あなたが救ってくれたから

 カチャカチャと部品をいじる音のみが響く部室内。そこでは兎羽とわみさおが、それぞれ別の機体に手を加えている真っ最中であった。


 兎羽の整備する機体は、彼女の愛機ムーンワルツ。環境特化型の機体であり、他のリンドブルムには無い機構を備えた問題児であるその機体を、兎羽は慣れた手つきで組み立てていく。


 本職のメカニックにも劣らない整備能力。それは長年彼女が孤独な戦いを強いられてきた証左であり、現在も不足しているメカニックの手を埋める存在として重宝されていた。


 そして本職のメカニックである操が何をしているのかというと、彼女が行っているのは直美なおみの機体製造だ。


 設立されたばかりの憑機ひょうき部には予算など無く、使える資金は吸収合併された憑闘ひょうとう部の予算だけだ。それも数少ない部員に割り振られた低予算。どれだけ値切りに成功したとしても、新たなリンドブルムを購入する余裕は無い。


 けれどもレースに出場するためには、最低でも二機のリンドブルムが必要だ。このままではランナーとして出場出来るのは、兎羽のみになってしまう。


 それを解決するために考えついたのが、直美がアイアンボクシングで使用していた機体の改修であった。


 テンカウントと名付けられていたその機体は、操の手によってみるみる内に生まれ変わっていく。


 衝撃を受けるための装甲の多くは、軽量化のために取り外された。ステップを踏むことを重要視していた脚は、前に進むための脚へと改造が成された。


 だがしかし、多くの改修を行おうとも、そのコンセプト自体は変更しない。多くの機体との小競り合いに勝利出来るように身体は大きく、誰よりも前を走るために重心を下に。


 こうして完成したのが、スプリント用機体、新生テンカウントだった。順調に進んでいる直美のリハビリスケジュールも視野に入れ、明日から機体運用が始まる予定だ。


「兎羽、コース発表は見た?」


 最終調整も一息ついたのだろう。工具を地面に置き、操が兎羽に話しかける。


「もちろんです! ……正直、私がただの木偶の棒にならずに済んで、ちょっぴり安心してます」


「ん。他二つはゴール出来れば御の字。山岳コースを引けただけ、私達に運が向いている」


「はい。トラックの2、街道の5、そして山岳の10。全体的に手堅い印象が強いです」


 前日の組み分け発表に引き続いて、本日発表されたレースコース。それは叢雲学園憑機部にとって、及第点と呼べるコース内訳だった。


 一コース目のトラックは、その名の通り角丸長方形のトラックを、右回りでグルグルと周る周回コースだ。他の直線コースとは異なり、周回遅れのリンドブルムが存在する関係上、接触事故が多発する危険なコースでもある。シンプルであるゆえに、機体の操縦能力が試されるコースだ。


 二コース目の街道は、桜並木の住宅街を走り抜ける直線コースだ。車道に沿って走るだけなら至ってシンプルなコースだが、これはリンドブルムレース。生成されるマップ全てがコースになり得る。つまり、住宅街を突っ切るショートカットが可能なのだ。


 堅実に車道に沿ったコースを走り切るか、はたまた一発逆転を狙って家と家の間を突っ切っていくか。ランナーの走破能力もだが、サポーターのルート決定能力も試されるコースである。


 そして三コース目の山岳は、山の麓から中腹までを走り抜けるこれまたシンプルなコースである。特徴としては麓から中腹までのコースなため、山岳コースにしては傾斜が小さいこと。


 この部分のみは、傾斜が大きければ大きいほど有利となる兎羽にとって、マイナス要素と言えるだろう。


「いくら高校生が大人の一歩手前と言ったって、結局は学生。兎羽が走ったようなコースは、そもそも選考外」


「あはは、それは私でも分かってますよ。でも、出来れば雪原、いえ、戦う雪屋ゆきやの立地を考えるなら、砂原辺りが二コース目に来てくれれば良かったんですけどね」


 前日のミーティングによって、影山から注意すべきチームは伝えられている。


 そして今日のコース発表によって、総合力と堅実さが売りの名門雪屋大付属が一位突破するのは確実と言えた。


「高望みしすぎ」


「分かってます。けど、走るからにはゴールラインを一番に走り抜けたい。出場するからには、優勝したいんです!」


「暑苦し」


「もぅ、操先輩はつれないな~! 先輩は勝ちたいとか、勝たせたいとかって思わないんですか?」


 兎羽が少しだけ唇を尖らせて文句を言う。それに対して操は、ガラス玉めいた目に少しだけ感情を覗かせた。


「……私の望みはもう叶ってる。だから、勝ちに対する執着が薄いだけ」


「望み? 操先輩の望みって何ですか?」


「直美がもう一度立ち上がること。だから、私の望みは叶ってる」


「……直美先輩が大切なんですね」


 兎羽の問いかけに、操はただ頷いた。


「……昔から、思った事が口から出るのを止められなかった。そのせいで何度もトラブルになったし、何度もメカニックから外された。兎羽にも謝る。あの時、ムーンワルツを悪く言った」


