている。努力をすればするほど素早く駆け上がれるが、中には一段や二段飛ばしで進める者がいる。努力が駆け上がるスピードを表すのなら、才能はスタート位置だ。あればあるほど高い場所からスタート出来て、無い者との差は歴然となる。


 ルチアは両方持っていた。仲間達は努力しか持っていなかった。スタート位置が違うのだ。ルチアが目指す勝利に合わせたら、仲間達が苦しくなるのも当然だ。


 父が言った矛盾とは、ルチアの超えたい壁と仲間達の超えられる壁が違う事。だというのにルチアは仲間達の成長を待てず、無理矢理勝利を重ねている事を指していたのだ。


 勝ちたい。自分が父とは違うのだと証明したい。仲間達を一番に考えているのだとあの少女に見せつけたい。


 負けたくない。負けるたびにそろそろ仲間を捨てるのか。この場にいないはずのあの少女が後ろ指を指してくる。同じように父が負かした相手が、父が居場所奪った相手が、寄ってたかってルチアを恨みがましい目で睨んでくる。


 全部幻覚だ。だが、実際に思われていない証拠も無い。怖い。苦しい。勝つしかない。負けたくない。成長など待っていられない。負ければ負けるほど、失敗を重ねれば重ねるほどに、呪いは強さを増していくのだから。


「……負けたくない」


 深い孤独にさいなまれようと、ルチアは勝利への渇望と仲間達への友情のどちらかを捨て去る事が出来なかった。仲間達がルチアにどっぷりと依存していたように、ルチアも仲間達へどっぷりと依存していたのだ。


「負けたくない」


 ルチアの真横を通り過ぎた大跳躍以降、ムーンワルツ達の姿は一度も確認出来ていない。一度必要ないと言い切った都合上、アローラへの確認も出来ない。


「負けたくない!」


 だからルチアはこれまでの展開も加味して、。ムーンワルツはとっくの昔にルチアを抜き去り、圧倒的なタイムでゴールを目指していると。


「私は、負けたくないんだあぁぁぁ!」


 その動きは極度のストレスとルチアのマルチタスク能力、努力を惜しまない姿勢と余裕が出来た脳のリソース、これらが全て合わさる事で実現した動きだった。


 右手をグルリと一周させ、一瞬で周囲をマッピング。そこからこれまでのルートを捨て去って、付近の横穴へ一直線。まさか最速の登攀ルートから、横穴ルートへと変更しようというのか。


 いいや、違う。


 彼女が欲しかったのは足場だ。助走を付けられるほどに余裕があるスペースそのものだ。


 一番近かった横穴辿り着くと、ルチアはそのまま助走を開始。何の迷いも無く空中へと飛び出し、斜め上へにあった窪みを掴む。とんでもない前進だ。そのまま斜めへ移動をし、目指すのは次なる横穴。


 ルチアは最悪を想定した。このままでは自分の敗北は決定的であると。しかし、前段階でルチアの登攀は完璧に近かったのだ。どれだけ無理の覚悟をしても、物理的に不可能な事は実現出来ない。


 けれど、彼女は糸口を見つけた。ムーンワルツの跳躍という、新たなルート開拓へのカギを見つけ出したのだ。


 ムーンワルツは跳躍を行った際、横穴から横穴への大ジャンプを行っていた。当然だ。ムーンワルツは設計上の問題で登攀を非常に苦手としており、背中にはメガテリウムも背負っている。


 そんな状態で壁に張り付こうものなら、勢いで機体はぺしゃんこになる。そもそも、いくら兎羽の動体視力があっても、跳躍の途中で掴めるだけの窪みを見つけ出すのは至難の業。仮にメガテリウムに頼んだとしても、片手でムーンワルツは支えられない。


 ならばルチアはなぜ壁に張り付けたのかという話になるが、彼女は兎羽と違って、事前にある程度のマッピングを行っている。おまけに窪みを掴むのは右手。視覚センサーが搭載された右手だ。


 左右の視界よりも遥か近くで視認が出来て、同じ場所を見つめる三つの視界は疑似的な立体視を実現。もちろん驚異的な情報処理能力がある事が前提だが、ルチアにとっては朝飯前だ。


 横穴を目指して登攀。そこから助走を付けて斜め上へ跳躍。次なる横穴を目指して登攀を再開する。登攀という動作に一手間加えただけで、ルチアのタイムは異常なスピードで短縮されていく。


 たった一つの発見で仮説を立て、実際の走りに活かすアドリブ力。この方面に関する能力は、ロサンゼルスヘイローズはもちろん、叢雲も、そして観戦している多くの元プロ達ですら凌駕していた。


「大丈夫! 大丈夫! 私達は負けない! 私達は勝てる!」


 だからこそチームは崩壊寸前なのだろう。彼女の実力に追いすがるには、どうあがいてもの努力では足りないのだから。

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