きっと海を渡ってしまう友へ
「がっ!? ぐっ、ぐうぅぅぅっ!」
まるで滝行が如く降り注ぐ岩の洪水が、エメリーの全身を殴打する。痛みは無い。だが、頭を鷲掴みにされてシェイクされるかのような衝撃が、絶え間なくエメリーに襲い掛かる。脳が防衛本能によって、意識をシャットダウンさせようとする。
ここは柔らかなクッションが敷き詰められたソファの上でなく、高度数十メートルの崖の途上。意識を手放した時点で、彼女を待っているのはリタイアだ。
「ひゅっ……。がふっ……」
頭で分かっていてもまどろみへの誘惑は耐えがたく、エメリーの視界は黒が支配率を高めていく。そんな時だった。
「エメリー!? エメリーっ!」
「はっ!」
ようやく茫然自失から我に返ったのだろう。ソフィーの声が響き渡る。その声によって、エメリーの意識もどうにか踏み止まった。
「なんで! どうして!? 私の損傷とエメリーの損傷じゃ、まったく釣り合っていないのに!」
続く悲痛なソフィーの叫びが、エメリーの意識を覚醒に導く。言っている事は最もだ。これまでのロサンゼルスヘイローズにおいて、ソフィーの優先度は一番下だった。ルチアの補助があったとしても、優先的に切り捨てられるのは彼女だったのだから。
「……理由なんてねぇよ。ただ、今までのままじゃダメだって思ったんだ。後は身体が勝手に動いちまっただけだ」
だけど今のエメリーには気に食わなかった。勝率とか、実力とか、自分の都合ばかりを考えるのが気に食わなかった。ただそれだけだったのだ。
「他にもっとあったでしょう! 大声を上げるとか、ひっぱたいて正気に戻すとか! こんなボロボロになって!」
「あー……アローラ?」
自分で自分の状態が分かるわけも無く、アローラに声をかける
「……ベッコベコだよ。今も崖を掴めてるから、えーと、大丈夫だとは思うけど。一応横穴ルートに移る?」
「いや、いい」
「ダメだよ! どんな不調が出るか分からないんだよ!?」
なおも抗議を続けるソフィー。一見するとエメリーのリタイアを心配した打算的な発言にも聞こえるが、彼女の発言が純粋に己を気遣ったものであることは長い付き合いで分かっている。
「いいや、いい」
だが、仲の良い間柄だからこそ譲れない一線はあるのだ。
「エメリー!」
「だって見てみろよ。今のは不幸な事故だったが、おかげでソフィーの震えが無くなってる」
「えっ……? あっ」
茫然自失するほどのショックを受けたためか、あるいはエメリーの損傷という落下以上の恐怖を覚えたためか。いずれにしても、崖に取りつくソフィーの手足からは震えが取り払われていた。
「これで私がいなくなったせいで震え出したら、勿体ないじゃねぇか。もし横穴に移るんなら、一緒にだ」
これでもし、エメリーが横穴へ移った事で震えが再発してしまったら。それ以上に再発した震えで崖を掴み損ね、落下してしまったら。そうなってしまっては後悔してもし足りない。
「……」
「逃げるのはもう嫌なんだろ? 私も一緒だ。それに、こんな所で弱音を吐くようじゃ、旅立つルチアが心配しちまう」
「……そうだね」
「アローラ」
「分かってるよ。ルチアには黙っとく。私が楽観的な事は、分かり切ってるでしょ?」
「あぁ、嫌って程にな。ソフィー、準備は出来たか?」
「うん、大丈夫」
「よし、登攀再開だ」
それ以上は事故の事も、損傷の事も三人は話題に出さなかった。登攀を再開した彼女達は、己を鼓舞し、仲間達を鼓舞し、ひたすらに勝利を目指して突き進んでいく。
仮にこの事故が無かったとしても、二人が上位争いに加わる事は不可能だったろう。カウンターコースという御膳立てを貰いながらも、テンカウント一機を追い抜く事がせいぜいだっただろう。
チームとして
「ソフィー、エメリー。そろそろ岩盤が、ちょろっと脆くなるよ。えー……たぶん大丈夫、だと思うけど。えー……注意した方がいいかも?」
「聞いたかソフィー」
「うん、気を付けなきゃね。ありがとうアローラ」
ルチアはこれからも最前線を走り続けるだろう。日本での彼女の活躍は、きっと海を挟んだ向こう側のアメリカにも届くだろう。
だが、ルチアの活躍が届くということは、ソフィー達の活躍もまた、ルチアへ届く可能性がある。自分達が頑張れば頑張るほど、海の向こうのルチアに努力を伝える事が出来る。
「……あっ。ゴールまであと半分! あと半分だよ!」
「なんだ。覚悟して割には、大したことないコースだったな」
「うん。でも、気を抜かずに行こうね。このレースも、この先のレースも」
「おう」
「もちろん!」
ルチアが安心して日本へ向かえるよう、ルチアへ頑張りを伝えられるよう、ロサンゼルスヘイローズは努力を続けなければいけないのだ。
彼女達の団結に言葉は必要無かった。ルチアを思う心に、最初から偽りなど無いのだから。
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