頼りたいと思わせる先輩

「うっ、ぐすっ、ヒック」


 専用通路の一角に設置された、休憩用のベンチと自動販売機。他に誰もいないというのに隅に腰を下ろし、ソフィーは一人涙を流していた。


 涙のきっかけは先ほど終了した第二レース。その結果によって生まれた一悶着が原因であった。


 チームメイトの誰もが認めるリーダーのルチア。普段は自分達のサポートにリソースを割いている彼女が自身の走りを優先した場合、目標をたがえたことは無かった。


 だが、そんなチーム内の勝利の確信は、今回のレースで脆くも崩れ去ることとなった。


 自身のみが利用出来る唯一のルートを発見し、先行していた叢雲むらくも学園の二機を抜き去った。ここまではプラン通りだった。ここまでなら、彼女の神話は続いていた。


 けれど、追い抜かされてからゴールまでの数歩。そのたった数歩の中で叢雲学園は秘策を実行。メガテリウムを投げ飛ばし、勢いのままにゴールラインを通過した。


 エメリーとの二人三脚によって、何とかゴールだけは果たしたレース。その終了後に聞かされた顛末は、ソフィーを驚愕させるのに十分だった。


 しかし、何よりもショックを受けたのは、ゴール直前で追い抜かれたルチアであろう。今までの彼女は全力で事に当たった場合、失敗した事が無かったのだ。


「ごめんなさい。私のせいで第一レースの貯金を全て溶かしてしまった」


 ミーティングで謝罪したルチアは、普段の彼女の以上に小さく見えた。


「最終レースは落とすわけにはいかない。絶対に負けない。 ……だから、ごめん。少しだけ時間をちょうだい」


 そのまま形式ばったミーティングを早々に終えると、彼女は控室を後にしてしまったのだ。ソフィーじゃなくても分かる。あれは思い詰めている時のルチアだ。


 自分とエメリーが散々に足を引っ張ってしまった、去年のジュニア大会時のルチアだ。


「あの時はルチアちゃんの全力が実を結んだ。でも、今回はダメだった。全力を出してもダメだったら、ルチアちゃんはどうなっちゃうの!」


 ジュニア大会の時は良かった。ルチアの努力は全て一定の成果を上げ、取れる限りで最大の栄誉を手に入れる事が出来たのだから。けれど、今回は全力を尽くしても相手に返されたのだ。それ以上の全力を求めなどしたら、上には無理しか存在しない。


「あの日、やっぱり言わなきゃダメだったんだ。例えルチアちゃんと絶交になったとしても、言わなきゃダメだったんだ。私のせいでルチアちゃんが倒れちゃったら! この試合に! 私は……私は……!」


 ルチアに負担をかける自分が嫌だった。努力が実を結ばない自分が嫌だった。けれど何より嫌だったのは、そんな関係を変えようとしなかった自分だった。


 前日にルチアの部屋を訪れたのは、別れを告げるためだった。意地を張り続けるルチアに、あの大会で呪われてしまったルチアに、友情を犠牲にしてでも前を向かせようとしたためだった。


 けれど、臆病な自分は言葉に出来なかった。それどころか逆に慰められてしまった。


 そして、勇気を出さなかった結果がこれだ。


 ルチアの努力は異常な域に達し、チームメイト達はどんどん置き去りにされていく。そして勝ち続ける限り相手は相対的に強くなっていき、ルチアの負担は加速度的に増えていく。


 全力を出しても一度はひっくり返された。その事実はルチアの心を澱ませ、彼女に危機感を植えつけただろう。これで叢雲学園に勝ったりしてしまえば、その後なんて考えたくもない。


「私が、私が何とかしないと……!」


 最終レースまではもうすぐだ。伝えるのはこのタイミングしかない。


 きっとルチアは怒るだろう。調子を崩すだろう。稼ぎ頭の彼女がその調子では、レースも散々な結果に終わるだろう。


 けれど、恨まれようと絶交されようと、ソフィーはルチアが壊れる瞬間に立ち会う方がもっと嫌だった。ここまでリンドブルムレースに全力な彼女が、夢を失う瞬間を見る方が嫌だった。


 引っ込み思案だった自分を親友だと言ってくれたルチア。激しいレース展開を苦手とする自分に配慮し、独自のルートを展開してくれたルチア。彼女から貰った恩義は、すでに返しきれないほどに溜まっている。


 だから自分が犠牲になる。第二レースでの姿を見て、ソフィーの覚悟は今度こそ決まっていた。


 後は勇気をもって言葉にするのみ。ソフィーがルチアの端末へ通話をかけようとした時だった。


「あれ? えっと、ソフィーちゃん?」


「えっ? あっ、と。そのっ、叢雲のサポーターの……」


 顔を上げて声のする方を向いてみると、見覚えのある顔があった。名前は知らない。しかし、叢雲のサポーターであることくらいは覚えている。


「あっ、ゴメンね。叢雲学園サポーターの棋将夜見きしょうよみです。その、思い詰めていたようだったからどうしたのかなって」


 夜見と名乗ったサポーターの少女は、謝罪と共に声をかけた理由を口にした。もっともな理由だ。気を使ってくれたことに感謝こそすれ、謝罪などされてしまえば罪悪感が生まれてしまう。


 だが、そんな様子の夜見を見て、ソフィーは少しだけ不思議に感じる。彼女のイメージする日本人は、トラブルが苦手で空気を読むという謎の文化を重んじる人種だったはず。


 涙を流す知り合いでもない自分を見れば、見て見ぬ振りをするのが一般的だと思っていた。だが、予想に反して、夜見はソフィーに声をかけた。その上で理由を聞き出そうとし、積極的に関わろうとすらしてきている。


 評価の別れる行動だ。エメリーやディオルであれば、鬱陶しいとばかりに、さっさと会話を切り上げて去って行ってしまうだろう。


 しかし奥手であるソフィーからすれば、きっかけを投げかけてくれたのには好感が持てた。それに一世一代の勝負に出ようと身構えていたタイミング、一呼吸置いてから事に当たりたいと臆病風に吹かれてしまった。


「えっと、その……」


「いいよ気にしないで。何か飲めば少しはマシになるだろうから。オレンジは好き?」


「き、嫌いじゃないです」


「そっか、良かった。じゃあ年上のよしみでオゴらせてよ。もちろんお返しはいらないよ。ソフィーちゃんがほっとけなくて、勝手にやったことなんだから。」 


「あう……。ありがとうございます……」


 否定する間もなく、自動販売機からガゴンと音がする。そのままソフィーの手に、缶ジュースが握られる。


 二度程しか対面したことは無いが、夜見はイメージとは全く真逆の積極的な先輩だったらしい。今も缶ジュースを開けもしないソフィーを気にした様子も無く、ただベンチの反対側の隅に座って無言を貫いてくれている。


 距離感と言い、言動と言い、ソフィーにとってだった。初対面の相手に自分がここまで好感を持つのは、あまりに意外だった。


 そんな頼れる年上のお姉さんである夜見の出現、それはソフィーの心に一つの選択肢が生むのだった。

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