雪磋琢磨のボーダーライン

 体感としては長く、しかし、距離としては非常に短かった山岳の30で今まさにドラマが起ころうとしていた。十メートル近く後ろを走っていたはずのウォッチドッグが、突然勢いを増してテンカウントを猛追し始めたのだ。


闇堂あんどう先輩、ウォッチドッグとの距離が八歩差、いえ、七歩差まで近付いています。急いでください!」


「わーってるよ! こんにゃろ、考えやがったな!」


 ウォッチドッグが勢いづいた原因はハッキリとしていた。その答えはルートだ。先ほどまでの形式ばったルート取りをウォッチドッグは捨て去り、テンカウントの通ったルートをピッタリと追従し始めたのである。


「図体のデカさが裏目に出た。これは学び」


「言ってる場合か!」


 直美の操縦するテンカウントは、そんじょそこらのリンドブルムとは比べ物にならないほどの大きさがある。その図体は先行すれば前にそびえる壁として機能し、その重量は強風をものともしない安定感を生む。


 ここで一つ質問をしよう。そんな大質量の機体が、雪原をずんずんと進んでいったらどうなるだろうか。


 答えは簡単だ。彼女の通った道からは雪が押しのけられ、まるで除雪車が通った後の道路のように整備されてしまうのだ。いくら大雑把な除雪といえど、後続からしてみれば立派な安定ルートとなる。利用しない手は存在しない。


「一つだけ幸運だったのは、近付いて来てるのがウォッチドッグだけなとこ。夜見よみ、他の二機は?」


「カメラはウォッチドッグに近付けてる途中なので詳細は分かりません! けど、センサーは大分後ろを指しています!」


「それが分かればおけ。このままじゃポイントが燃えるから、単機駆けで稼ぎにきた。あのランナーには、それが出来るだけの実力がある」


「……マズいです。ルチアちゃん、闇堂先輩が作った足跡を、まるで水泳選手の飛び込みみたいに飛び移って移動してます」


「ほぉ。まるで雪原で狩りをするキタキツネ」


「だから言ってる場合か!」


 ルチアの操縦するウォッチドッグは、中学生女子に相応しいサイズの小型機体だ。大柄なテンカウントと比べれば身長は三分の一ほど、屈みこんでしまえば足跡の穴にすっぽりと入り込めてしまう。


 穴の中なら吹雪の影響は少なく、足に纏わりつく雪も少量だ。そして飛び込み前転の要領で穴から穴へ移動してしまえば、雪をかき分ける労力もゼロ。まさに一石三鳥の移動術と言える。


「どうする……。もういっそのこと、後ろのお荷物を放り投げるか?」


「だ、駄目ですよ! 闇堂先輩! このコースにおける今宵こよい先輩の移動能力はゼロに等しいんです。こんなところで置き去りにされれば、リタイアになってしまいますよ!」


「そもそも、この背中の荷物は四ポイント相当の高額商品。放り捨てるのは構わないけど、直美に補填出来るの?」


「ぐっ、痛ぇところ突きやがって……!」


 第三レースの洞窟はこれまた閉所コース。テンカウントの巨体では、踏破すら難儀することが予測されるコースだ。操の言う補填とは、次のコースで四ポイント分の活躍が出来るのかということ。


 少し考えるだけで、そんなことは不可能だと分かる。せいぜいが、腕部が損壊したソフィーとかいうランナーに勝てるかどうかといったところ。それだけでは、とても四ポイントには満たない。お荷物であろうと、操を捨てるわけにはいかない。


 (じゃあ、素直に勝ちを譲るしかねぇってか)


 直美はアイアンボクシングの元選手だ。ボクサーにとって距離感の把握は大切であり、その能力は畑違いのリンドブルムレースにおいてもある程度は機能している。


 そんな直美だからこそ分かる。このままでは追い付かれると。


「夜見、兎羽とわの方は?」


「ゴールしてます!」


「りょーかい」


 一番恐れていた事態である直美が塩を送ったせいで敗北は、どうやら免れそうだ。そもそもがあんなハイペースで突き進む兎羽が負けることなど、アクシデントしかあり得ないと思っていたが。


 何事も保険は大切だ。一度大きな失敗を経験したことによって、彼女は石橋を叩いて渡るようになった。


 (ここで二位に入られちまったら、ポイントは完全に同点。そうなると、第三レースが苦しくなる)


 このレースにおける直美の役割は、完走することに集約している。元々カウンターを当てられやすい機体設計だ。こうなること自体は仕方が無い。直美自身も選手としてはベテランだ。時には嫌な仕事に従事する必要があることを十分に理解している。


 選手としてのプライドは捨てられる。だが、先輩として情けない姿を曝し続けるのはどうかと思うのだ。


 そもそもがこのエキシビジョンマッチは、自分の悪行のせいで部員不足が解消されなかったことが問題だ。


 向上心に従いすぎて壊れた身体とちっぽけな満足感のために当たり散らした一年。どちらも自分のせいであり、だからこそ兎羽達に負担をかけ続けてしまっていることが情けなく思う。


 こんな時、兎羽なら気にしてませんと堂々と言い放つだろう。夜見なら内心はどうあれ、仕方ないですよと慰めるであろう。良く出来た後輩達だ。だからこそ彼女達にどうにか報いれないかと直美は思う。


 (つっても、考えるのは専門外なんだ)


 どうにか状況を打開する作戦は無いかと考えるが、元々考えるのは得意でない直美だ。必要な時にだけ頭を捻るだけでは、良い作戦など浮かんでこない。


 (いいから頭を回せ! なにか、状況を改善出来る良い作戦はないか)


 それでも彼女は頭を回す。自分はあきらめが悪いのだと、これでもかと頭を回す。


 (ダメか……。兎羽、悪ぃ。負担をかける)


 だが、現実とは得てして無情なものだ。突然のひらめきなど早々に浮かぶものでは無く、後ろに迫るウォッチドッグとの距離は五メートルも無い。


 直美が敗北を受け入れかけた時だった。


「夜見、ゴールまではあと何メートル?」


 後ろのお荷物兼騒音スピーカーから、声が聞こえたのだ。


「えっ? は、はい! 十メートル程です! もうすぐ視覚センサーでも検知出来ると思います!」


「直美、腕力に自信ある?」


「はっ? なんだいきなり?」


「いいから。自信ある?」


「まぁ、ある方だとは思うけど……」


 不愛想で歯に物着せぬ物言い。かと思えば、病の自分に声をかけ、最後まで付き添ってくれた親友だ。あまりに近すぎる距離にいるせいで良く忘れてしまうが、そういえば彼女は頭の回る側の人間じゃないか。


「なら好都合。この際、ウォッチドッグに三位を取られるのは仕方ない。けど、二位までは獲得出来る方法を思いついた」


「今宵先輩! 本当ですか!?」


「イエスアイキャン。けど、この作戦には二人の協力が必須。アーユーオーケー?」


「イ、イエスウィーキャン?」


「乗らなくていい。ほら、後ろが詰まってんだ。さっさと何をして欲しいのか言え」


「うむ。なら夜見、今から兎羽に衝撃に備えろと伝えて欲しい。それで直美、今からそこら辺で雪玉を作って、肩をあっためといて欲しい」


「へっ?」


「はぁっ?」


「これで作戦は完璧」


 夜見と直美の困惑を他所に、自信ありげな声を上げる操。


 直美はすっかり忘れていた。彼女は頭こそ回るが、どちらかと言えば発想が斜め上を行く、奇人の類だということを。

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