救いなき選択の迷宮
「またもや影山の奇策が炸裂したかと思ったが、どうやらナマケモノは自慢の爪に思う所があるらしい! なんせコースが埃を被った廃坑道だ。乾燥で割れ爪を起こしてしまっても無理はねぇ! まぁこっちの観客席には、爪どころか全身がヒビ割れた
くだらないと笑う者、くだらないと白ける者、自覚があったのか怒り出す者、実況はそっちのけでレースに集中する者。それぞれが思い思いの楽しみ方でレースを観戦し、思い思いの未来を予想しながら思索を巡らせる。
最終レースの中盤を迎えて、観客達のボルテージは最高潮へと至る最後の静けさとでも呼べる雰囲気だった。
「は~あ……。当たり前に
「そんなの簡単だろ。ムーンワルツと同じスピードで、メガテリウムのようなブレーキ行為を一人で行い、その上でミス無く横穴を走り切れんなら文句は無いって言ってやりな! きっとムキになった奴らのスクラップが、向こう一週間は量産されるだろうよ!」
「にしても、なんだかやるせねぇよなぁ。ソフィーもエメリーも、なんなら直美、だったか? その子も含めて、誰一人明確に遅い奴はいねぇんだよ。なのに番犬とウサギとナマケモノが、いつだってカメラを独占しちまう。プロみてぇにサブカメラは付けられなかったのか?」
「分かってんだろ。金メダリストは何十年前の奴だろうと引き合いに出されるが、銀メダリストの多くは去年の入賞者だろうと名前どころか顔すら忘れ去られちまう。仮にカメラがあったとしたって、目が向くのは一瞬だ。お前が目を向けたのは、トップのレースが停滞したからにすぎねぇんだよ」
気分に高揚は入り混じりながらも、声援というよりは井戸端会議染みている観戦スペース。だがしかし、彼らに共通しているのはレースに集中しているといった点だ。
なぜなら集中力が散漫な者がいれば気が付いたはずである。それなりに長い時間、司会者であるロレンツォの顔には何の感情も浮かんでいなかったということに。
(銀メダリスト。銀メダリスト、ね……。そうだ。その通りだよ。俺のプロ人生は数多くの銀メダリストを生んできた。だがそんなのは強者であれば当たり前の話だ。単純に生んだ数を数えるのなら、俺より影山の方が多いはずだからな)
勝者が敗者を生むのだから、この世でもっとも敗者を生んだのは間違いなく隣に座る影山だ。だがこの男は、敗北者の骸を積み上げた代償をしっかりと支払った。どんなポストにでも座れる実績を持っていたというのに、態度が悪いという一点だけで引退後の椅子は用意されなかったのだ。
(今の内に心の中で謝っとく。あの時は影ながら笑っちまったからな。だが、夢の終わりで罪が清算されたんだから、きっとお前が正しかったんだ。敵を作りながらも、発散させる場所は作らない。そうして八方美人を続けた結果、俺への恨みは消えずに積み重なっていった)
勝てるチームへと移籍し、自分の役割を果たして優勝する。少しでも何かしらの競技に関わった事がある者なら、それが出来たら苦労しないと言うだろう。
しかし、ロレンツォはそれが出来る男だった。おまけにチーム内で発揮されるリーダーシップは、世渡りにも上手く使われた。初期に使われた盗賊というあだ名は、いつしか優勝請負人という輝かしい物へと変わっていった。
それだけロレンツォの世渡りが上手かったのだろう。大手メディアすら、批判的な意見を続ける事が難しかったのだろう。それだけスポーツにとって、勝者とは正義であったのだ。
(気に食わなかったんなら、俺を殴りゃあ良かっただろう。死ぬつもりはさらさらねぇが、銃口の一つでも向けてくれりゃあ良かっただろう。どうして子供達を巻き込んだ。どうして子の代に問題を波及させた。それほどまでに憎かったのかよ)
そうして批判すら出来ず、レギュラーを奪われた方が悪だったと断じられる世界。溜まりに溜まったロレンツォへの不満は、とある年にレギュラーの座を奪った男によって最悪の爆発を起こした。
恨み募る男が自分の子供に、ロレンツォの行いを散々脚色して伝えたのだ。
ずっと忘れていた男の、ずっと蓄積されていた恨み。今でこそ彼の恨みは理解出来る。
加齢による神経の衰えによって、ラストシーズンと宣言していた男。一つのチームを愛し、一つのチームの勝利に全てを捧げていた男。チームで育て上げていた若手がホープへ変わり、故郷に近いチームを求めて優秀な選手が移籍した。
勝てる年だった。例え男をレギュラーに居座らせたとしても、優勝争いに加われる年だった。そんな勝利が狙えるチームを、ロレンツォが見逃すはずが無かった。
移籍と共に男を補欠へ追い落とすと、そのままの勢いでチームは優勝を果たした。初期こそ男を求める声は少なからず存在していたが、優勝の実績はそんな声を押し潰した。
最後のシーズンを補欠で過ごした男は、そのまま小さな会見だけを行って引退したらしい。
恨めしかっただろう。憎かっただろう。どうにか復讐の機会を探して、長年の憎悪を内に飼いならしていたのだろう。
犯罪を起こすほどに男は恥知らずでは無かった。面と向かってロレンツォを糾弾するには力もお金も足りていなかった。そんな時に男の目に入ったのは、敗北によって涙を流す娘の姿。
そして、勝利の椅子に座っていたのは、忘れもしないファミリーネーム。あの頃の光景と娘の姿が、男の中で繋がった。そうして誰の血も流れず、他の誰からも認識されなかった復讐は静かに遂げられることとなったのだ。
(傷付いたのは娘を含めた家族、それにチームメイトだけ。他の奴らからすれば、一人の選手が負け惜しみにルチアを罵ったように見えただけ。スカウト連中も、ルチアがチームとの別れを惜しんでいるだけだと勘違いしている。本当にやってくれたよ)
血を分けた親子だ。画面の向こうの娘が何を考えているかは、手に取るように分かる。
チームを守りたいのだろう。いまだに呪いが心を蝕んでいるのだろう。父親の行いを知って、自分だけは別の道を歩もうとしているのだろう。
(だけどそれは叶わない。賢いお前だ。そんなことは俺との勝負が存在しなくても、とっくの昔に気が付いていたんだろう?)
