求めど人は見つからず

「……ゴメン。いくら嫌な先輩がいても、陸上のことは嫌いになれないから」


 春先にも関わらず健康そうな小麦色に日焼けをしたポニーテールの少女が、対面に立つ二人の少女へ頭を下げる。


「ううん、気にしないで! むしろ入部早々転部しろなんて提案してるこっちの方が、謝るべきだって! ねぇ兎羽とわちゃん?」


「う、うん! 悩んでる時に悩みを増やされたら、私なら嫌な思いをすると思うし、嫌な奴だと思うから。だから、はい」


 兎羽と呼ばれた少女が神妙な顔つきで、ポニーテールの少女に向かっておもむろに頬を突き出した。


「えっと…… それは、どういう?」


「嫌な思いをさせたお詫びに、頬を差し出しています。昔の聖人様は右をぶたれたら左を、さながらデンプシーロールのように頬を差し出すことで誠意の謝罪を行ったんだよ?」


「……うん、合っているのは諸々の単語だけだね。というかその逸話はお詫びに暴力を許容する話じゃなくて、暴力に対して暴力で報いを行っちゃいけないって話だから。断じて相手の気の済むまでボコボコにされろって話では無いから!」


「へっ?」


 左右の頬をそれぞれ肉体と信仰に見立て、肉体を差し出す代わりに信仰を守れという解釈が存在する逸話だ。多少の解釈違いは、読者の個性とも言える。


 しかし、どう間違っても自分から謝罪として殴られに行く解釈は存在しないはずだ。そんな逸話を掲げようものなら、いくら件の聖人の教え子と言えど、反撃に禁じ手のドロップキックをかましかねない。


「……ふっ、ふふっ、あはは! 相変わらず夜見よみちゃんと香月かがちさんの掛け合いは面白いな~! 先輩のことや夜見ちゃんにどうやって断ろうかって考えてたのがバカバカしくなっちゃった! ほんっと、今回はゴメンね! 埋め合わせは必ずするから!」


「埋め合わせを考えてくれるなら、自力で宿題を埋め合わせることに力を割いて欲しいんだけど?」


「あはは~……マジですいやせん。今週は頑張りますので、また部活で手に付かなかった時はなにとぞ、なにとぞ~!」


「はいはい。まったく、調子いいんだから。ほら、自力でやるんなら忙しくなるでしょ。さっさと行った行った」


「……マジでありがとね。困ったら何でも言って。夜見ちゃんにはそれだけ世話になってるんだから」


 偽りない感謝の言葉を伝えながら、クラスメイトが教室内へと戻っていく。それを横目に見ながら、兎羽と夜見は落胆の溜息を吐いた。


「今回もダメだったね……」


「仕方ないよ。入学から一カ月程度で転部なんて、どんな深い理由があっても悪評に繋がっちゃうから。それにしても、クラスメイトの候補はこれで全滅か~」


「次からは別のクラス?」


「その前に人脈作りかな。別クラスだと、まだまだ面識すら無い子も多いから」


「それもそうだね。はぁ~、長い道のりだぁ」


 ブロッサムカップから二週間。兎羽と夜見の二人は新部員獲得を目指して、今日もクラスメイト相手に転部交渉を行っていた。


 叢雲むらくも学園憑機ひょうき部として初めて挑んだ公式戦。その結果は、惜しくも通過ラインに届かずの予選落ちであった。試合に挑んだ彼女達の実力が劣っていた部分もゼロではない。けれども一番大きな要因は、やはりランナーの不足であると言えた。


 リンドブルムレースは、ランナー三人のゴール順位を合算するポイント戦だ。高得点を取るにはランナーの実力は欠かせないし、ランナーを三人揃えることは基本中の基本。


 そんな基本のキを欠いておきながら予選三位の合算ポイントを得たことは驚嘆に値するが、通過ラインに届かなかった事実は変えようもない。


 兎羽の獅子奮迅の働きによって、叢雲学園憑機部は産声を上げた。だが、産まれたばかりの赤子では、競争の舞台に立てなどしない。彼女達は次のステップへ進む必要があったのだ。スターティングメンバーを揃えるという、単純でありながら大切なステップへと。


