リスクを背負う意味
休日のイベントに
夜見の目の前に展開されたホログラフィック映像には、とあるプロ試合の最終レース、最終盤が映し出されている。
コースは生い茂った大木によって、一筋の光も差し込まぬような大樹海。朽ちて倒れた大木が反り立つ壁となってランナーを遮り、気ままに伸びる根は地面にいくつもの隆起を作り出す。
先頭を走るチームの機体は、いずれもこれまでのレースと今回の厳しいコースによってボロボロだ。後続との距離は徐々に縮まってきているが、ポイント合計を考えれば一位でゴールするのが絶対条件といったレース展開。
「えっ」
このままではゴール前に追い付かれる。けれど奇策を用い辛く自力が求められるこのコースでは、意地と根性で走り抜くしかないと夜見は考えていた。しかし、映像の中のランナー達はなんと、三機それぞれで別ルートを取ったのだ。
樹海コースはとにかく足場が悪い。そのため先頭を走るチームは常に安全な道の選択、というよりも開拓を行わなければいけない後続有利のコースとなっている。
もちろんそれぞれが別ルートを取るなどの奇策は愚の骨頂だ。そんなことをすれば全機揃って道の開拓をする必要が出てくる。取られる時間は後続の有利にしか働かない。
ほとんど初心者と言ってもいい夜見ですら考えつく戦略だ。なのにプロのトップチームがそんな愚作を選択したことに、彼女は驚きを隠せない。
「ここでそれぞれが別ルートを取った。理由は分かるか?」
「えっと……分かりません。すみません」
影山が今回のレースを夜見に見せたのは、この問いかけをするためだったのだろう。けれども最初からメンタル勝負になると安易に判断して予想を外した彼女には、それ以上の良案がすぐには浮かんでこない。
「謝る必要は無い。学んで、活かす。それが今の時間だ。これから映像を倍速させる。
「えっ、は、はい!」
影山の手によって映像が倍速される。夜見は言われた通り、先頭と後続の間に出来た距離のみに集中する。
これまでルート開拓を行っていた潰れ役のランナーを失ったのだ。先頭チームと後続との距離はぐんぐんと縮まっていく。このままではゴール前どころかスパート寸前には後続に追い付かれ、そのまま引き離されてしまうほどに両者の勢いには差がある。
言われた通りに見ているのはいいが、この映像からどうやって、問いかけの答えを見つければいいのだろうと夜見が考えていた時だった。
「あ、れ……? 距離が縮まっていかない……?」
ちょうど先頭チームがルートを分けたポイントを境に、後続との距離が縮まらなくなったのだ。
もちろんルート開拓を一機ずつが行うようになったことで、先頭チームの損傷度合いは凄まじい。腕が曲がり、足がひしゃげ、胴体に大きな凹みを作っていても、彼らの歩みは止まらない。その歩みに追い付けない。
「一体どうして……?」
夜見は問いかけの答えを見つけるため、各選手の視点に立って物事を考え始める。他者への歩み寄りを得意とする彼女が、一番多用する思考法だ。
(別ルートを取った以外に、先頭チームに不審な点は見当たらない。まぁ、
先ほどまでの先頭チームはルート開拓を担う一機の他にも、残りの二機は損傷に十分注意して進んでいた。せっかく潰れ役が損傷を一手に引き受けてくれているのだ。これでつまらない損傷などでリタイアしてしまえば、全てが台無しになる。
(それなら後続チームに何かあった? いや、そんなことも無い。これまで通り先頭が開拓した道を利用する形で、何事も無く走り続けてる。道が別れたことで、後続もチームごとに好みのルートに分かれたみたいだけど、これだって渋滞のリスクを考えれば普通のこと)
ならば後続に何らかの問題が発生したのかと目をやるが、そこに映るのは先ほどと変わらない走行を続ける姿だ。ゴールが近付いてきたためだろう、焦りから若干隊列が乱れている部分はある。しかし、それが致命的な遅れに繋がっているとはとても言えない。
(一度根性論に逃げ出しておいてなんだけど、やっぱり勝利への執念が選手の能力を引き上げているとしか思えない……。思いがチームを強くする! ……影山先生に限って、そんな答えを用意するわけ無いしなぁ)
何度考えても、先頭チームがメチャクチャ頑張っているという答えしか出てこない。恥ずかしいが、もう一度潔く降参するべきだろうかと夜見が思っていた時だった。
「棋将、お前は人の所作から感情を読み取ることを得意としているが、リンドブルムレースの
「道、ですか……?」
突然の助言に困惑しながらも、夜見はコースの状況に目をやった。
ルートが別れた部分を境に、コースの環境は悪化している。道を遮る枝葉は機体一機分のスペースしか取り払われておらず、文字通り足元を掬いにかかる根っこなどは目印の一つもなく潜伏したまま。
言うなれば、後続もコース開拓の必要性に迫られている状況。だからといって、このレースに参加するのは全員がプロランナーだ。開拓の役割を遂行出来る選手はいずれのチームにもいるだろうし、一声あればすぐさま開拓を始めるだろう。
そこで夜見は気が付く。
「後続は、未だに開拓をしていない?」
「そうだ。それを理解した上で見てみろ。後続はどうやって走っている?」
「……あっ」
後続は今まで通りの走りを行っていた。一機分しか開拓されていない粗末な道を、実に窮屈そうに身を屈めながら。
「今回お前に見せた試合は、リンドブルムレースが世界的スポーツの地位を得たばかりの時代のものだ。戦略はお粗末、戦術も右に