ルチアがチームを第一に考えているように、ロレンツォはルチアを第一に考えている。そして、ルチアの実力とチームの実力は、とっくの昔に乖離してしまっていると気付いている。
ルチアは弱小チームの中で、勝利を求めている。
これが弱小チームに留まりたいだけなら、ロレンツォも強行策には出なかった。けれど、その中で勝利を求めてしまってはダメなのだ。負けを悔しく思ってしまったら、このチームに留まってはいけないのだ。
弱さにも色々ある。単純な実力、理解力、性格、知識。だが総じて言えるのは、弱さとは悪なのだ。勝利を求めるのなら、弱さは切り捨てなければいけないのだ。
それを切り捨てられないのなら、勝利は望むべきで無い。なのにルチアはどうにかしようと足掻き、矛盾した事柄から目を逸らしてしまっている。
このままでは身体の崩壊かチームの崩壊。どちらにせよ、ルチアの望まぬ結果に繋がる。世渡り上手は、空気を察する事も上手かった。
コーチであるからにはチームを強くするのはロレンツォの役目なのだろう。しかし、勝利を求めるばかりに苦しみ、いつしか短気な性格へと変わってしまった娘を見て、ロレンツォは疲れてしまったのだ。
(他の奴らだったら軽蔑からの罵倒のフルコース、そこからデザートに拳を叩き込むのが普通だってのによ。どうしてお前は舌打ち一つで請け負ってくれるんだよ……)
そんな疲れ切った毎日の中、ふと目にした学生大会で影山の名前を見つけた。
偶然だった。だけど影山の実力だけは嫌というほど思い知っていた。
すぐさまチームを調べ上げ、メンバーが不足していることを発見した。これしかないと思った。
そうして無理矢理ルチアを勝負の舞台へ引っ張り出し、出来る限りの有利な条件を引き出した。衆人の視線と弱さの自覚。二つの楔で娘の逃げ場を奪うために。
一度目の詰問はのらりくらりと躱したが、二度目が行われたのは最終レースの直前。もはや隠しておく理由も無いと、洗いざらいに白状した。
正直、拳どころか蹴りが叩き込まれても文句は言えなかった。けれど、影山がしたのは舌打ち一つ。
「チッ、最初から話しておけ。そういう人間関係やメンタルヘルスに長けた奴がいる。こっちはとっくの昔に勝った前提で行動を起こしているんだ。お前の娘は身内になるんだ。救ってやる。その分、最後にはお前にも動いてもらうからな」
影山はとっくの昔に、全員が納得出来る方法を模索していたのだ。それを邪魔していたのは娘の移籍を望んでいたロレンツォ自身、弱った心は正常な判断能力すら奪っていたらしい。
(可愛い一人娘の、初めての一人旅なんだ。何を命令されようと、喜んで実行してやるよ)
油断で崩れていた表情に笑顔の仮面を被り直し、ついでにチラリと影山の顔を見る。仏頂面に鋭い目。これで大会を楽しんでいると言おうものなら、表情筋の訓練をオススメしていただろう。
そんな猛禽類の如き視線が、微かに崩れていたロレンツォの表情を発見する。
呆れるようにため息一つ。そこからは何一つ告げることなく、モニターへと視線を戻した。
長年の付き合いが無ければ、影山がロレンツォを心配していたなどと分かりはしまい。なんて不器用な男なのだろう。なんて表現力に乏しい男なのだろう。
ロレンツォは影山という男を再度覗き見た。モニターを見つめる仏頂面が、今や希望の象徴であった。
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