守りを捨てた番犬

 (覚悟していた、はずなのに……!)


 前方でおぼろげな巨体が、緩慢な動きで身体を左右へと振っている。あまりにも緩やかな一挙動だというのに、もうすぐその姿は白のカーテンの向こうへ消えてしまいそうだった。


 別に吹雪が勢いを増したわけでは無い。機体間の距離が離れつつあることで、視界から外れようとしているだけだ。だが、そんな当たり前の事実が、現在ルチアを打ちのめしていた。


「っんの、このぉ!」


「うっ、うくっ!」


「エメリー! ソフィー! 大丈夫!?」


 自分の数歩後ろに立つ、チームメイトに声をかける。


「気にすんな! っけど、本当に最悪のコースだ! 私達の選出は!」


「私も、大丈、夫。だから、ルチアちゃんは気にしない、で……」


 やせ我慢だ。それも限界寸前の。開始から数分しか経過していないというのに、すでにエメリーとソフィーの精神は限界まで摩耗してしまっているのだ。


 この猛吹雪が原因か。いいや、違う。たった数時間とはいえ、試走は行ったのだ。長年に渡ってランナーを務めてきた二人が、いくら高難度コースといえど、そう簡単に音を上げるはずがない。


 ならば原因はなんだ。


 簡単だ。彼女らの心は砕かれてしまったのだ。雪山の遥か彼方に消えた、叢雲むらくも学園の面々に。


 (テンカウントへの移動の依存、ムーンワルツの圧倒的独走、何よりもひっくり返しようが無いほどの実力差……。なんて……なんて苦しい)


 心砕かれたチームメイト達を手助けしながら、ルチアは歯噛みする。この短時間で起こった数々の出来事に。


 まずスタート前だ。第三ランナーであるみさおと、必要のない口論を行ってしまった。通常であれば聞き流せていただろう戯言、けれども、その時の操の言葉は的確であり残酷であった。


 腐ったリンゴ。誰を指定したわけでもない言葉が、ロサンゼルスヘイローズの面々に突き刺さる。


 一レース目は誰もが負い目を感じていた。役に立てていないと、歯噛みをしていた。そんな時に不穏な言葉を吐かれればどうなるか。誰だって、心が弱ってしまう。


 (それだけじゃない)


 次に彼女達を襲ったのは、叢雲の予想だにしない戦法だった。


 事前にロレンツォからも言われていた。操の操縦するメガテリウムには、まだ隠されている要素があると。だが、まさかそれが外付けの移動手段確保であるとは予想出来なかった。


 この第二レースにおいて、彼女達はせめてメガテリウムだけでも追い抜かそうと決めていたのだ。そんな決意を容易く踏みにじる戦法、前述の心の弱みが大きな波紋へと成長していった。


 さらにレース直後、兎羽とわのムーンワルツの挙動だ。


 さしもの山岳特化型機体といえども、このコースでは安定した挙動を取るだろう。それにしたって一位は揺るがないだろうが、あの機体にも不可能があることを知れるだろうとルチアは考えていた。


 けれども当のムーンワルツはレース開始早々に加速を開始。十秒もしないうちに、吹雪の向こう側へと消えてしまった。あそこまで加速をしてしまえば、下手なブレーキはクラッシュリスクを増大させる。


 どう見たって減速を考えていない殺人的な加速。それによりルチア達は察してしまった。兎羽と自分達との力量の差を。特化型機体を操縦する者の覚悟を。


 最後にレース展開、今まさに姿を消そうとしているテンカウントとの実力差だ。


 一レース目の結果もあり、ルチア達は希望的な観測を密かに行っていた。奇想天外な叢雲のリンドブルムだが、テンカウントだけは少々巨大なだけの通常機体であると。


 実際その認識は間違いではない。テンカウントを操る直美に特殊な才能は無いし、むしろいつ悪化するか分からない持病というリスクすら抱えている。


 ムーンワルツ、メガテリウムという二機の特化型と比べれば、理解が出来る相手。与しやすい相手。けれど、その認識は第二レースが進むにつれて置き換わった。彼女の操縦技術は非凡な物であると。


 山岳の30はとにかく一歩を進めるのが大変なコースだ。強風に積雪、傾斜にスリップ。視界不良まで含めれば、五重苦を背負いながら踏破していることになる。


 そんな中でありながら、テンカウントは淀みなく歩を進めている。前述したように動きは緩慢だ。一つの動作に十数秒はかかっている。


 だが、ミスは無い。動きを止めもしない。


 着実に一歩一歩を踏みしめていくのだ。この五重苦の中、それを遂行していくことがどれほど難しいか。それはロサンゼルスヘイローズのランナー三人が痛感している。


 山岳の30は一レース目の沼地の18よりもさらに狭いコースだ。数メートルの差が致命的な差となり、ゴールした時には数十メートルの差に変わることもなんら不思議ではない。この段階で生まれた差は、致命傷なのだ。


 彼女達は思い知らされてしまった。走行プランを考える戦略、プラン通りに遂行する連携、コースを走り切る実力。あらゆる物が叢雲学園に劣っていることに。


 人の肉体は心に追従する。心があきらめなければ肉体は限界を越えたパフォーマンスを発揮してくれるが、反対に心が折れれば普段出来ていたことすらままならなくなる。


 今のロサンゼルスヘイローズに起きていることがそれだ。エメリーとソフィーは、無意識の内に心が戦いを放り出してしまった。だから前に進もうとしても遅々として進まない。強風の中で一歩を踏み出すことが出来ない。


 ゴールするだけならいくら時間をかけてもいいのだ。余計な集中力を発揮して消耗する必要など無いのだ。


 (でも、でもそれじゃあ!)


