開幕 ブロッサムカップ
地下から地上にかけて切り拓かれたトンネル内、成人男性の身長程度のそのトンネルから、次々に半透明の球体がレールに導かれる形で飛び出してくる。
そして、その勢いが完全に停止した段階で、球体の一部分がパカリと開き、中から元気に
いずれの表情もやる気に満ち溢れており、ともすればこれから戦いに赴く戦士のような顔であった。
「着いたー! いや~、一時間程度でしたけど、やっぱり一人っきりの移動は長く感じますね!」
「何が一人っきりだ。ループスフィアの中でも、ずっと通話チャンネルを繋いでいただろうが」
「それでもですよ直美先輩! やっぱり人肌を直に感じられた方が良いじゃないですか!」
「え、え~と、兎羽ちゃん。何かテンションがおかしくない……?」
「ループスフィアの中で、頭でも打ったか?」
「どうせ浮かれてるだけ。会場に着く前にこの調子だと、先が思いやられる」
操に言われたように兎羽が目に見えて浮かれている理由、それは彼女達が移動してきた場所が原因だった。
西之島リンドブルムスタジアム。十数年前まで拡大を続けていた西之島に設計された、日本でも有数のリンドブルムレース会場の一つだ。
シーズン中はリンドブルムJ2リーグの試合会場にも利用されるこのスタジアムに、兎羽達が移動してきた理由は一つ。この会場こそが、ブロッサムカップで予選試合が行われる会場の一つであり、兎羽達の試合会場だったからだ。
対戦相手の抽選とレースコースの発表が行われて早一週間。兎羽達は顧問兼コーチの
兎羽は苦手な平地コースの反復練習、直美は周辺視習得のリハビリと改修機体の試走訓練、夜見はサポーターとしての基礎知識の学習、操は機体改修に分解整備を反復する修繕訓練と、誰もが手を抜かずに努力を重ねてきた。
そして今日がブロッサムカップ当日。叢雲学園憑機部の実力を知らしめるための、晴れ舞台なのである。
「……やっとだ。 ……やっと走れる」
ポツリとつぶやいたそ兎羽の言葉には、一体どれほどの意味が込められているだろう。
彼女がリンドブルムに魅了されてから十数年。最初の数年を除外するにしても、彼女は十年もの間、公式大会に出られずにいたのだ。
そこにはどれほどの後悔があっただろうか、どれほどの苦悩があっただろうか。だが、それも今日までだ。結果が如何であろうとも、今の彼女は走る権利を手にしている。信頼出来る仲間達と、勝負に挑む権利を遂に手に入れたのだから。
「おらっ、はしゃぎ始めたと思ったら、急に静かになりやがって」
「あいたっ」
感慨にふける兎羽の頭を直美がポカリと叩く。
「嬉しいのは分かるけどよ。お前の機体は、一つのミスが大惨事なんだ。その調子をレースの中にまで持ち込むんじゃねぇぞ」
「あっ…… アハハ…… すみません」
「正気に戻ったんならさっさと会場に移動するぞ。本番前なんて、話さなきゃいけない事が山ほどあるんだからな」
「私も空輸されてくる機体の組み立てと、本番前の接続テストで忙しい。呆けるのは試合が終わってからにして」
そう言って直美と操はさっさと移動を始めてしまった。
元々、アイアンボクシングの試合を経験してきた二人だ。平常心を保つことには慣れ切っているのだろう。
「ちょ、ちょっと先輩方! ……あぁ、行っちゃったね。私達も移動しよっか」
そんな中でも夜見は兎羽を気遣って、こちらに向かって手を伸ばしてくれている。
空気を読むことに長けた夜見だ。先輩方に付いていくより、兎羽を落ち着かせる方を優先すべきと考えたのだろう。けれど今は、そんな当たり前の優しさが何よりもありがたかった。
「うん、ありがとう! 行こっか!」
そうして握り返した彼女の手。それが震えていることに兎羽は気付いた。
ずっとずっと振り回してきた夜見という少女。けれど、彼女は最後まで兎羽の手を振り払わず、黙って付いてきてくれた。元が帰宅部だという夜見からすれば、こんな大舞台での緊張は兎羽の比では無いだろう。
奇しくも初めて出会った時とは、何もかもが逆の構図。なら、自分がすべきことも一つだ。
