希望の知らせ

 放課後の部室棟を、兎羽とわ夜見よみの二人は足早に進む。時間としてはHRホームルームを終えた直後であり、顧問である影山とも先ほどまで顔を合わせていたばかりだ。


 部室に辿り着いたとしても、出来ることと言えば自主練習の準備程度。夜見に至っては、影山がいないと練習すらままならない。ならば彼女達はどうして足早に部室を目指すのか。それはHR後に影山から、とある一言を告げられたからだった。


「新部員の件、当てが出来たかもしれん」


 その一言だけを伝えると、詳細は部室で話すと影山は職員室に向かってしまった。


 兎羽は弾けんばかりに喜んだ。これで本格的な練習を始められると。夜見は安堵した。先行きの見えない転部交渉に、ようやく転機が訪れたと。


 嬉しすぎて飛び跳ね始めた兎羽を落ち着かせるために数分。そこからは調子に乗らぬよう釘を刺し、二人で足早に部室を目指していたのだ。


「どんな子かな!? リンドブルムが大好きな子だといいな!」


 細かい部分こそ少しずつ異なっていたが、先ほどから兎羽は似たような発言をするばかり。呆れた夜見が相槌を打たなくなったのは随分と前だが、本人の中では独り言に分類されるようで気にした様子は無い。


 (でも、先生はどうやって候補を見つけ出したんだろ? これでもめぼしい相手は、学年問わず探していたんだけど……)


 当初の予定より人脈作りは遅れていたが、それでもクラスの縁を活用し、夜見も新部員候補を幾人か見繕っていた。そして、それらの人物が転部するという噂は、今日まで流れてきていない。


 影山が新部員を見つけ出した経緯が分からず頭を捻るが、そうこう考える内に部室のドアは目前に迫っていた。別にやましい話でもない。直接本人に聞き出せばいいと、さっさと気持ちを切り替える。


「ほら! もう部室は目の前だよ! どうせ私達が一番乗りなんだから、影山先生の大発表をワクワクしながら待と?」


「兎羽ちゃん、ステイ」


「あっ、はい」


 ご機嫌すぎて部室のドアを蹴破りかねない兎羽を横に押しやり、夜見がいつも通りにドアを開こうとする。


「ん?」


 しかし、ドアを開けようとした夜見の耳に、小さな話し声が入ってきた。


「当日_ みさお_ めるか?」


「_ない。ただ_ ないで欲しい」


「_ろんだ。_かける」


 声からして影山と操だろうか。普段から会話が少なく、あっても一言二言で済ませてしまうため二人のため非常に珍しい。話し振りからして、随分と話し込んでいるようだ。


 もう少しだけ聞いていたい。夜見のドアを握る手が静止するが、あいにくこの場にはご馳走を前にして、待ての指示を受けていたワンコがいた。


「どうしたの? ほら、さっさと入ろう!」


「あっ」


 立ち止まった理由を説明する暇も無く、夜見の手の上から兎羽が扉を勢いよく開いた。


「一番乗り~! ……影山先生と操先輩? 早いですね!」


「……香月かがち棋将きしょうか。部活に意欲があるのは結構なことだが、部室の扉はもう少し静かに開け」


「控えめに言って、騒音」


 夜見の予想通り、部室内には影山と操の姿があった。


 夜見の予想通り先ほどまで何かを話し込んでいたらしく、二人は机を挟んで対面に座っていた。おまけに普段から暇さえあれば操の手に握られている機械部品が、今日は影も形も見当たらない。その事実だけで、かなり込み入った会話をしていたことが推測出来る。


「それに関してはごめんなさい! でも、いてもたってもいられなくて!」


「放課後に余計な勧誘をさせたら悪いと思って声をかけたが、これなら到着してから伝えた方がマシだったな」


「夜見、兎羽の手綱たづなを離すなと普段から言っている」


「あっ、あはは……。これでもせいいっぱい、引き絞っていたんですが」


 まさか盗み聞きをしていたからとは言えず、夜見は曖昧な笑顔でその場をやり過ごす。隣にはすぐにでも新部員の話を聞きたいであろう兎羽、正面には呆れた様子の影山と操。とてもじゃないが、先ほどの会話を問いただせる雰囲気では無かった。


「それで先生、新部員はどんな子なんですか!? リンドブルムレースの経験年数はどれくらいなんですか!? あっ! それとどれくらいリンドブルムが大好きな子なんですか!?」


「香月、落ち着け。そもそも俺はHRの後、お前達に何と言っていた?」


「えっ? え~っと……」


「棋将、お前は?」


「えっと、新部員の当てが出来たかもしれないと」


「そうだ。新部員の、だ。まだ入部に至るかも定かでは無いし、色々と込み入った話になっている」


「込み入った話?」


「あぁ。元々この話を持ってきたのが、俺の古馴染みでな。俺達の活躍を目にして、部員の斡旋あっせんを提案してきたんだ」


「活躍って、ブロッサムカップの話ですか? その、予選落ちだったにも関わらず?」


 いくら特化型の機体が目立つと言っても、主要チームが参加しない大会、その予選の出来事だ。活躍だけで言えば、同じ特化型で予選を突破した高鍋たかなべや、一位通過の雪屋ゆきやの方がよっぽど活躍していたはず。


 そんな夜見の疑問に回答したのは、兎羽だった。


「……えっと、夜見ちゃん。たぶんこの話での活躍ってのは、私達の実力が評価されたんじゃなくて、影山先生のリンドブルムレース復帰って意味合いが強いんだと思う。ですよね? 先生」