「本当は、ここでこそ兎羽ちゃんの強引さを期待していたんだけど」


「あはは……面目ない」


 先ほど夜見が言ったように、今は時期が悪いのだ。こういう時は小細工など練らず、本来なら当たって砕けろで交渉数そのものを増やす事が肝心のはず。


 しかし、当の二人は手分けすることも無く、ツーマンセルで交渉に当たっている。これはいったいどういうことなのか。


「まさかリンドブルムが絡まないと、ここまで押しが弱くなるとは思わなかった」


「だって、興味が無い話を押し付けられるのって嫌な気持ちになるでしょ」


「それは、その通りなんだけど……」


 そう。この兎羽というリンドブルム大好き少女。リンドブルムが絡まない事象においては、非常に奥手だったのだ。


 最初の頃こそ、兎羽と夜見は手分けして新部員の交渉に当たっていた。だが、その交渉を行うに連れて、段々と兎羽の個性が浮き彫りとなってくる。


 まず兎羽の用意した話題には、天気とリンドブルムしか存在しなかった。次に、彼女は話題の切り替えというものを苦手としており、任せた交渉相手の話題に、相槌を打っているだけだった。そして最後の致命的な部分、奇跡的に転部交渉までこぎつけたとしても、彼女は一度の拒否であきらめてしまっていた。


 交渉は場を和ませる話術、粘り強さ、人を引き付けるカリスマが大切だ。そして全てが欠けていた兎羽に、一人の交渉など到底任せられるはずが無い。クラスメイトから現状を聞かされた夜見は即座に方針を転換、現在のツーマンセルスタイルの交渉を始めたのである。


 (他人同士の評価を気にしなかったことが、裏目に出た)


 兎羽の大失敗を目の当たりにし、ようやく夜見はクラスメイトに彼女の評価を聞き出した。すると、出てくるのはリンドブルム大好きな不思議ちゃん、リンドブルムが絡まないと静かな子、凄まじい二重人格などなど、電波少女の別名がこれでもかと羅列されることとなったのだ。


 自分と兎羽の関係も、電波ちゃんに振り回される苦労人と思われているのが大半。今回の交渉も、兎羽のワガママに付き合わされていると思われる始末。これでは交渉など進むはずもない。


 一番の稼ぎ頭になるはずだった兎羽が、その実一番の冷や飯食いだった。実際に新部員を求めていることをクラスメイト達に理解させるので一週間、そこから目ぼしい相手をピックアップしていくのに一週間。


 いくら良好な人間関係構築を得意としている夜見と言えど、兎羽の評価を良い子だけど不思議ちゃん程度に戻すので精いっぱいだった。とても他クラスの人脈作りをしている時間が無かったのだ。


「今日は次の授業が最後だけど、放課後はどうする?」


 自分が戦力になっていないことは自覚しているのだろう。ポリポリと申し訳なさげに頬を掻きながら、兎羽が夜見へと問いかける。


「交渉に時間を割きたいのはやまやまだけど、貴重な練習時間まで消費するのは止めとこう。そもそも、今一番足を引っ張ってるのは私だから」


 部員獲得は急務であるが、それにかまけて練習をおろそかにしては足元を掬われることになる。


 ランナーは三人いるが、サポーターはチームに一人。そのたった一人がやらかせば、ランナーが三人ともリタイアする羽目になりかねない。結果、ランナーが揃っていれば勝てたという言い訳が、サポーターがしっかりしていれば勝てたに変わる可能性がある。


 そうなった場合、夜見は現実を受け止め切れる自信が無かった。彼女は自身が傷付くことを、何よりも恐れているのだから。


「そうだね。じゃあ、放課後は真っすぐ部室に向かおっか。もしかしたら、直美先輩やみさお先輩が新部員を連れてきてるかもしれないしね!」


「……うん、そうだといいね」


 相槌こそ打ったが、夜見はその可能性が限りなく低いことを理解していた。


 彼女達は自分達が現れるまで、学園で腫物扱いだった。人の評価は減点方式。一度地の底まで落ちた評価は、再度引き上げるのに多大な年月を必要とするのだから。

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