背伸びで縮まらない身の丈

旧縁からの一報

 ヴー、ヴーという無粋な振動音によって、影山の意識は覚醒を迎えた。


「チッ、誰だこんな時間に」


 時計に目をやれば、時間は朝の四時。早起きが日課となっている老人とて、もう少し布団の温もりを味わっているに違いない。


 ならば自分の通信端末を鳴らした相手は何者なのかと影山が画面に目をやると、そこには古馴染みの名前が表示されていた。


「よぉ。見たぜ、大会」


 電話を取ると、開口一番陽気な男の声が響き渡る。


「ルナハート、何時だと思ってる。からかいか旧交を温めに来たのかは知らないが、せめて事前に予定を立てろ」


「堅い事言うなよ。俺はドロップアウト、お前は才能の無駄遣い。お互いにアポイントが必要な立場じゃ無くなってんだ。これでも忙しい教員サマのスケジュールを考えて、この時間にかけてやったんだぜ?」


「だからそもそも、事前に連絡を寄越せと……まぁいい、何の用だ?」


 影山が小言を重ねるが、通話先の相手には効果が無いと思い知ったのだろう。さっさと用件を片付けて眠りに就こうと、本題を切り出した。


「ランナー、探してんだろ?」


「何?」


「お前を再び表舞台に引っ張り上げた子、確か兎羽とわって言ったか? あの子はまさしくだ。お前が惹かれる唯一無二の才能ってやつだ。だがしかし、このままだと高校大会の成績まで焼き写しになっちまう。あの子はタツに似ているが、あいつほど器用じゃない。苦労するだろうな」


「お前が用意したランナーがいれば、チームが変化すると?」


「あぁ。間違いないぜ。サポーティブな動きを得意としているが、エースとしてポイントゲッターになることも可能。そして、苦手なコースが無い。優良物件だろ?」


「そんな奴がウチに移籍するとは思えないがな」


「安心しろ。先方とは話し合いが付いている。文句なんて言わせないさ」


 ルナハートの言葉が事実であるのなら、優良物件どころではない。十年に一度の掘り出し物と言っても良いレベルの逸材だ。


 先日行われたブロッサムカップ予選。惜しくも突破はならなかったが、彼女達は最後までポイントレースに食らいついていた。もしもランナー三人で大会に参加出来ていれば、予選突破も夢では無かったと思わせるほどの戦いぶりだった。


 しかしだからこそ、次の大会までには部員を規定数集めなければいけないのだ。


 人数が揃っていれば勝てていた。それは事実でもあり、負け犬の遠吠えでもある。言い訳はその場限りの安息を生むが、同時に責任転嫁という逃げ癖にも繋がる。そして逃避に走った選手の末路は、往々にして悲惨なものだ。


 これだけ完成度の高いチームを、みすみすと崩壊させるわけにはいかない。ルナハートの提案は、ひどく魅力的なものだった。


「……見返りは?」


 心の底から求めていたものを提示されこそしたが、そこで馬鹿正直に手を出すほど影山は間抜けでは無かった。そもそも古馴染みと言えど、彼らを結ぶ関係は友情ではなく宿敵。


 一方は日本代表サポーターとして、もう一方はアメリカ代表ランナーとして、ずっと争い続けてきたライバルなのだ。


 そんな相手が影山を喜ばすためだけにサプライズを用意する。あり得る訳が無い。


「相変わらず、頭の回転がお早いこって」


「好きなことしか頭を回さない奴の子守りを、何年してきたと思ってる」


「クハッ、確かにな! いつぞやタツが言われるがままに、アメリカチーム移籍のサインに手を付けた時があったよな。あの時血相を抱えて飛んできたお前の顔、あれは傑作だった!」


「……人を小馬鹿にしたいだけなら、さっさと切らせてもらう」


「おおいっ!? 待った待った! 悪かったって! 軽い冗談じゃねぇか!」


「その持ち前の話術で多くの強豪チームに移籍し、国内最多優勝選手となった部分は評価する。だが、中には冗談そのものが嫌いな奴もいる。覚えておけ」


「あー……。悪い、反省してる」


「……どうした?」


 影山は違和感を覚えた。彼の記憶が正しければ、ルナハートは常に自信に満ち溢れており、発言の訂正など行わない人物であったはずだ。小言程度など意に介さず、逆に器が小さいと笑い飛ばしでもするはずなのに。


