クラッシュアンドスクラップ

「もぉー…… 百姉ももねぇは心配性なんだから~! 少しくらい遅れたって最後に帳尻を合わせることくらい、ちょちょいのちょいなのに!」


 集団の隙間を、するりするりとすり抜けて行くのはつぐみ。前を走る二人に追いつかんがため、かなりのハイペースでトラックの内側に切り込んでいた。


 時にリンドブルム達の間を半身ですり抜け、時に山道を駆け上がる兎羽とわのように鋭いステップで追い抜く。その動きのしなやかさと力強さは、ネコ科の肉食獣を思わせるかのようだ。


 とはいえ、いくら鶫の操縦技術が優れていたとしても、このような高機動、リンドブルムにかかる負担は並では無い。仮にこのコースで上位に食い込むことが出来ても、中継を観戦しているメカニックのひなは、今頃ひっくり返っているかもしれない。


「うぅ~…… この後百姉に怒られて~、その後雛姉にも怒られて~、鈴姉すずねぇにちょっぴり注意をされて~、まいにはきっと笑われるな~…… 気が重いな~……」


 口ではそう言いながらも、動きの方には全く反映されないのが鶫の優れている所だ。


 高鍋電子工業憑機部は、鶫がリンドブルムレースをやりたいと言い出したことから始まった部活だ。いつも優しい美鈴みすず、口うるさいが面倒見のいい百恵ももえ、年長組と年少組の板挟みになる苦労人の雛、ベクトルこそ違うが鶫と同じいたずらっ子な舞、みんながいたから今も鶫は楽しくやれているのだ。


 だから鶫のワガママは一線を越えない。本気で怒られた時は素直に謝る。自分が好き勝手やれているのは、幼馴染達のおかげだと分かっているから。


「え~と、鈴姉の話だとトップはもうすぐラストラップだっけ? ギリギリかな~?」


 現在、鶫の順位はちょうど中間といった辺り。立ち位置も上位集団と後続集団に出来た、空きスペースといった場所だ。


 後続集団はトップとの差がもうすぐ二周ほど開くことになるため、ここから追いつくにはトップを走る者達を二回追い越さなければいけない。それはさすがに苦しい。


 だから鶫は、目標を上位層に食い込むことに決めた。トップ10に入っておけば、百恵や雛から落とされる雷も規模を縮小してくれるだろうと思って。


「ん~?」


 そんなことを考えていた鶫だったが、ふと、あることに気が付いた。自分は上位と後続の中間層を走っていたはず。なのに、すでに上位集団の背中が目と鼻の先に見えている。


 確かに、自分はかなりのハイペースでトラックコースを駆け抜けている。けれど、いくら何でも上位陣に追いつくのが早すぎる。


「……嫌~な匂い。ライオンさんやシャチさんに追い立てられてるような、嫌~な匂いがする」


 突如生まれた嫌な予感。言葉に出来ない小さな違和感に過ぎなかったが、鶫は野生の獣の如く、その直感に従った。今まで集団の間を通り抜けるルートを通っていたのを、急遽外側のトラックへと大きく膨らんだ。


 結果的に、この選択は大正解だった。



 (闇堂あんどう先輩の方は、問題無く一位を継続中。兎羽ちゃんの方も、一度高鍋の子にちょっかいをかけられたけど、転倒や他機体とのクラッシュは無し。順調。うん、順調のはず)


 叢雲むらくも学園控室。その一画に用意されたサポートルームの中で、夜見よみは安堵の溜息を吐いた。


 緊張でガチガチになったまま始まった第一レースであったが、叢雲学園の思惑通りのままレースは終盤を超え、最終盤を迎えようとしている。


 予定通りに事が進む。これほどサポーターにとって嬉しいことはない。


 そもそも夜見の緊張を加速させた問題の大半は、経験不足ゆえに不測の事態に対応出来ないからだ。


 もしレース中に直美なおみの持病が悪化し、思い通りの走りが出来なくなったら。もし兎羽が途中で転倒し、大きな損傷を負ってしまったら。そんな事態が起こった際に、夜見の判断は求められる。


