ルチアを縛った呪いの言葉

「ルチアちゃんに、もう頑張らないでって言おうとしていたんです」


 ポツリとソフィーが言葉を零したのは、夜見との対面から数分後。買ってもらった缶ジュースが、キンキンからヒンヤリへと変わろうとしていた時だった。


「どうして?」


「あの子は今までもずっと頑張ってきました。今日だって全力の限りを尽くしていました。そんなルチアちゃんがこれ以上頑張ったら、次は倒れてしまうかもしれない。そう思ったからです」


「今までは言おうと思わなかったの?」


「言おうとは思ってました。でも、ルチアちゃんにとってはチームの存続は本当に大切な事で。それに私自身がこれまでの関係性が壊れてしまうのが怖くって……。分かっていたのに、何も言えず仕舞いでした」


「そっか。でも今回は友情が壊れても、ルチアちゃんのために動こうとしたんでしょ? 十分偉いよ」


「そうでしょうか」


「うん、断言する」


「ありがとう、ございます」


 ソフィーに身の上を話すきっかけを作った夜見よみだったが、今は完全に聞き手へと回り、彼女の言葉に一つの返答を乗せるのみになっている。


 これもソフィーにとってはありがたかった。一つの内容を根堀り葉掘り聞かれては、好感が持てる相手だろうと萎縮してしまう。行動の積極性と、会話の積極性の好感は別なのだ。


 そういった意味では、本当に夜見は適度の距離感を保ってくれる。チーム内でタブー扱いされていたことで溜めこんでいた話が、するすると口からこぼれ出てくる。


 ソフィーは自分がこれほどまでにおしゃべり好きだったのかと、内心驚いてさえいた。


「その、そもそもルチアちゃんの移籍の話は、今回の件の前にもあったんです。ちょうどジュニア大会で四位を取って、ルチアちゃんの活躍に多くのチームが注目して」


「私も試合は見たよ。すごい動きだった」


「……はい。本当にすごかったんです。だからアメリカ最大手のチームが、ルチアちゃんのスカウトに来て。ルチアちゃんもロレンツォコーチも乗り気で。だから、これでルチアちゃんとはお別れだって、私達は覚悟を決めていたんです」


「でも、ルチアちゃんの考えが変わった」


 内心の驚きは微塵も出さず、夜見はソフィーの会話に相槌を挟んだ。


 そもそも、この出会いそのものが、夜見によって仕組まれた物。影山からの依頼である、移籍後のルチアのメンタルを守るための一環だ。


 メカニック同士であるディオルの対応はみさおに任せ、コーチ同士で古馴染みのロレンツォには影山を当てた。そして、一番繊細そうで一番ルチアに近いソフィーには、夜見が向かう事となったのだ。


 言動や行動から、ソフィーの好む性格はリサーチ済み。会話が初めてである点も活かし、夜見は理想のキャラクターを演じていた。そこには打算はあれど、悪意は無い。全てはこじれに拗れたチームの関係を、健全なものへと戻すために。


「ルチアちゃんの考えが変わったんじゃありません! 変えられたんです! ……あっ、その」


「……大丈夫だよ。知らないまでも、私の発言が不用意だった。だから教えて。何があったの?」


 いくら好感が持てるキャラクターを演じても、無知な言動一つで関係というものは簡単に崩壊する。ルチアの考えの変化は、ソフィーにとっては不幸な出来事だったのだろう。


 夜見は素直に謝罪をし、自分の不明を正すために詳細を求めた。その言葉に少しだけ逡巡していたソフィーだったが、やはりこれからの行動に不安があるためだろう。たっぷりと一分ほど時間を置いてから話し出した。


「きっかけは偶然だったんです。勝者がいる所には、必ず敗者がいます。それまで下位だった私達が四位に入賞したことで、入賞圏の十位から転落したチームがいました。おまけにそのチームのリーダーにとって、この大会は年齢的に出場出来る最後の大会でした」


 誰かの幸せは誰かの不幸である。入賞という限られた席を奪い合うスポーツにおいて、それは顕著だ。


 ルチア達にとっては絶望の中から拾い上げた幸福。しかし、ソフィーの語った彼女からしてみれば、ささやかな幸福から絶望のどん底に叩き落されたようなものだ。


「その子と何かあったんだね」


「あの人が全面的に悪いわけじゃありません。あの時は全ての巡り合わせが悪かったんです。まず、入賞式でスカウトの方がルチアちゃんを褒めたたえました。次に、ロレンツォコーチのご友人だった来賓らいひんが、コーチとルチアちゃんの血縁関係を含め、遺伝の力だと豪語しました」


「それは、いくらなんでも……」


 当たり前だが、入賞式とは入賞した十チーム五十名を讃えるための場所だ。間違っても一人をピックアップして讃える場では無いし、権力を傘に友人に花を持たせる場でもない。


 そんなことをされればロサンゼルスヘイローズのメンバーはともかく、他のチームは立つ瀬が無い。茶番劇のエキストラにされているのかと思ってしまう。


 けれども、入賞したチームの面々は何とか耐えられたのだろう。彼女達には勝利をしたという実感がある。脚光こそ奪われたが、メダルか何かの形ある栄誉が手に入る。


 だが、それらが手に入らなかった敗者からしてみれば、その光景は嫉妬の対象になったに違いない。特に、ルチアによって栄光を奪われた人間にとっては。


「そして最後に、そのリーダーの方の家系は、ルチアちゃんの家系と浅からぬ因縁があったんです」


「因縁? ……まさか」


 勧められる移籍とチーム間の目に見えた実力差。それに何かしらの因縁が合わさった。


 人間関係の構築を得意する夜見は、反対に人間関係を崩壊させる術も心得ている。どんな立場の人間がどんなタイミングでどんな事を口にすれば、心に風穴が開くかが分かってしまう。


 ルチアの心を捻じ曲げるだけの材料が、その場には揃ってしまっている。


「はい……! 入賞式が終わって、スカウトの方とのお話をもっと詰めようとした時、そのリーダーが突然やってきて言ったんです! ____って!」


 その言葉は夜見の予想通りどうしようもなく悪意に満ちていて、ルチアという少女の心を砕くには十分な破壊力が秘められていた。


「……そう。そうだったのね。ありがとう、教えてくれて」


「ヒッグ……グスッ……」


 一度は納まった涙の雫が、頬に残る痕を伝って再度ソフィーの目から流れ出した。


 同時に、夜見はソフィーに気付かれぬよう下唇を噛みこんだ。ロサンゼルスヘイローズを取り巻く事情は、彼女の予想以上に根深い物なのだと。


 今の夜見に出来たのは、暴走寸前のソフィーをなだめすかし、確実な終わりを招くルチアへの進言を止めさせることだけだった。

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