到着早々のOB会にて

「あれはテキサスジャスティスのガルシア選手! あっちはボストンブラックヘッズのラミレス選手! あぁっ! マイアミオーシャンズのゴードン選手まで!? は、早くサインを、ううん、先に握手をお願いして……!」


兎羽とわちゃん! ステイッ、ステイッ!」


 入学早々に参加したブロッサムカップの試合会場であった西之島スタジアム、そこよりもさらに巨大な人工メガフロートの上に兎羽達は降り立っていた。


 この太平洋第三メガフロートは海面に見える部分だけでも島一つ分の広さを誇る巨大人工島だが、なんとこの島は海中にも利用可能空間が存在するのだ。


 パーティなどに利用される豪華絢爛な第一層、歌劇や演劇用の巨大ステージが用意された第二層、全天候対応型の3Dプリンタースタジアムが全面を飾る第三層、そして、マリンスポーツなどを楽しめる兎羽達が降り立った海面層。


 多くの娯楽とレジャーを兼ね備えたこの人工島は、完成当初から非日常を味わいたい富裕層に親しまれてきた。そんな地上の楽園とでも呼ぶべき島を毎年貸し切って行われるのが、アメリカリンドブルムレースOB会なのだ。


「は、はわわわ! 常に視界の中に、レジェンド選手が入ってくる……! ここを逃したら、もう話す機会は一生無いかもしれない……。我慢できなーい!」


「あぁっ!? 兎羽ちゃん!」


 夜見よみの静止を振り切り、目の前にニンジンをぶら下げた馬よろしく、兎羽が人込みへと突撃していってしまった。


 しかし、それも無理は無い。なんせ兎羽のリンドブルムレース愛は相当な物。話し始めればこちらから中断させない限り延々と話が続き、内容も時には彼女の生まれる以前の話題が混じったりもする。


 そして、この場にいる大人達は、各々が何らかの形で時代を牽引してきた者達ばかり。彼女からしてみれば、まさに宝の山と同義なのだろう。


「行かせてやれ」


「先生! でもっ!」


 叢雲むらくも学園憑機ひょうき部は、つい先ほどこの島に到着したばかり。周りは外人だらけの完全アウェー環境の上、腰を落ち着けるための客室の確認すら済んでいない。


 今の時代、幸いどんな安い端末にも全言語対応リアルタイム翻訳アプリは導入されている。そのため、言葉の壁によって兎羽が足踏みしたりすることは無い。けれどもせめて手荷物を片付けるまでは兎羽を留めておきたかった夜見だったが、影山は静かに首を横に振った。


「話題に出しただけで、あのはしゃぎ様だったんだ。不満を溜めこみ過ぎてパンクされるくらいなら、最初にガス抜きをさせておいた方が良い」


「どうせエキシビジョンマッチまではまだ時間がある。せっかくの機会なんだから楽しまなきゃ損」


「おい、みさお? まさかお前もどっかに行くつもりか?」


 不穏な操の言葉に、直美が反応する。


 彼女もどちらかといえば常識人に分類される人間であり、おまけに飛び切り神経質な性格だ。自身の立ち位置すらままならないこの環境では、知り合いが傍にいないと心も休まらないのだろう。


「ここにはメカニックのレジェンドだって、たくさんいる。兎羽じゃないけど、意見を交わせる機会なんてそう多くない。影セン」


「もちろんだ。時間に間に合うなら好きにしろ」


「りょ。じゃあ、そういうことで」


「えっ、ちょっ!」


 突撃していった兎羽に続く形で、操もどこかへ向けて歩き出す。


 普段の物静かな態度のせいで分かり辛いが、彼女は自身の技量を引き上げることに貪欲だ。そしてメカニックというポジションは、単純な技量だけでなく蓄えた知識がモノを言う。


 十数年の人生では決して備わらない老獪ろうかいさ。それを学び取るには、絶好の機会なのだろう。


「はっ~、ったく、どいつもこいつも」


 到着早々、勝手な行動を取り始めてしまった二人に、直美は思わず溜息を吐く。それは呆れを多分に含んだ溜息であったが、同時に安堵の成分も少量ながら含まれていた。


 なぜなら直美を除く残された二人は、常識人に分類される面子だ。我欲を優先して行動することは無く、己を律することが出来る二人。彼らさえいれば、自分がこの場に一人で取り残されることは無いと安心していたのだ。