「大したことじゃねぇよ。買い続けてきた恨みが、今になって清算を迫ってきただけだ。そんで見返りだったな?」


「……あぁ」


 宿敵であった男の小さな変化。ここで強引に問い質すことは簡単だ。しかし、それで機嫌を損ねられて話がご破算になってしまえば、困るのは自分の方。


 本当に進退きわまれば、自分から話を振ってくるだろう。影山はルナハートの心へ踏み込むことは止めた。


「来週土曜からの二日間、太平洋第三メガフロートで行われるパーティは知ってるだろ?」


「OB会のことか?」


「そうだ。アメリカリンドブルムレース界を牽引けんいんしてきた重鎮達による、毎年恒例のOB会。そこにお前とお前の教え子達を、招待したいと思ってね」


「……俺は構わない。多少の毒こそ吐かれようが、あそこの連中は実績こそが正義だからな。だが、どうして香月かがち達まで招待する?」


 影山に用事があるのなら、素直に自分一人を招待すれば良いはず。仮に重鎮達に兎羽を紹介したいのだとしても、今の彼女の実績ではお眼鏡に叶うまい。


 そもそも紹介で行きつく先は、アメリカチームへの移籍交渉。ランナー一人を得る代わりに一人を手放してしまっては、全く意味が無い。


「なぁに、大したことじゃない。実は今、OBの方々を喜ばせるためのエキシビジョンマッチを企画していてね」


「それに香月達を?」


「そういうこと。そこで一つのチームと対戦を行い、ギッタンギッタンに叩き潰して欲しいんだ」


「待て、話が見えん。そもそもウチにランナーが足りないことは分かってるだろう? 相手方にも二人ランナーをいるのか?」


「いや、そんな形式から外れたルールじゃ、お偉方は喜ばねぇ。兼務させちまえばいい。サポーターは見るからにド素人だったが、メカニックの方は多少やれる子だろ?」


「……バカな。そこまで無理を押し通すなど、一体何があった?」


 ルナハートは昔から強引な男だった。勝利のためならリンドブルムを酷使させる作戦、最低賃金での強豪チームへの移籍、批判を浴びかねないラフプレーと、無茶苦茶の限りを尽くしていた。


 当然、そんなことをすれば恨みを買う。修復に頭を抱えるメカニック、スタメンからベンチ送りとなった選手や彼を応援していたファン、クリーンな試合を望む審判達など上げ出したらキリが無い。


 本来なら表舞台から強引に下ろされかねない批判を浴びながらも、彼は引退まで一度として試合に出場しない日は無かった。


 それは彼が強かったから。そしてルールの穴は突けど、違反だけは絶対にしない真摯しんしな男だったから。


 そんなルナハートが、碌に経験の無い選手を強引にランナー登録させる。あり得なかった。今までの彼であれば、影山の意見を受け入れるか適当なランナーを見繕っていたはずだった。


 影山が覚えた違和感が、徐々に肥大化していく。この男に何があった。自分達に見え見えのエサを撒いてまで潰したいチームとは、一体どこの誰なのか。


「悪いが理由は話せねぇ。お前に出来るのはこの話に乗っかるか、それとも舐めるなと突っぱねるかの二択だ」


「……」


「なぁ、頼むよ。こんなことを頼めるのはお前しかいない。を任せられるのは、何度も俺の前に立ちはだかったお前しかいないんだ」


 端末越しの声音には湿っぽいものが入り混じり、その頼みは懇願に近かった。影山は通話先に漏れ聞こえぬよう小さく溜息を吐く。


「……せめてこれだけは確認させろ。対戦相手は、お前の私怨や何らかの制裁目的のためにエキシビジョンマッチに立つ訳じゃないな?」


「っ! ああっ!」


「五人分の旅券をあらかじめ送れ。それと、香月達がそもそも拒否すれば、この話は無しだ」


「……恩に着る」


「今日のお前は本当にらしくないな。そこは最高級の座席とサービスを用意しておくと言う所だろう」


「クハッ、全くだよ。本当にらしくねぇ。今みたいな運営や人間関係に頭を悩ませる立場ではなく、ただ勝つことだけを求められていた時代に戻りてぇ……」


「自分で選んだ道だろう?」


「……そうだ。自分で選んだ道だ。なぁ影山、もしも身近な人間の選んだ道の先が、どでけぇ奈落に繋がってると知ったらどうする? 本人は望んだ道だと言って譲らず、説得しようにも過去の行いに足を引っ張られちまうような場面に遭遇したら、お前ならどうする?」


「……」


「情けない話だが、俺には奈落から救い上げる力も、道を捻じ曲げる資格も持って無かった。だから頼む。友情という縄で雁字搦めになって身動き一つ取れないあいつらを、どうか救ってやってくれ」


 端末から聞こえるルナハートの懇願は、やはり彼らしさの欠片も無い、湿っぽい声だった。

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