「どのチームだって、時間がかかるし相手の利にも繋がる開拓なんてしたくない……。樹海コースは三機が固まって突破するのが一般的……」
「そうだ。そんな一般論に従っていたからこそ、有利なはずの後続は先頭から離されていった。一機分の開拓コースを三機で通り抜ければ、遅れるのは当たり前だろうに」
損傷とはリタイアに繋がる大きなリスクだ。夜見もサポーターを教わり始めた初期の頃は、危険な近道と安全な回り道があるのなら後者を選択するのが丸いと聞かされた。
けれども映像のレースは最終レースで、おまけにゴール直前の最終盤でもある。このレースが終わってしまえば、いくらでも修理に時間は割けるのだ。
先頭チームは損傷というリスクを度外視し、自分達と後続のための開拓を放棄した。一方後続はリタイアのリスク、開拓のリスクを考え、安定策に逃げた。
損傷は出来る限り回避するもの、樹海コースの開拓は先頭チームが行うもの。両者の意識の差が、結果に現れた。
「棋将も分かっているように、リンドブルムレースは刹那の勝負でもある。このままでは追い付けないとサポーターから激が飛んだのだろう。慌てて損傷度外視で走り出したようだが……」
サブカメラに映るのは、がむしゃらに樹海コースを走り始めた後続チーム達。しかし、彼らは今までメインカメラの中央を占拠していたチームのはずだ。なら今のメインカメラには何が映っているのか。
その答えこそが、ボロボロになった三機のリンドブルムが抱き合う姿。火花散り、それぞれの抱擁が機体に大きな損傷を与えてしまっているが、そんなものはお構いなしだ。なぜなら彼らは、勝利というかけがえのない栄光を手に入れたのだから。
冷たい鋼の身体越しでも、彼らの感情は伝わってくる。どこまでも熱い激情と抑えきれないほどの歓喜。夜見が求めて止まない感情の激流が、ホログラム画面には溢れていた。
あえてリスクを背負うことで、勝利を手繰り寄せる。この日、夜見は今までの教えの殻を破るような新たな戦略を、影山から学び取ることとなった。
「個人練習はここまでだ。そろそろ
「……っ! はっ、はい! すぐに準備に入ります!」
他人の勝利に見とれていたとは口が裂けても言えず、慌てて今日の予定を確認し始める夜見。普段ならこのまま教室を後にするところだったが、この日は珍しく影山が呼び止めた。
「あぁそれと」
「えっと、どうかしましたか?」
「エキシビジョンマッチの参加表明、本当に感謝している。棋将からすれば、参加を選択するだけで負担がかかっただろうに」
「それ、は……」
夜見が人の感情を読み取ることに長けているように、師匠である影山もその分野には隙が無い。むしろ影山は前者に加えて、周囲の空気やなんなら施設一帯の空気まで加味して人読みを行うため、精度は夜見などとは比べ物にならない。
兎羽に突き動かされたあの日から、夜見の感情など見透かされている。イレギュラーな事態に巻き込まれることや自身に非難が浴びかねない状況を嫌っていることなどは特にだ。
「俺としても、焦りが無かったと言えば嘘になる。見つからない部員、近付く大会。出来るだけ良い形で試合に臨んでもらいたい。そう思って古馴染みの提案に乗った形だが、あの場で提案すれば棋将が断り切れないのは当然だった。すまなかった」
「止めてください。謝るのはそこまでで結構です」
「……」
「確かに部員を獲得できるか否かの試合なんて、不安でいっぱいです。おまけにコース決定から試合まで全く猶予が無いなんて、サポーターの負担が大きすぎて逃げ出したくなりました」
「ならなぜ今日の個人練習に参加した? 当てつけに一日程度サボった所で、俺としても仕方ないと思っていたんだが」
声音からすれば、まるで詰問のような質問。しかし、それなりに長い時間を過ごした夜見だからこそ、彼の発言が人読みを外した困惑から来ているものだと分かる。
「影山先生と一緒ですよ」
「?」
普段から仏頂面の顔が、細められた目のせいで凶悪な表情に変わる。けれどもこれだって疑問から来るものだ。気にする必要は無い。
目の前の教師は夜見以上の人読み能力を持っている癖に、絶望的に人付き合いが下手なのだ。せめて普段からもう少し明るく振舞っていれば、兎羽から伝え聞く実績からして望んだポストにあり付けただろうに。
「転んでも、挫折しても、その度に立ち上がって、熱い気持ちを勝負に込める。そんなあの子のことが、気になって仕方が無いんです。あの子がどこまで行けるとしても、眺めるだけの分際が足を引っ張ってちゃ
「……なるほどな。望んだ景色を目指すために、不利益を被る。いや、望んでいるのだから、それはすでに不利益ですら無いか」
「あの子のお転婆に付き合わされるくらいなら、可愛いものですよ。理解が深まるたびに目を離せなくなるのは玉に
「ふっ」
影山が口元に手を当て、何かを思い出すかのように笑いを漏らす。下がった目線に映るのは、ここではないどこかの記憶。
「色々と付き合わせて悪かったな。出来ればこれからもよろしく頼む」
その頼みが何を指しているかなど、夜見には分かり切っていた。
「はい。兎羽ちゃんが全力を出せるよう、私も全力でサポートしていきたいと思います」
今日の練習を休まなかったことからも、夜見のサポートが二つの事柄を指していることは明白だった。
「合流するか」
「はい」
それっきり二人の会話は先ほどのレースに移り、何事も無かったかのように部屋を後にするのだった。
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