 ルチアだけは理解している。後ろ向きの感情が何を引き起こすかを。妥協が何に繋がるかを。


 三レース目の舞台は、ロサンゼルスヘイローズに圧倒的な有利が付いた洞窟コースだ。一レース目の貯金を考えれば、二レース目で大敗をしたところで、合計ポイントでは小さな負けのまま三レース目に突入出来る。


 そう。本来ならこのコースの勝敗は関係無いのだ。勝利が決定付けられた三レース目を、ミス無く走り切るだけでいいのだ。


 (そう思ってた。あの一レース目、そしてこのレースを見るまでは……)


 一レース目でルチアは驚愕した。メガテリウムという特化型の運用もさることながら、リタイアすることなく走り切ったムーンワルツとテンカウントに。並みのランナーであれば、そもそもリタイアしてもおかしくは無いほどのカウンターコースを選出したはずだったのに。


 けれど苦しみながら二機は走り切り、自分達の判断ミスによって二位を奪われた。ルチアは己の判断能力を呪った。


 そしてこの二レース目だ。相手は合体という埒外の戦法を投入し、その成果は距離差に表れている。またも予想だにしなかった展開に自分達は面食らい、悲しきことに心が妥協することを望み始めてしまっている。


 仮に妥協するとしよう。三レース目があるから大丈夫だと、気休めの支柱を建てたとしよう。そこまでしてルチアは考える。本当に三レース目は大丈夫なのか。こちらの確勝コースなのかと。


 (そんなはずない! そんな浅いチームなら、私達はここまで負けていない!)


 一レース目を偶然の悲劇と考えてはいけない。二レース目を必敗のコースとあきらめてはいけない。なぜなら相手は備えていたからだ。敗北の傷が小さくなるように、確実な勝利を収められるように備えていたのだ。


 そんな相手に、三レース目はこちらの有利だろうからと思考停止で挑みかかる。


 馬鹿げている。


 そんなことをすれば、三度みたび自分達の顔は驚愕で染め上げられ、今度こそ立ち直れない負け方をすることになる。


 (だからダメ。ここでみすみすと勝利を渡しちゃダメ。食いつかないと、私達が無抵抗な草食動物ではなく、牙を持った獰猛な肉食獣だと思い知らせなきゃいけない!)


 レースには勝者がいる。競技には流れがある。押されるがままに流され続ければ、相手は骨すら残さず全てを略奪していく。だから押し留めなければいけない。流れを堰き止めなければいけない。


 そして流れが緩やかになった瞬間、今度はこちらの流れを押し付けなければいけない。牙と爪を持って、相手に食らいつかなければいけない。


「二人共……」


 意を決したかのように背後の二人に振り返ろうとするルチア。しかし、彼女が振り向く前に二つの衝撃が背中を押した。


「行け、ルチア。ディオルには事前に言っといたんだ。どんだけぶっこわれようと、私も一緒に謝ってやる。それより、ここまで足を引っ張って悪かった!」


「行って! ルチアちゃん! 私達も絶対にゴールだけはしてみせるから! だから、お願い! 勝って!」


 このチームにおけるルチアの立ち位置は、第二のサポーターだ。地形を把握し、敵の動向を把握し、他の二人の補助をする。今も彼女らの数歩前にいたのは、強風から二人を守るためだ。


 しかし、今まさにルチアは勝利を願われた。彼女自身もそれが最善だと判断した。ならば補助に回してたリソースの全てを、自身の走力に回すことが出来る。


「二人共……! 分かったわ。アローラ! テンカウントまでの距離は?」


「おおよそ十歩先! 無理をすれば追い付けない距離じゃない!」


「ありがとう。なら、急ぐわ」


 ルチアのウォッチドッグは、機体性能だけなら通常機と大差が無い。本来ならば、これほど開いた差を埋めるのには相当の実力が必要だろう。


 加えて、この猛吹雪では一レース目のように、周囲の状況把握を行うことすら困難だ。叢雲はコースの選出によって、個人の才能を封じ込めようとした。


 (確かにこんな猛吹雪じゃ、手に入る情報なんて限られてる。取れる戦法なんて限られてる。でもっ!)


 視力こそ奪われはしたが、少ない情報を処理する頭脳までは失われていない。そして、数メートルとはいえ視界は通るのだ。


 (見つけた)


 一面の銀世界で、彼女は求めていた異物を見つけ出した。それは逆転へと繋がる小さな小さな勝利への抜け道だった。

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