 しかし、悪い流れとは重なるものだ。二人の隣で端末をいじっていた影山の舌打ちを、夜見は聞き逃さなかった。


「先生?」


「……悪いが、少しの間お前達も、興味がある場所で時間を潰していてくれないか?」


「お、おい! どういうことだよ!?」


「先生!? ど、どういうことですか!」


 これまでの流れから、影山が離脱しようとしているのを感じ取ったのだろう。二人は食い気味に理由を尋ねる。


「俺達を招待した男、ルナハートと言うんだが、そいつが客室の案内連絡をいつまで経っても送ってこなくてな。おまけにどこで遊び呆けているのか、何度呼び掛けても返事が無い。このまま合流時間まで待ち惚けは辛いだろう?」


「そ、そりゃあ、そうだけど……」


「だから探し出して、さっさと案内をさせる。そんなに時間はかからん。あいつが行きそうな場所には目星が付いていてる」


「でも……」


「何かあったら、端末に連絡してくれればいい。心配しなくても、あいつと違って他人の呼びかけを放棄する趣味などない」


「それなら……」


「すまんな。出来るだけ時間がかからない内に戻る」


 そう言って影山は足早に船内へ歩き去ってしまった。


「……行っちまった」


「えっと、どうしましょう?」


「どうするって……」


 残された二人は、立ち尽くすしかなかった。


 元々アイアンボクシングの選手であった直美は、リンドブルムレースの歴史に疎く、レジェンド選手の知識が無い。入部するまでは、暇潰しがてらに試合を流し見していただけの夜見も同様だ。


 興味がある場所で時間を潰せと言われても、常識人側の二人は旅行荷物を脇に置いたまま観光などしたくない。おまけに、下手に元選手に声をかけられでもしたら、知識の無さを露呈することになってしまう。


 例え外国のレジェンドと言えど、不興を買ってしまっては今後の活動に何らかの支障が出る可能性がある。そのため二人は動き出せずにいたのだ。


 (うぅ~……。このまま突っ立っていたら、それはそれで注目を集めちゃう。こういう時の闇堂あんどう先輩は頭が回っていないし、私が考えないと……)


 隣に立つ直美はあきらめの境地に至ったのか、すでに地面へ根を生やした樹木の如く微動だにしなくなってしまっている。


 加えて周りで談笑する年齢層はいずれも老年ばかり。入り口付近でいつまでも若者が突っ立っていれば、親切心から声をかけたくなってしまうのが心情という奴だろう。


 このままでは、遅かれ早かれ恥を掻くことなりかねない。そこで夜見はとある行動を起こすことに決めた。


「闇堂先輩、兎羽ちゃんと合流しましょう。あの子の事です。どうせ大騒ぎをしているから、すぐに見つかるはず」


「へっ? いや、それは構わねぇけど、ここで待っていたほうが余計なトラブルが起きなくていいんじゃ_」


「いえ、もうトラブルは起きる寸前です。左手前の好々爺然とした老人と、右斜め奥の話し好きの雰囲気を纏ったご婦人。明らかにこちらへ向かってきてます。先輩はお二人が誰だか分かりますか?」


「……一ミリもピンと来ねぇ。なるほど、それで兎羽と合流ってわけか」


「きっと兎羽ちゃんなら、私達は一歩下がって立っているだけで勝手に話をまとめてくれます。今一番困るのは著名な方に手助けを受けることです。私達二人だけだと、間違いなく恥を掻かせることになる」


 兎羽が近くにさえいれば、対応は彼女に任せることが可能だ。荷物を片手に抱えているからなんて、そんな常識人ぶったことを考えている余裕はない。


「よし、なら善は急げだ! ちゃっちゃと兎羽に合流するぞ!」


「分かりました」


 方針を決めた二人は、先ほど兎羽が走り去った方向に向けて歩き出す。


 そして、気遣いの達人である夜見はアフターケアも忘れない。歩き始めたタイミングで、歩み寄りを見せていた親切な二人に会釈する。それだけで彼らは納得し、夜見達が向かう場所に悩んでいただけだと勝手に解釈するだろう。


 会釈までされたのだから、こちらの親切心は相手に届いていたのだと不快な気持ちになる要素も無い。


 こうして夜見と直美だけが勝手に抱いていた危機は、事前に回避されたのだった。

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