兎羽は何も言わずに、夜見の手を強く握りしめた。強く、強く、外からの力で震えを押さえつけるかのように。
夜見がはっとしたように目を見開いた。けれど何も言わずに兎羽の手を引き、歩き出す。言葉が無粋であることは、彼女も分かっていたのだから。
叢雲学園憑機部の挑戦が、今始まった。
※
「少しでも練習時間に充てるため、ミーティングは手短に話す」
叢雲学園憑機部に与えられた控室。そこでは事前に到着していた影山を囲む形で、兎羽達が話を聞いていた。
「事前に言っていた通りだが、この大会中は
「はい! 信頼関係を築くためと、夜見ちゃんの実力向上のためですね!」
影山の話す内容を、問われずとも兎羽が補足した。
「あぁ。
「ひゃ、ひゃい!」
未だに緊張の糸は張り詰めたままなのだろう。夜見がわざとかと思うほど声を裏返し、影山に返事をする。
「ほら、夜見ちゃん。大丈夫だから、ね?」
兎羽が安心させるように、夜見の両手を自身の手で包み込むが、それでも彼女はコクコクとロボットのように頷くのみだ。もしかすると、この緊張はレース開始後も続くかもしれない。
「念を押すのはこれだけだ。後は打ち合わせ通りに動くこと。そうすればお前達の実力だ、勝ち負けまでは持っていける」
「はい!」
「最後に兎羽」
「はい! 何ですか?」
「楽しんで来い」
「っ! はいっ! みんな、頑張るよ!」
各々の掛け声と共に、叢雲学園憑機部のミーティングは終了した。
※
「集合! お願いします!」
「お願いします!」
一糸乱れぬ姿勢で
「……君達は誰一人手を抜くことは無く、今日まで全力で練習に取り組んでくれた。ただし、この場で実力を披露出来るのはたったの五人だ。しかもその中には、入学したての一年生までいる。ずっと補欠で過ごすかもしれない三年生にとっては、口惜しい話だろう」
「いいえ! そんなことは思いません!」
群城の言葉を否定する声が上がる。その人物は以前も真っ先に群城の質問に答えていた、
「ほう、霧華。それはなぜだ?」
「プロの世界に年功序列は存在しません! 実力の高い若者がレギュラーを勝ち取り、実力の衰えたベテランが切られるシビアな世界だからです!」
「そう、霧華の言う通りだ! プロの世界には情けもへったくれも無い! ただ上手い奴が生き残り、下手な奴は日の目を浴びずに消えていく。そんな残酷な世界だ! けれど、ここはプロの世界ではない。ならば年功序列に従うのが正しいか!」
「いいえ! 私達のいずれもが、勝つためにこの部に所属しています! 部の勝利を何よりも願っています! 感傷や年功序列といった、お情けで試合に出されたところで、誰一人として納得はしません!」
今度は別の三年生部員が声を上げた。彼女は霧華と違い、三年間補欠のままだった部員だった。それでも彼女の言葉には迷いが無い。己の実力不足の自覚と、部の勝利を心の底から願っていた。
「よく言った! それでこそ雪屋大付属の三年だ! お前達の中には当然、三年間を補欠で終える生徒がいる。だが、努力は無駄にはならない! 大学進学後に才能が花開くかもしれない、社会人チームでエースを務めるかもしれない、今の時代で憑機の活躍する舞台は無数にある!」
誰も声は上げない。誰一人表情を変える者はいない。だというのに、控室内部には静かな熱気が発せられ始めた。室内のボルテージはどんどんと上昇していた。
「新生雪屋の実力を知らしめるのに、この場はうってつけの会場だ! 雪屋の今のため、そして選択を広げる未来のため、この試合、勝つぞ!」
「はい!」
※
「ふふんふーん♪ お~、あれはカツオドリさんかな? 向こうのはウミツバメさんかな? すごいな~! 近くで人間がお祭り騒ぎだってのに、生き物はいつだって必死に生きてるんだから!」
人工樹木に足を引っ掛け、コウモリのような姿勢でぶら下がる小麦色の肌をした一人の少女がいた。片手には動物さんグミと書かれた袋を握り、もう片手で取り出したグミの形をいちいち確認しながら口に投げ入れる。服装は学校指定のジャージ姿で、胸元には
「こぉ~ら~!
