折れた失敗フラグと立った敗北フラグ

 ちょっとしたトラブルにより、開始が遅れた第二レース。


 どうにか二度目のスタート準備は無事に終わり、各選手はそれぞれが考える理想のスタートを切ることに成功した。


 スタート前こそ粉雪が散らつく程度だったが、コースの仕様上、スタートと同時に前方から猛吹雪が襲い掛かる。


 コースを指定した叢雲むらくもの思惑が存分に反映された豪雪だ。スタートから一分も経っていないというのに、積雪は目に見えて増加している。加えて、視界はホワイトアウトそのものだ。数メートル先も満足に見渡せず、集団行動を考えて機体を近付け過ぎた場合、思わぬ接触事故も考えられる。


 連携と情報収集に重きを置くルチア、そしてり足寄りの走行を行うエメリーにとっては非常に辛いコースのはず。現に理想のスタートを切れたはずの両者の間には、すでに一メートルほどの差が発生していた。


 積雪によって走行ペースがどんどん落ちていく関係上、山岳の30におけるスタート時の一メートルは、他コースにおける十メートルと捉えても間違いではない。


「……酷い目に遭った」


「自業自得だろ、バーカ。というか、敵相手に面と向かって説教なんざらしくねぇ。どんな風の吹き回しだよ?」


 強風によって、今もランナーの耳には絶えず爆音が奏でられていることだろう。だというのに、みさおと直美の二人は、何てことも無いように軽口を叩き合っている。


 サポーターと異なり、ランナー同士は通常の会話のように付近にいることが必要なはず。そもそもこの豪雪の中では、操の操縦するメガテリウムはまともに動くことが出来ないはず。


 これは一体どういうことなのか。


「直美、風で持ってかれそうになる。もう少し、壁の自覚をもて」


「ぶら下がってる分際で調子乗んな! あと会話をする気があんなら、こっちの疑問にも答えやがれ!」


 操の操縦するメガテリウムと直美の操縦するテンカウント。現在二機は、身を寄せ合って登頂を行っていた。


 いや、この説明では語弊があるだろう。


 テンカウントの両肩に開けられた穴、そこにメガテリウムの両爪を差し込むことで、両者はドッキングがされていた。テンカウントにぶら下がることで、メガテリウムは苦も無く移動を果たしていたのだ。


「……はぁ。夜見よみに頼まれた。自分も別口でアプローチをかけるから、こっちにもケアに回って欲しいって。ちなみに、夜見は影センから頼まれた」


「こっちが悪ぃみてぇな溜息をつくな! ふん、まぁ確かにギスったチームに手助けをしてやんのは悪くねぇ。けど、レースが終わってからで良くねぇか?」


 普通の機体でこんなことをすれば、重みでスピードは落ち、足回りにかかる負担によって早々に潰れてしまうだろう。


 しかし、テンカウントは大柄な機体であり、メガテリウムは小柄な機体だ。自重を支えるために足回りには多くの補強が施されており、後ろの荷物も半ば風に飛ばされながらぶら下がっている状態。


 これならばかかる負担は、せいぜいが両者を支える肩口くらい。その部分に関しても、メカニック兼ランナーである操が検証済みだ。


 一見すると、ロサンゼルスヘイローズを潰すために操を切り捨てたかのような叢雲のコース選択。しかし蓋を開けてみれば、全てが計算ずくめで行われた完璧なコース選択であったのだ。


「夜見曰く、負けが確定してからじゃ遅いらしい。自暴自棄になって、こっちにも悪い影響が出るって」


「……こっちにもってことは、やっぱり新入部員ってのはなのか?」


 ぎしりぎしりと新雪を踏みしめるテンカウントの足取りは安定している。ただでさえ重い機体にメガテリウムという重りまでのしかかっているせいだ。


 普段なら柔らかい地面だと沈み込んでしまう重量も、中途半端な新雪に体重をかける可能性が無くなったことで、スリップという危険要素を除外するメリットへと変わっている。


 山岳コースを熟知した兎羽とわ曰く、このコースの一番下に使用されている地面は土。水気によって滑りを増す岩石でも、一歩踏み間違えば崩れ落ちる砂利でも無い土。


 安定した土の地面を踏みしめられる重量は、コースの安定踏破に直結する。


「もち。親と喧嘩別れして、最愛のチームから引き離されて、自分達を崩壊させた相手を勝たせるためにレースをする。直美ならどうする?」


「今度こそグレてやる自身があるな」


「そ。お人好しの甘っちょろいビビり野郎ですら、ヤンキーに変わる程の事態」


「……テメェは後でぶっ飛ばす」


「はいはい。そうならないために、私達が動く必要があるって話。本人達に自浄作用が無いんだから、例え敵対者っていう劇薬だろうと、浄化のためにぶち込んでやらないといけない」


 安定した走行は、安定した精神状態へと繋がる。


 けれども、それも度が過ぎれば緊張の弛緩へと繋がる。張り詰めた緊張感は良いものでは無い。けれども、緩み切った緊張の糸も決して良い物とは言えない。


 普段はレース中に会話することが無い親友が間近にいるためだろう。いつもの直美らしくもなく、集中力が欠如していた。


「この野郎、軽く流しやがって。ってか、そもそもこれって私達が勝った前提の話だろ? 油断は良くねぇんじゃないか? ただでさえ油断が無かった一戦目も、思い通りにいかなかったんだぞ」