「端的に言えばそうだ。その古馴染みっていうのも、散々に打ち負かした上で勝ち逃げした相手でな。俺の引退が突然だったこともあって、復帰を見逃さぬよう網を張っていたんだろう」


「あぁ、なるほど」


「夜見。いい加減試合を流し見するだけのミーハーは脱出して、選手個人の実績にも目を向けるべき。私達の顧問は、あなたが思う以上にレジェンド」


「そう! そうなんですよ操先輩! 私も機会があるごとに夜見ちゃんに布教してるんですけど、中々手を付けてくれなくて!」


「それは八割方兎羽のせい。人間はどれだけの大好物でも、度を越す量を渡されたら嫌気が差す」


 矢継ぎ早に選手と実績、機体性能を語る兎羽と、必死にメモを取るも追い付けずにパンクする夜見。そんな光景が操には容易に想像出来た。


 次第に話が逸れだしていたが、ここで影山がわざとらしい咳ばらいを一つ。流れを強引に引き寄せる。


「話を戻すぞ。その古馴染みは優秀なランナーを紹介する条件として、俺達ととあるチームのエキシビジョンマッチを提案してきた。その戦いを勝利で飾ることさえ出来れば、後は諸々手続きも向こうで終えてくれるらしい」


 条件を聞かされた二人が示した反応は対極。


「試合が出来る上に、勝てばフルメンバーで公式戦に参加出来るんですか! 最高じゃないですか! 今すぐ準備しましょう!」


 前者は自分達の勝利などそっちのけで、試合が行えることに奮い立った。


「うぐっ…… 勝たなきゃいけない…… そうしないと交渉は振り出し。絶対に勝たないと……」


 後者は事の重大性を存分に理解しており、プレッシャーによって小刻みに震えだす。


「エキシビジョンマッチの日程は、今週の土曜日から二日間となる。段取りもコースの指定に一日、レースに一日の過密スケジュールだ」


「コ、コースの対策を練る時間が一日以下!?」


「夜見は猶予があるだけマシ。ここまでの過密スケジュールだと、恐らく修繕の時間も削られる」


「推測の域は出ないが、修繕にかけられる時間は二時間が限度だろう」


「……案の定」


 操の目が細められる。


 ただでさえ一試合ごとの修繕時間を削られると言うのに、一日で三コースを走り切るのだ。これで兎羽か直美がリンドブルムを大破させようものなら、彼女の負担は計り知れない。


「大方の説明は終えたが、一つだけお前達に確認を取っておくことがある」


「なんですか?」


「これはあくまでも先方の提案だ。俺としてもここまでの逸脱には思う所があったゆえ、レースの承認は選手達本人の了承を得てからだと言って聞かせてある。お前達がこの条件に不満があるのなら、俺の方で断りを入れておくがどうする?」


「えっ……」


 突然会話の主導権を渡されて、夜見は困惑してしまう。


 彼女から言わせてみれば、いくら部員確保のためとはいえ、この条件は悪すぎる。ブロッサムカップの時でさえ、傾向と対策を練る時間が足りなかったのだ。あの時と比べて自分もいくらか成長はしているだろうが、それだって一歩にも満たない半歩程度の成長だと自覚している。


 このチームで一番実力が足りてないのは自分だ。そして、一番チームを崩壊に導きかねないポジションにいるのも自分だ。兎羽に背中を押された勢いで、ブロッサムカップではそれなりのサポートが出来ていた。


 けれどもそれは、試合の熱量と勢いがあってこそ。素面しらふに戻った今の夜見にとって、失敗は怖くて怖くて仕方が無い。逃げ道を用意されてしまっては、安寧に満ちたその道を選んでしまいたくなる。


 今までの彼女であれば、あらゆる話術と人間関係を活用し、小さな負債で逃げを選択していただろう。


「もちろん参加します! だって、勝ち負けは別として、試合が出来るんですから!」


「棋将はどうする? 無理をしてまで香月に合わせる必要は無いぞ?」


「あっ……」


 だが、今の夜見の傍には、彼女を底抜けに明るく照らす太陽があった。


 純粋な情熱。画面の向こうで名も知らぬ選手達相手に求めていた熱さが、今ではすぐそばにあった。そうして夜見は思い出す。この太陽に魅入られたからこそ、自分はこの場に立っているのだと。


「……もちろん参加します。ただでさえサポーターの勉強があるのに、新部員で頭を悩ませるのはもうこりごりですから」


 苦笑いを浮かべながら、影山に告げる。嬉しそうに自分の手を取り、ブンブンと振り回す兎羽。一年前まで心底うっとおしいと思っていたやり取りは、体験してみると存外心地良いものであった。


「そうか。なら、先方には伝えておく。あぁそれと、エキシビジョンマッチの会場は、太平洋第三メガフロートだ。今時パスポートの申請なんて数分で可能だが、当日バタバタしないよう平日中に済ませておくように」


「えっ? 今週末の太平洋第三メガフロートって……」


「言い忘れていたな。今回のエキシビジョンマッチは、アメリカリンドブルムレースOB会の余興の意味も込められている。海外のプロを目指す奴はいないだろうが、それでも失礼の無い様に」


「や……」


「兎羽ちゃん、どうし_」


「やったあぁぁぁ!」


 そこから始まったのは、新部員の当てが出来たと告げられた時以上の大騒ぎ。寸前まで手を繋がれていた夜見は、逃げることも出来ずに右へ左へと引きずり回される。


 兎羽の底なしの笑顔ですっかりと忘れていた。最近は鳴りを潜めていたが、この太陽は他人を振り回すことにかけては一級品だということを。

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