届かなかったあと一歩
(負けない! 絶対に負けない……!)
辺り一面は銀世界。その中をまるで海の様に泳ぎ渡るのは、ウォッチドッグだ。
両の瞳と右手に備わった視覚センサー。その三視点による立体的な空間把握能力によって、操縦者であるルチアは次に向かうべき目的地を見つけ出している。
彼女が目指す先は先行する
降り続く猛吹雪によって、移動の痕跡はその一切を雪の下へと覆い隠そうとする。けれどもよく目を凝らせば、降り積もり方の差などに微かな証拠は残るのだ。ルチアはそれを自らの観察力によって見つけ出し、即席の移動ルートとして利用する。
「アローラ。テンカウントとの歩数とゴールまでの距離は?」
「あと七歩! ゴールまでの距離は十歩くらい!」
「ありがとう! このままペースを維持するわ!」
山岳の30を高難度に引き上げている要因は、吹きすさぶ猛吹雪とそれによって生まれる環境だ。
その中の突風と積雪を、ルチアのルートはシャットダウン出来る。身にかかる艱難辛苦の二つを除外出来るおかげで、一時は数メートル離れていたテンカウントとの距離も、後ろに背負うメガテリウムがはっきりと見える距離まで縮まっている。
「頑張れ! 頑張れ! テンカウントを追い抜ければ、同点で最終レースに持ち込める!」
「うん!」
現在のテンカウントは、後ろにメガテリウムを背負っている。これは言い換えれば、彼女さえ追い抜ければ二つの機体を追い抜いたのと同義なのだ。
始まりこそ面食らったが、メガテリウムは多くの要素を自ら捨て去った機体。その不自由さが、ここで叢雲の足を引っ張ることになった。
(このままなら、いける!)
移動に最新の注意を払いながらも、今のルチアには希望が芽生え始めている。アイアンボクシング出身の直美が空間把握能力に優れているように、三点の視界を有するルチアもまた、空間把握に長けたランナーだ。
直美が追い付かれると判断していた時に、ルチアは追い付けると判断していた。そしてその判断が正しいことは、アローラの通信によって裏付けされている。
一時は散々に打ちのめされたメンタルに、希望という特効薬が効いてくる。不安が解消された心によって、ルチアはより深い集中に落ち込んでいける。
テンカウントとウォッチドッグの距離は、前に残る足跡で換算して残り四歩。さらにテンカウントが一歩を踏み出す前に、ウォッチドッグが次の飛び込みを行って残り三歩。
「いけ_!?」
飛び込みの体勢から一転。そこから次の飛び込み体勢に移ろうとしたルチアの耳に、ビキリという不穏な音が響いた。
「ルチア!? どうしたの!?」
「……大丈夫。ディオルに謝らなきゃいけない理由が、一つ増えただけ」
「……そっか。その時は私も一緒にいくよ」
「ありがと」
(……そうよね。これだけ雑に扱っていれば、こうなるのは必然よね)
右手を左肩に向けてみると、そこには本来の姿とは程遠いグシャグシャになった肩パーツが映し出されることとなった。
リンドブルムは精密パーツの集合体だ。時には小さな躓きによって、関節パーツがおじゃんになることがある。時には他機との小さな接触によって、大部分のパーツが脱落することがある。
ルチアがテンカウントに追い付くまでに行った前転は十数回。いくら柔らかい土の地面に着地していたとしても、本来は加重がかからない上半身に負担をかけたのだ。こうなるのも無理は無い。致命的な損傷に至らなかっただけ、むしろ幸運と言ってもいい。
(……それでも、ここだけは止まれない!)
チームメカニックであるディオルが損傷を嫌っており、損傷を直すことを何よりも苦手としていることは分かっている。それでも止まるわけにはいかなかった。あきらめるわけにはいかなかった。
ルチアの双肩には、チームの行く末がかかっているのだ。ここで足を止めてしまえば、損傷でしかめっ面を作る彼女の顔も、修繕が間に合わずに申し訳なさそうに謝る彼女の顔も、二度と見られなくなる。
そんなのは嫌だった。
(あと二歩)
テンカウントの大きな背中が、視界を遮るほどに近付いてくる。
(あと一歩)
一拍前に足が消えたばかりの穴へ、自身の身体を躍らせる。
(これで……!)
これまでの規則正しい飛び込みと異なり、ルチアは穴の後ろ端まで身体を下げる。そこから前の端ギリギリまで踏み込みを行い、力の限りの跳躍を行った。狙った先はテンカウントの斜め前。彼女を追い抜きながら、そのままゴールを目指せる最短ルート。
「やった! あとはゴールするだけだよ!」
視認も容易くなったゴールラインの向こう側では、ムーンワルツが両手をメガホンの様にして何かを叫んでいるのが見える。けれど豪風によって声はかき消され、後方のテンカウントはもちろん、ルチアの耳にも届かない。
(大丈夫。これで同点よ!)
積雪は進み、小柄なウォッチドッグの身体は膝まで雪に沈んでいる。けれど、最後の跳躍によって生まれたテンカウントとの距離は約二メートル。目の前のゴールラインをくぐるのは、どう見積もってもルチアの方が早い。
ルチアが勝利を確信した時だった。
「マズい! ルチア、後ろ!」
「えっ? っ!?」
響き渡ったのは、楽観的なアローラにしては非常に珍しい本気の警告。その声につられて右手を後方に向けてみれば、そこには異様な体勢を取ったテンカウントの姿があった。
左足は腰近くまで持ち上がり、大柄な身体を支えるのは真っすぐに伸びた右足一本。身体そのものはゴールラインから
そしてそんなメガテリウムは、異様に長い腕を丸め、身体を小さく折りたたんでいた。身体の重心を安定化させるように、余計な力がかからぬように。
二機の姿は、まるでマウンドに立った投手と握られたボールの様。ならばその後に生まれる光景にも、おのずと想像が湧いてくる。
「くっ!」
急いでゴールラインを目指すルチア。だが、ここまでの彼女も別に手を抜いていたわけじゃない。気持ちが急ごうとも足は持ち上がらず、目前に迫ったゴールラインが遥か遠くに見えてくる。
ルチアは思った。またなのか。ここまで努力してもなお、叢雲の背中には届かないのかと。
「一レース目のお返し」
やけに耳へこびりつく声を残したまま、ルチアの横を突風が吹き抜けていく。
ゴールラインの向こう側では、ムーンワルツとメガテリウムがもつれ合う様に転がっている。
「……っ」
言いたいことは山ほどあった。吐き出したい感情は山ほどあった。だけどそれら全てをルチアは飲み込んだ。
叢雲の選出した第二レース。ロサンゼルスヘイローズはルチアの奮闘により、三位に滑り込むことに成功するのだった。
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