 直美の体調を気遣いペースを落とさせることも、兎羽の機体をこれ以上損傷させぬようリタイアさせることも、全ては夜見の判断一つで決定されるのだ。


 他人の運命を自分が選択する。その責任の重みを、夜見はサポーターになったことで初めて知った。画面の向こうから眺めるだけだった世界に、自分も足を踏み入れたのだと実感したのだ。


 けれど、実際には予期した事態は起こることも無く、レースは無難な展開のままで終わりを迎えようとしている。


 兎羽のゴールはまだまだ先だが、直美の方はあと一周だ。懸念点としても、あと一度追い抜くであろう後続集団のみである。


 (大丈夫、大丈夫。落ち着け、落ち着くんだ私。高鍋の二人は、闇堂先輩が抑えてくれている。兎羽ちゃんはゴールさえしてくれればいいし、あれだけ他のリンドブルムと離れてるんだ。クラッシュの可能性はゼロに近い)


 自覚していることだが、夜見はサポーターとして未熟だ。けれど、そんな彼女に導かれるべき直美と兎羽は、それぞれが大ベテラン。今までは食い入るように二人の走りを見つめていたが、ここまでくればもう問題無いと太鼓判を押せる。


 ようやく生まれた心の余裕。そんな余裕を使って始めるのは、他チームの情報収集。何もこの戦いはこの一戦だけで終わりではない。メカニックの修繕を挟んだ後すぐに二レース目が、明日には運命の三レース目が控えているのだから。


 (高鍋の鷹藤たかふじって人はそこまでじゃない。けど鳩飼はとかいって子と、兎羽ちゃんにちょっかいを出してきた千鵺せんやって子は、かなり注意が必要そう。雪屋ゆきやのランナー三人は前集団の先頭で様子見するばっかりで…… あれ?)


 そこで夜見は気付いた。


 ずっと固まって行動していた雪屋のランナー三人。その内の一機、武源霧華ぶげんきりかという三年生が操るリンドブルムが、いつの間にか集団を離れて突出していることに。


 (勝負をかけにきた? けど、それなら残ってる二人と連携しないのは何で? いや、考えるのは後だ。今は闇堂先輩に報告を……)


 雪屋が勝負に出た。その事実を直美に伝えようと、夜見は口を開く。けれど、声を出す瞬間に、夜見の動きはピタリと止まった。


 (おかしい…… あの雪屋のランナーは勝負に出ているはず。なのに、闇堂先輩との距離は、ちっとも縮まっていかない)


 霧華というランナーの突出によって、慌てて確認した直美との距離。しかし、その距離は全くと言っていいほど縮まっておらず、夜見は再三距離を計測したほどだった。


 なのにやっぱり距離は縮まっていない。不気味な違和感が心に生まれる。


 (考えろ、考えろ! 物事には必ず理屈がある。雪屋のランナーが突出し始めてるのに、闇堂先輩との距離は変わらない。おかしいで終わっちゃダメ。原因を見つけるんだ)


 そうして始めたのは、モニター画面を限界まで広げ、コース全体を俯瞰すること。影山から教えられた戦術だ。何かがおかしいと思いつつ原因が見つけられない場合は、おかしいと思う部分以外に視界を広げるのだと。


 (見つけた)


 そうして夜見はたどり着いた。雪屋の霧華が突出している理由に。


 (あの先輩が突出してるんじゃない。前集団のペースが、どんどん落ちてるんだ)


 そう、前集団と後方集団は、いつの間にか新たに一つの集団を作りそうなほどに近付いていたのだ。雪屋のランナーが突出したわけではない。彼女を除いた全てのリンドブルムがペースを落としたために、突出したように見えただけだったのだ。


 (でも何でそんなことを…… っ!)


「棋将、トラックコースにおける、注意すべき盤面を教えておく」


 その時思い起こされたのは、コース決定後に影山かげやまから受けた戦術指導の一場面。どこかのチームが引き起こした戦術に対する、対抗策の指導だった。


「レース後半で複数の集団が形成されていること、実力校が前集団の前列を占領していること。この二つが噛み合った時は要注意だ」


 映画のワンシーンのように、その光景がフラッシュバックする。そして記憶の中の影山が、この後起こる事態を口にした。


「闇堂先輩! 今すぐ外側トラックに移動してください!」


 返答を待たずして響き渡るのは破砕音。それは意図せず、大混乱の始まりを告げる鐘の音となった。

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