「大丈夫。これは油断じゃなくて余裕」


 彼女らの掛け合いは、いつの間にか腰を据えた雑談へと変化してしまっている。だが、それに気が付いている様子は無い。


「おい、それって負けフラグ……」


「成立しない旗なんて、いくらでも立ててやればいい。一戦目の旗だって、多くの犠牲で突き立てた旗。仮に私レベルのメカニックがいたとしても、収支が釣り合っていない。破綻が早まるだけ。ただ……」


「ただってなんだ! ただって! 私がを大切にしてんのは知ってるだろ! これ以上不確定要素をばら撒かないでくれ!」


「大したことじゃない。ただ、私達が発破をかけた後の三戦目が、とんでもないことになるかもってだけ」


「……あるじゃねぇか! とんでもない負けフラグが!」


 長年の付き合いによる気安さと、レース慣れしていなかった操がいたせいであろう。普段ならここまでの無駄口を叩くことは無い直美が、逆に話題を加熱させてしまっていた。


 普段とは違う要素を総称してフラグと呼ぶなら、この会話そのものがフラグと化していることに両者は気が付いていない。


 そもそも走り出しの時点で口論というイレギュラーが発生していたのだ。


 すました顔でなんてことない様子の操でさえ、心のどこかに気付かない歪みが発生してしまったのだろう。


「お話し中のところ申し訳ありません闇堂あんどう先輩。このまま直進を続けると、足を引っかけやすい小石が乱立するゾーンに入ります。予定通り右斜めへ二十歩ほど進んでいただき、そこから元のコースに戻るルートへ_」


 そしてこれまた間が悪いことに、夜見のルート指示がタイミング悪く入ってしまう。


 空気の読める女である夜見は、二人の会話に混ざることは無かった。明らかに無駄口が多いと感じていても、これ以上混ぜっ返す方が危険であると会話に口を挟まなかった。


 このタイミングのルート指示。これまたフラグの一つと言えた。


「ちょうど良かった。夜見、このビビりに敗北フラグを百個ほど、ぶっ立ててほしい。さっきから負ける負ける~って、臆病風に吹かれてる」


「あぁっ!? 誰もビビッてなんかねぇだろうが! 夜見、こいつの話に耳なんか貸すな。それよりも、油断しきったこいつの心に、引き締まるような一言を貰えねぇか」


「へっ? えぇっ!?」


 空気を読まない悪ノリ。遊び半分の掛け合い。誰がどう見てもこれは余裕ではない。油断だ。


「夜見、こういう時に判断が正しいのはどっち? よく考えるといい」


「夜見、さっさと頼む! さっきから余裕ぶっこいてタクシーを満喫してやがるこいつに、段々と腹が立ってきてんだよ」


 突然の無茶振りと板挟み。普段の圧力を考えれば言うことを利くべきは直美なのだが、本人の言う通り判断力に優れているのは操だ。そもそも、こういった板挟みはどちらを選択したって角が立つ。


 (何で!? 何でこんなことに!?)


 あまりにも張り合いの無いレース展開だったために起こった悲劇。必死に双方の好感度上下を計算していた夜見だったが、ふと、自分が会話に割って入った用件が達成されていないことを思い出した。


「って! 闇堂先輩! だからルート変更を行わないと悪路に突っ込んじゃうってぇ!」


「あっ? どわぁぁぁぁ!?」


 口喧嘩にかまけたせいで小石に躓き、ゆっくりと傾いていく巨体。


「直美!?」


 普段の走行であれば、彼女は勢いのままに転倒し、自重でとんでもない損傷を負っていただろう。


 しかし、この場にはもう一人のランナーがいた。走行は分からずとも、機体知識には精通した操がいた。


 とっさに一本の爪を肩から外し、杖のように地面に突き立てる。そこに直美の踏ん張りも加わり、どうにか巨体を安定させることに成功した。


「二人共! 大丈夫ですか!?」


「……はっ、はっ、はっ……。なんとか、無事だ」


 体勢は立て直した。けれども、立て直したからこそ背筋に冷たいものが走る。自分達は至極くだらない理由で、リタイアの境界を反復横跳びしていたのだと。


「……悪い。調子に乗って煽りすぎた」


「ハッ、ハハッ……。いい、私の操縦ミスだ。気にすんな。けど、こんな会話はもうやめよう。集中だ」


「うん、ごめん」


 自分達の運命が薄氷の上に立たされているのだと実感した二人は、その後において無駄口を叩かず歩を進めることに集中する。


 一見すると、それは一切隙の無い安定した走行であった。


 だが、彼女達は先ほどのハプニングですっかり忘れていた。自分達がフラグを乱立したことに。加えて失敗フラグは叩き折ったが、敗北フラグは成立したままであることに。


 彼女達が与り知らぬ後方で、番犬は密かに決意を固めていた。

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