変わるきっかけ
「へばってねぇよなぁ、ソフィー!」
「……う、うん! 大丈夫! ハァ、これくらい、ハァ、ハァ、ルチアちゃんの頑張りと比べたら、どうってことない!」
ルチアと
そもそもミドルとジュニアの中間に当たる彼女らは、コース選択のルール上、登攀がメインのレースを経験したことが無い。彼女達にとってリンドブルムレースとはマラソン、あるいはハードル走と大差無かったのだ。
高難度なコースなど練習時のお遊び感覚でしか経験した事が無い二人にとって、洞窟の25はただ進むだけでも精神力がガリガリと削られていく厳しいコースだ。
おまけに前レースの山岳の30と異なり、失敗はすぐさまリタイアへと繋がる。リタイア時の衝撃だって、腕が損壊する程度では済まないだろう。
だというのに、臆病なソフィーは勇気を振り絞って登攀を続けている。負けず嫌いで独断専行しがちなエメリーが、そんなソフィーに助言の言葉をかけている。今までのロサンゼルスヘイローズでは、決して見られない光景だった。
「あー……、え~っと……。そこら辺はちょっとペースを上げてもー……じゃなかった。真っすぐ進むだけだし心配はいらなー……じゃないって。えっと、えーっと……」
「……ったく。アローラ、私達のルートは予定とはずれてないかい?」
「っ、うん! 問題無い! そのまんま行けば楽勝……じゃなかった! 大丈夫だよ!」
「……うん。フッ、フッ、ありがとう、アローラ」
普段なら思いついた非現実的なルートを楽観的な意見を添えて口に出すアローラでさえ、所々で口ごもり、ランナーを尊重しようと動いている。
付け焼刃だ。連携も無駄な部分が多い。しかし、崩壊を迎えることなくレースを続けている。ルチア無しでレースが進行している。
事前に打ち合わせていた訳じゃない。レースの初動で話し合った訳でも無い。自発的だ。それぞれが自発的に動く事で、この光景は構築されているのだ。
「フッー……。フッー……!」
「ソフィー、本当に大丈夫か? 無理はしなくていいんだぞ? 何なら横穴ルートに移ることだって_」
身長の五倍ほどの高さまで進んだ頃からだろうか。ソフィーの息遣いに、荒く不穏な音が混じるようになった。
彼女は原因を口には出していない。しかし、チームの誰もが認識している。ソフィーは常に落下の恐怖と戦っているのだと。
恐怖というのは克服が難しい。神経質でもあるソフィーにとって、落下の恐怖に曝されるというのは喉元にナイフを突きつけられているのと変わらない。
「大丈夫……大丈夫だから……。お願い……行かせて」
「……分かった」
だけど彼女は逃げない。手足の震えを必死に抑えながら、下を向きそうになる頭を無理矢理上へ向けながら、ひたすらに登攀の動作を繰り返す。
(ルチアちゃんがあんなにも追い詰められているんだ。ルチアちゃんをあんなにも追い詰めてしまったんだ。いまさら怖いなんて理由なんかで、足を引っ張るわけにはいかないの!)
ルチアが自分のためだけにレースを走る。どんな時だろうと、あのジュニア大会の決勝であろうとチームの補助を最優先に考えていた彼女が、自身の勝利を最優先する。その決定はチームに大きな衝撃を与えた。
アローラは遂にこの時が来たかと悲し気な笑みを浮かべた。エメリーは自身の不甲斐なさが我慢出来なくなり、壁へ拳を叩き込んだ。遅れて聞いたディオルは、下唇を噛みながらもどこか安堵しているように見えた。
そして三者三葉の反応を示す中、ソフィーはルチアへの直談判という、一番安易で、一番楽な方法へ逃げようとした。
夜見との出会いで何とか踏み止まる事が出来たが、彼女の中に燻っていた後悔が消え去るわけでは無い。いや、彼女だけではない。きっと全員が同じ気持ちだったのだろう。申し訳なく思いながらも、ルチアを頼り切り、寄り掛かってしまっていると。
ルチアの選択は不本意ながらも、彼女達の罪悪感を肥大させたのだ。そして本当に不本意ながらも見捨てたことによって、彼女達に自立を促したのだ。
たった一人に頼り切っていて何がチームだ。何が仲間だ。
本当に仲間であるのなら、苦しんでいる今こそ助けにならなければ嘘じゃないか。
「っ!? ソフィー! エメリー! 上ッ!」
突然アローラから鋭い通信が届く。
無意識のまま声に従って上を向いてみれば、自分達へ降り注ごうとする落石が見えた。タイミングとしては兎羽達が不完全な大跳躍を終えた頃。メガテリウムの爪が殺した勢いと衝撃は、下を登攀するソフィー達への落石へ変化してしまったのだった。
エメリーは反射的に避けようとした。落石の規模は大きくない。横へ数メートル移動するだけで躱す事が可能だった。だが、同時に彼女は隣を進むソフィーを見た。手足の震えさえ完全に止まり、茫然と上を眺めるソフィーを。
どう見たって、あんな状態から落石を躱すのは不可能だ。今までの彼女であれば自分を最優先し、ソフィーのリタイアを残念がっていた事だろう。
「ソフィー! 壁に掴まる事だけ考えろ!」
「えっ?」
けれど、この時のエメリーは違った。
彼女が残された時間で動いた先は、ソフィーの上。彼女に降り注ぐ岩を一心に肩代わりするコースだった。
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