この勝負の全てに感謝を

 楽しい楽しい楽しい。変形をお披露目できたのも、雪屋ゆきやとかいう嫌な奴の背中を追い立てるのも、隣の兎羽とわと競い合うのも全てが楽しかった。


 この一瞬のために、自分はリンドブルムレースを選択したのだから。


 千鵺鶫せにゃつぐみは、昔から好奇心旺盛な子供だった。二階から飛び降りたらどうなるのか実行して病院送りになり、見たこともない雑草を口に入れて病院送りになり、野球ボールでヘディングをして病院送りとなった。


 地元の病院関係者とは大体知り合い。せいぜい世話になったことが無いのは歯医者くらいだろう。


 そんな好奇心の塊だった鶫だが、取り分け興味を惹かれたのが、動物の生態だった。


 同じ生き物なのに生き方が違う。食べ物が違う。出来ることが違う。それだけで鶫の好奇心は爆発した。


 同時に彼女はこう思った。全ての生き物を真似ることが出来れば、最強になれるのではと。あまりにも飛躍した理論。もはや暴論だ。


 当然、そんな無謀の証拠のように彼女の通院数は飛躍的に増加したが、命に関わる事態まで陥らなかったことは不幸中の幸いと言えた。


 そんなこんなで動物の物真似が大好きになっていった鶫。しかし、ある時彼女は気付いた。どう頑張っても真似出来ない動物がいることを。


 自分がどれだけ頑張っても水の上は走れない。どれだけ頑張っても熱だけで周りを感知出来ない。どれだけ頑張っても体色は変えられないし、どれだけ頑張っても空は飛べない。そんな当たり前に今更気付いたのだ。


 しかし、彼女にとっては重大な事態だ。なんせ自分の好奇心を満たすことが出来なくなったのだから。あまりのショックで食事も喉を通らない日々。


 そんな鶫を見かねたのだろう。祖父の伝手でひなが触らせてくれたのが、リンドブルムだったのだ。鶫は気付いた。これがあれば自分はもっともっと最強になれる。楽しく暮らせると。


 (やるね~、ヤギウサちゃん! これ以上加速したら足が壊れると思ったのに、いまだにしっかり付いてくる! きっと足裏もヤギさん仕様なんだろうな~!)


 現在の鶫は、兎羽との楽しい並走中だ。


 置いて行くつもりで加速をしても、兎羽はしっかり付いてくる。それどころか気を抜けば、逆に置いて行かれそうになる。


 スペクタクルだった。アメイジングだった。ウサギとヤギの良いとこ取りをしたその体躯は、もちろん自然界には存在しない。


 そんな未知との遭遇が出来るという意味でも、このリンドブルムレースという競技は最高だった。


 自分にこのスポーツを教えてくれた雛、そして自分の乗りたい機体を簡単に作り出してくれた金橋かなはしには感謝してもし足りない。


 (私だけだと楽しいで満足しちゃう。もっと楽しいほうにって流れちゃう。でもみんながいるから、私は勝たなければいけないのだ!)


 勝負は好きだ。勝つのも好きだ。けれど、楽しさは何よりも優先されてしまうものだ。


 そんな自分をかろうじて律することが出来るのは、ずっと自分を大切に思ってくれた幼馴染達がいるからだ。彼女達の笑顔が見たい。喜ぶ顔が見たい。そのために鶫は、この瞬間に全霊の力と全開の楽しいを込めるのだった。



 (みんな、本当にありがとう。ホントにホントにありがとう!)


 リンドブルムに涙を流す機関は存在しない。けれど、仮にそんな機関が存在するのであれば、兎羽は大粒の涙を流していたんだろう。


 ずっとずっと、一人で走り続けていた。


 己との勝負に明け暮れる毎日。自己完結の一喜一憂で終わる毎日。それらの日々が、楽しくなかったと言われれば嘘になる。


 しかし、心の中ではずっと思っていた。誰かと一緒に走りたい。誰かと一緒に競い合いたいと。


 憑機ひょうき部設立前の兎羽は、切羽詰まっていた。これが最後のチャンスだと思い詰めていた。


 そのために色々と無茶をした。尊敬する選手を育て上げたサポーターを調べ上げ、その高校に通うために必死に勉強した。


 リンドブルムレースを知っているという理由だけで、見ず知らずの同級生を無理やり部員に仕立て上げ、頭数に利用した。部活設立のために上級生を挑発し、勝負の世界に引きずり出した。


 これら全ては、追い詰められていたからこそ出来たことだ。切羽詰まっていたからこそ出来たことだ。仮に今の恵まれた兎羽が同じことをしたとしても、夜見に話しかけた瞬間に、ボロを出すことだろう。


 そんな世界から自分を救い上げてくれたチームメイト達。本当に感謝という言葉しか出てこない。


 自分の夢に乗ってくれて、自分に夢を見る機会を与えてくれた。そんな者達に対する恩返しは何をするのが正しいのか。


 答えは簡単だ。夢を実現させることだ。ブロッサムカップを勝利で飾ることだ。


 (鶫ちゃんの機体。全てが完成されてる。まるで龍征たつゆき選手みたい)


 隣を走るのは好敵手。それも同じ環境特化型の好敵手だ。


 こちらが斜面を跳び跳ねることを是としたように、彼女は四足で駆け上がることを是とした。


 そのおかげで得たのは安定性とスピード。例え一足がバランスを崩したとしても、残りの三足がカバーする。もし仮に転倒してしまったとしても、低い重心ゆえに損傷はほとんどない。


 まさに山登りに特化した機体。環境特化型の鑑だ。


 (でも、鶫ちゃんの機体には、一つだけ欠点がある)


 兎羽が見つけた鶫の欠点。それは体躯が低くなってしまったことにより、巨大すぎる障害物は迂回しなければいけない点だ。


 このコースは木々の生い茂る緑の道と、ごつごつとした岩肌がむき出しの道が半々存在している。


 その岩肌の道を通るたびに、彼女はややスピードを落として、大岩を迂回するのだ。


 (雪屋の人がどれだけ前にいるかは分からない。けど負けるわけにはいかない! 私達が勝って、予選突破をしてみせる!)


 鶫に勝ち、雪屋に勝つ。


 兎羽は最後のスパートに入った。 

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