努力の秀才と無意識の天才

「はっ、はっ、はっ」


 リンドブルムの操縦は、仮初の肉体をどれだけ器用に動かせるかにかかっている。つまり、運動神経が大切だ。


 そのことを様々なリンドブルムレース雑誌から学んだ兎羽とわにとって、朝のランニングは幼少期からの日課である。


 今日のレースの結果によって、叢雲むらくも学園が予選を突破出来るかが決まる。想像するだけで体の芯から熱が沸き起こってくる。


 しかし、何事も過ぎれば身体に毒だ。この精神の高揚も、少々であれば兎羽のポテンシャルを限界まで引き出してくれるエッセンスだが、度が過ぎれば空回りを連発する毒になる。


 そんな火照った心を鎮めるために、兎羽は普段よりも三十分早くランニングに繰り出していた。


 場所も場所、時間も時間であり、人の姿は見られない。けど、それで良かった。自分を落ち着けるためには、静寂こそが最良の友であったから。


 このまま数十分ほどランニングを続けたら、汗を流し、朝食にしよう。そんなことを兎羽が考えていた時だった。


「あれ、は……?」


 そこに奇妙な生物、いや、奇妙なポーズを取る人間がいた。


 地面に寝転がったまま伸びをしたかと思いきや、今度は正座姿勢で腕だけを前へと伸ばしている。


 それだけであればストレッチでもしているのかと思ったが、続く姿はネコ科の動物がよくやる香箱座り。あれではどこの筋も伸びはしない。


 兎羽はどちらかと言えば好奇心は旺盛な方だ。そして、この奇妙な光景をスルーして、この後の試合で悶々とするのはマズい。


 ならば解決してしまえばいいと、兎羽は奇妙な動きを続ける人物に話しかけた。


「えっと、大丈夫?」


「ん? ん~? あぁ! 大丈夫大丈夫! 今はネコさんの気持ちを再確認していただけだから!」


「ネ、ネコの気持ち……?」


 確かに言われてみれば、彼女の行っている動きはネコそのものだ。地面で寝転がり、伸びをして、身体中を毛繕いする。


 さすがに実際に舐めはしていないが、その気になれば頭と背中以外のどこにだって舌が届きそうだ。驚くべき柔軟性だった。


「そう言うヤギウサちゃんはランニング? いいね~! ヤギウサちゃんのリンドブルムなら足使いと体幹が重要だもんね~!」


「えっ、どうして私のリンドブルムを知って…… ヤギウサちゃん? まさか、つぐみちゃん!?」


 自分をヤギウサと呼称した人間なんて、一レース目で知り合った鶫しかいない。となれば必然的に、この少女が環境特化型機体の乗り手、高鍋の千鵺鶫ということになる。


「せいか~い! 二レース目の動きすごかったよ~! 思わず我を忘れて追いかけちゃった!」


「それは、ありがとう? あぁ、えと、それよりも! どうして私のことが分かったの?」


 兎羽が鶫の顔を知らなかったように、鶫も兎羽の顔を知らないはずだ。なのに彼女は当然のように兎羽を認識して、目の前の少女が兎羽前提の話題を振ってきた。不可思議な話だった。


「ん~? 別にたいしたことじゃないよ~! 声と動き。それでヤギウサちゃんだって分かったの」


「声と動き……? でも、それじゃあ……」


 兎羽と鶫が知り合ったのは、お互いにリンドブルムに搭乗している状態だ。当然そんな状態で肉声など出せるはずもなく、電話の原理を利用して、実際の声に近い声質をスピーカーで発信しているに過ぎない。


 動きにしたってそうだ。兎羽の愛機ムーンワルツは特異中の特異機体。一歩前に進むためにも跳び跳ねる必要があり、平地を進むのは絶望的に遅い。


 そんなリンドブルムを操る兎羽だが、別に現実で走る時はわざわざ跳び跳ねたりしないし、傾斜を走るのだって、一般的な女子高生より少し上レベルだろう。


 つまり鶫の言った二つの情報は、兎羽を特定する情報にはなり得ないはずなのである。


「あぁ。百姉ももねぇとかも言ってたけど、分かるはずないって? ちっちっち、舐めてもらっては困りますなぁ、旦那」


「一応女子高生なんだけど……」


「例えば声。ヤギウサちゃんは困惑した時、語尾のア行がすごく震えるんだよね~!」


「えっ? そうなの!?」


「次に動き。ヤギウサちゃんは無意識の内に、リンドブルムと同じブレーキのかけ方を現実でもしちゃってるよ? ほら、靴の外側、前なんかよりもずっとかすり傷が多いでしょう?」