「え、えぇ!? 別に気にしてないですよ! あの時の操先輩の意見は、メカニックから見て当然の意見だったんですから!」


 兎羽が両手をブンブンと振りながら、操の謝罪に反論を返した。確かに試走会の時に、操は兎羽のリンドブルムを否定した。しかし、それはカタログスペックから考えた正論だった。


 兎羽からしてみればそれは当然の意見と言えたし、余計な中傷を重ねてこないだけ操は優しいと思っていたからだった。


「それでも兎羽を悪く言ったのには変わらない。だから謝る」


「え、え~…… 私は気にしてないのに…… ま、まぁ! それで操先輩の気が済むのなら、それでいいです!」


「ありがとう」


「どういたしまして! あれ? それじゃあ直美先輩とも、付き合いは短いんですか?」


 兎羽は操の謝罪を受け入れた。


 その上で、ふと思った疑問を口にする。


 操が何度もメカニックを外されていたのなら、直美との付き合いもそれほど長くは無いはずだ。そんな付き合いの短い人間に対して、ここまで思いやりをかけることが出来るのだろうかと。


「違う。メカニックを外されていたのは中学までの話。直美の元メカニックは卒業生だったから、去年の一年間はずっと私が担当だった」


「あっ、そうだったんですね」


「そう。けど、最初は私も期待していなかった。どうせ何かの拍子に口が滑って、関係は破綻すると思ってた」


「でも、そうならなかった」


 そこで関係が破綻していたら、そもそも憑機部に直美と操は揃っていなかったのだから。


「細かい機体操作で、何度も文句を言った。他の人なら、一発で関係解消になりかねない文句を。けど、直美だけは文句を言いつつも真剣に聞いていくれた。フォームの修正に動いてくれた」


 ぶっきらぼうだが生真面目な直美と、技術こそあるが口が悪い操。噛み合いづらい歯車が、綺麗に噛み合ったのだ。


「出来るからやってるだけだったメカニックの作業が、初めて楽しくなった。私と直美なら、頂点を目指せると思った」


 ここで終われるなら、直美の評判が地に落ちることは無かったはずだ。だが、現実は非情だった。


「……そこで直美先輩が病気に罹ってしまったんですね」


「聞いた時は悲しく思った。努力を止めない直美が痛々しかった。そして、兎羽達が押し掛ける寸前の直美は、見ていられなかった」


「操先輩……」


 大好きなことを奪われる絶望、若くして夢をあきらめなければいけない悲しみは、いかほどの物だったであろうか。どうやったって、操は直美にはなれない。悲しみに共感することは出来ても、悲しみを実感することは出来ないのだから。


「でもそんな日々は唐突に終わった。兎羽が直美を勝負の世界に引き戻してくれたから」


「えっ?」


 兎羽の頭に疑問符が乱立する。確かに兎羽は直美と勝負をした。だがそれは、部室を賭けた俗物的な勝負。しかも、平等さの欠片も無い勝負だったはずなのだから。


「兎羽にとっては、部室を分けて貰うだけの勝負だったかもしれない。けど、直美にとっては久しぶりの真剣勝負だった。好きに全力を出せる相手との勝負だった」


 素行も悪く、実力も地の底に落ちた直美にとって、それは本当に久しぶりの真剣勝負だったのだ。身から出た錆とはいえ、その勝負をどれだけ直美が渇望していたか。それが分かるのは、ずっと傍にいることを選んだ操だけだろう。


「私は直美に救われた。そして、そんな直美は兎羽に救われた。なら今度は私が兎羽に力を貸す番」


「……操先輩」


「私に直美や兎羽のような熱は無い。けど、これでも私は義理堅い。私に出来ることは、全力を尽くすと誓う」


「……ありがとうございます。けど、やっぱり勝負は勝った方が楽しいですよ」


「……強情。丸く収まる場面が台無し」


 操が半目で兎羽をにらみつける。しかし、そんな表情作る彼女の口角は、反面ほんの少しだけ上がっていたのだった。

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