そんな少女を叱る声が、眼下から響く。
鶫と呼ばれた少女が下へと目を向けると、そこには見慣れた幼馴染達が集合していた。
「え~、
叱られているというのに鶫に反省の色は見られず、ブラブラと身体を上下に揺するばかりだ。おまけに彼女がそんなおふざけに興じている場所は、地上から数メートル離れた樹木の上だ。
何かの拍子に落下などすれば、まず間違いなく大怪我をする高さ。もちろん、鶫が高さに怯える様子は微塵もない。
「な~に~が~有意義よ! 今まさに、大会運営の人から注意が飛んできてるのよ! あんた、そのまんまだと出場停止処分を食らうわよ!」
「え~! それは困る。はぁ、仕方ないっか。人間さんごっこに戻ろう」
そう言うと鶫は、いきなり全身を支えていた両足を枝から離す。当然全ての支えを失った身体は、重力に引っ張られて自由落下を開始した。
このままでは頭から地面に激突するのは明白だ。しかしそんな時、彼女の片手が枝を掴んだ。
片手を軸にして、そのまま枝で一回転。勢いに流される形で斜め上へと飛び出すと、さらに下の枝でもう一回転。これを数回続けた後、最後は綺麗に両足で着地してみせた。サーカスのピエロ顔負けの見事な曲芸だった。
「十点、十点、十点!」
「素行不良で零点よ、馬鹿」
「え~!」
鶫にそう話しかけたのは、先ほどから百姉と呼ばれていた少女だ。鶫と比べて頭一つ高い身長から考えても、彼女より年上の保護者的立ち位置なのだろう。
「でも、いつ見ても凄い身体能力よね~。私ならこっそり十点をあげちゃうかも?」
「だよねだよね!
「ちょっと
「あらあら、ごめんね
頬に手を当て困ったように顔を振る美鈴と呼ばれた少女は、百恵と呼ばれた少女以上に発育が著しい少女だった。それでもどこか貫禄が足りないのは、優し気な表情と性格ゆえだろうか。
「もう、美鈴がそんなんだから、鶫と
「ちょっと百姉? 私は今のところ、何もトラブルを起こして無いんだけど?」
そう言ってわざとらしく唇を尖らせたのは、おそらく舞と呼ばれる少女だろう。日に焼けた健康的な肌に、サイドアップの髪、おまけにイタズラが好きですと言わんばかりの表情。末っ子気質の塊のような少女だった。
「まだ、でしょ? いいから試合が始まるまでは、静かにしてなさい」
「はーい」
「書類申請してきたよ~! ってあれ? もしかして鶫か舞、また何かやらかした?」
そこに合流してきたのは雛だ。言葉から察するに、大会の受付をしてきたのだろう。
「もう!
舞がこれまた非難の声を上げるが、雛が取り合う様子は無い。日常茶飯事なのだろう。
「今回は鶫よ」
「で、なにしたの?」
「木に登った」
「あんな滑りそうなやつに?」
「おサルさんの気持ちになれば、木登りもまた涼しいのであります!」
「どういうこと?」
「……知らないわよ。心頭滅却すればってことじゃない?」
「火でも無いし、温度関係ないじゃん」
「あっ、分かったわ~! 涼しいとクールをかけてるのねぇ~! 確かに木に登る鶫ちゃん、とってもカッコよかったもの~」
「は~い! 鈴姉、大正解~! どんどんぱふぱふ~!」
「終わったかい?」
「あっ、
茶番が終わるまで待機していたのだろう。雛の付き添いで受付に向かっていた、高鍋電子工業憑機部コーチ、金橋が部員達に声をかける。
好々爺然としているが、一切曲がっていない腰と老いてもなお残る眼力によって、彼が長きに渡って勝負の世界に身を置いてきた人間だということが分かった。
「すみません、金橋コーチ。この通り騒がしくって」
「気にするこたぁ無いよ、百恵ちゃん。若い時は元気が一番さ」
騒ぎを止められなかったことを謝る百恵の頭を、金橋は優しくなでる。
高鍋電子工業は幼馴染五人組で結成されたチームだ。金橋は当然、百恵のことも幼少期から知っている。良くも悪くも気安い空気を作れることが、このチームの売りでもあった。
「ねぇねぇ金橋爺ちゃん! もう機体の準備は出来た!?」
騒ぎを起こした張本人が、金橋の背中に嬉しそうにダイブする。
反省する心が欠片も見えないその行動に、百恵は一瞬もう一度怒鳴りつけようかと思ったが、処置無しとばかりに溜息を吐いた。
「空輸便が到着したばかりだからねぇ。組み立てはこの後だよ」
「え~! じゃあまだ遊べないの!?」
「大丈夫さ。あと一時間もすれば、たくさん遊べる。それに、もしかすれば鶫ちゃんのリンドブルム以上の機体が見られるかもしれないよ?」
「ほんと!? やった~!」
「だから走る準備を始めようか。準備不足で走れませんでしたは悲しいだろう?」
「うん!」
先ほどの身勝手さはどこへやら。
鶫は言われるがままに、試合会場に歩を進めていく。年季の違いゆえだろう。子供の扱い方は、百恵よりも金橋の方が数段上らしい。
「……」
祖父が鶫を見る目は才能を愛でる目であり、祖父が自分に厳しいのは、孫の成長を望む家族愛であることは分かっている。分かってはいるが。それでも腹が立たない訳が無い。
実の孫よりも仲睦まじげな光景を目の前で見せられ、雛はぶすっと不機嫌な表情を作るのだった。
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