「ほんとだ……」


 鶫は兎羽の靴についた土を、迷うことなく自分の手で落とした。すると、鶫の言う通り、兎羽の靴の外側には小さなかすり傷がたくさんついていた。気にしたことも無かった。


「そんなわけで~! 私はヤギウサちゃんを見分けられたってわけだ~! どんどんぱふぱふ~!」


 悪意を欠片も感じさせず、さも当然のことのように種明かしを行う鶫。しかし、兎羽は思わず生唾を飲み込んだ。


 ほんの少し会話を交わしただけ、たったの二レース走りを見せただけ。それだけで鶫は兎羽の情報をこんなにも抜き取っている。


 これをレースに置き換えたらどうだ。鶫は一瞬の内に、兎羽のルート選択を見抜くだろう。そして的確に兎羽の走行を妨害してくるだろう。


 そうなれば兎羽はおしまいだ。ムーンワルツは、とにかく失敗が許されない機体だ。一歩の踏み外しが転倒を招き、一度のスリップが損傷を招く繊細な機体だ。


 鶫は兎羽の着地点に少しだけ重なるだけでいい。兎羽に着地の不安を抱かせるだけでいい。それだけで兎羽は走れなくなる。走ることより転ぶことの確率が跳ね上がる。


 (だからだ。だから鶫ちゃんはストーカー戦術を完遂出来たんだ)


 ストーカー戦術。リンドブルムレース大好き少女の兎羽は、当然その戦術も知っている。


 別名報復戦術、共倒れ戦術とも呼ばれるその戦術は、意外にも実行するのは難しい。それはなぜか。追いかけるというのは、それだけで高難易度な技術なのだ。


 ただでさえ広大なコース範囲を誇るリンドブルムレースは、それだけ無限のルート選択肢が存在する。


 そしてストーカー戦術を完遂するためには、相手のルート選択を先読みしなければいけない。それも一度だって先読みを外してはいけないのだ。


 最初、影山から二レース目の顛末を聞かされた兎羽は、雪屋ゆきやがよっぽど街道コースを苦手としていたのかと思った。


 どれだけ先読みが成功して逃げたとしても、スピードに差があればまた追いつかれてしまう。そのせいで雪屋が大きく順位を落としたに違いないと思っていた。


 けれど実際は違った。鶫が常に先読みを制していたのだ。読み取った機体情報を基に、相手の動きを完全に読み切っていたのだ。


 (……底知れない)


 見た目は小麦色に日焼けした、南国育ちを思わせる快闊な少女。しかし、実際は相手の全てを見透かし、狩りに赴くハンターだったのだ。


「それでね! 二レース目は全然楽しめなかったから、三レース目は全力でヤギウサちゃんと戦いたいな~って思うの! ヤギウサちゃんも準備は万端だよね?」


「えっ! えっ!? ごめん、聞いてなかった」


「もう! だ~か~ら~! ヤギウサちゃんも勝つのは好きでしょ? 私も好き! だから決めよ? どっちが山で最強か!」


「……いいよ。けど、その中に雪屋の人達は入れなくていいの?」


「うん、いい! だって雪屋の人は楽しくないのもの! 謝りはしたけど、まだ私は納得してないし!」


「……そっか。負けないよ」


「こっちこそ! あはっ! ヤギウサちゃんが予選の相手でよかった! そうじゃなきゃ退屈で終わっていたから!」


 会話に満足したのだろう。ぴょこんと鶫は立ち上がり、近くのベンチに置いてあったものを持ってきた。


「おすそ分け! おひとつどうぞ!」


 そう言って差し出されたのはお菓子の袋。パッケージには三百種類突破、どうぶつさんビスケットと書かれている。


「あ、ありがとう」


 断る理由もなく、兎羽は無造作に一つのビスケットを取り出した。それはウサギを模したビスケットだった。


「おお~! さっすがヤギウサちゃん! 持ってるね~!」


 そう言って鶫も一つビスケットを取り出し、そのままパクリと口に投げ込む。一瞬しか見えなかったが、ネコ科の肉食獣のいずれかに見えた。


「じゃあ今度こそまたね~!」


 走り出す鶫。兎羽には止める手立ても理由もない。


「……負けたくない」


 そう思ったのは何が理由か分からなかった。けれど兎羽はその後、一時間もの間ランニングを続けるのだった。

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