例え独善の勝利としても
「ルチア、サポートは大丈夫なのね!?」
「大丈夫! アローラは二人のサポートに全力を!」
スタートコールから、いの一番に飛び出しルチアは岩壁に手をかける。一般的な人型体躯であり、平均より低身長であるウォッチドッグにとって
コース設定上は露天掘りの際に生まれたのだろう採掘痕。その
裏を返せば、わざわざ反対側の岩壁を選択したのでもない限り、
(普段のレースなら、勝負を捨てて安定を取ったんだって思う。けど、そんな腑抜けた認識だったからこそ、二レース続けて結果をひっくり返されたんだ。油断はしない。そして、足も止めない!)
今のルチアには相手の策に驚愕しながら対策を考える必要も、チームメイトの揺らいだ心を繋ぎ留めて鼓舞する必要も無い。いや、そんな余裕は無い。
何かあった際には自己判断、もしくはサポーターのアローラへ指示を仰ぐ。いっそ清々しい程のチーム軽視であるが、そうする事は周知済みであり、そうなった自己嫌悪もレース前に終えた。
ただ己のレースを全うする。全力で一位を掴み取る。それだけを目標にルチアは次から次へと岩壁のくぼみへ手をかけるのだ。
「ルチア、一応報告。ムーンワルツとメガテリウムが、ものすごいスピードで横穴を進んでる」
「うん、分かってた。詳細はいらない。アローラはそのまま、二人のサポートを続けてあげて」
「分かった。ルチアも無理しないで」
通信が切れると共に、ルチアの口から小さな笑いが漏れ出た。
それは、やはり定石を覆してきた叢雲の策によるものか。それとも、とっくの昔に無理は重ねている事への自嘲か。あるいは、それすら把握出来ていないアローラの楽観主義への苦笑いか。
いずれにしても、最終レースが下馬評通りに終わる事は無さそうだ。自分もさらなる負荷をかけて、勝利を追求しなければなるまい。ルチアは次なるくぼみに右手をかける瞬間、手の平を上へ向け、左右に振った。
「直進すれば、脆い岩壁。右へ逸れていったら、大きな出っ張りが進行の邪魔。左に向かえば目的地。いつの間にか少しだけルートが逸れてたみたいね。大丈夫、今気付いたのなら修正すればいい」
ウォッチドッグというリンドブルムは、登攀を非常に得意としている。その理由は右手に搭載された視覚センサーが、普通のリンドブルムではあり得ない視野角で進路の情報を獲得出来るからだ。
一般的に人間が登攀を行えば、周囲の凹凸による影響もあるが見える範囲は極端に狭くなる。凹凸の激しい場所であれば、さらに有効的な視野は狭くなる。ギリギリまで上体を逸らした所で、範囲はそれほど変わるまい。
しかし、ウォッチドッグは第三の目を利用することで、広大な範囲の視覚を獲得する事が出来るのだ。右手を限界まで逸らすだけでも常人の視界が手に入り、上体を逸らした上では大きく上回る。
このおかげで、ルチアはサポーターの支援を必要とせずルートの修正が行える。一機分のサポートが必要無くなれば、その分だけアローラは二人にリソースを回す事が出来る。これだけを考えても、ルチアの単騎駆けはチームに大きな恩恵をもたらしていると言える。
だが、彼女の登攀の親和性はそれだけに留まらない。
実際の彼女が低身長の小柄であること。それに合わせてウォッチドッグが小柄であることが、このレースにおいては大きなメリットとして働いているのだ。
当たり前の話であるが、登攀は腕と足に全体重がのしかかり、ひいては岩壁にそれらの負担がのしかかる。一歩間違えれば足場は脆くも崩れ去り、外的要因でリタイアを余儀なくされる。
叢雲のテンカウントが横穴を選択した一番の理由だ。体重とはただそれだけで、登攀の有利不利へと関わっていく要素なのだ。
そんな場所において、体重が軽いとはどんなメリットを発揮するのか。
まず第一に、足場の崩落などといった不幸な事故の確率が下がる。命綱など存在しないリンドブルムレースにおいて、落下からの即リタイアを避けられるのはそれだけで大きな恩恵だ。
けれど、メリットはこれだけに留まらない。
ルチアはたびたびのルート修正を行いながら、目的の場所へ到着した。
深い、または大きい凹凸が数多く存在し、まるで出窓のように横穴ルートへ進むための大穴すら存在する硬い岩壁。そのエリアへと、ルチアの右手が手をかけた
「ハァッ!」
そこから始まったのは、登攀ではなく跳躍だ。
腕と足に力をかけ、己の身体を
普段の走りと比べればスズメの涙ほどの躍進。しかし、上への移動と考えれば、あまりにも大きな躍進である。
しかもこの躍進は、一度に留まらない。
まるで四足で地面を進んでいるが如く、ルチアは軽快な足取りで跳躍を連続させる。散々右手の観測によってルート調整を行っていたのだ。迷いなどという物は存在せず、リタイアの恐怖など最初から存在しない。
集めた情報を根拠とし、ただ淡々と荒業を連発する。誰の助力もせず、誰の助力も必要としない。ランナーとしての完成形が、この場には存在していた。
「この調子で、次は右斜め先へ_!?」
ここまでのルチアは、まるで自身しか存在しないのではと錯覚するほどの孤独なレースを続けていた。いや、彼女自身もそんなレース展開を望んでいた。
定石通り、情報通り、理屈の全てを総動員し、理外の勝利を否定しようとしていた。
だが、レース早々に報告を受けていたではないか。叢雲のムーンワルツとメガテリウムが、理外の方法で横穴ルートを進んでいると。
このコースは円筒状の縦穴を中心に、周りをアリの巣状の横穴で覆ったコースである。上から見た場合の穴の直径は三十メートル。跳躍に特化したムーンワルツと言えど、端から端への移動は不可能だ。
だが、円形ということは、コース全体が斜めがかったカーブ状であるとも言える。端から端で無くとも、飛び移る角度は存在すると言える。
次の足場へ手をかけようとしたルチアの右手が、ほぼ真横にあった横穴と横穴の間を通過する影を見た。
間違いない。今の影はメガテリウムを背負ったムーンワルツだ。自分の思いもしなかった理外の方法で、
横穴が迂回ルートである関係上、真横を通っていったムーンワルツ達が確実にルチアに追いすがっているとは言えない。しかし、近い位置に付けていることは確かなのだ。
「……上等よ!」
背中にメガテリウムが存在する関係上、ムーンワルツの勝利はそのままワンツーフィニッシュへと繋がってしまう。
ポイントは僅差。敗北は必須。負けられない。こんなにも多くを捨てて挑んだ試合で、負けるわけにはいかない。
ルチアは見えぬ脅威を再認識し、それまで以上に登攀ペースを上げるのだった。
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