競い合うライバル達

「うぅー…… 何を見ればいいの? どこが分かればいいの? まったく分かんない……」


  叢雲むらくも学園一年教室。太陽が地平線に沈み、辺りが闇一色に支配されようとしている教室で、夜見よみは大量の資料の中、うめき声をあげていた。


 彼女がこうなっているのには訳がある。それは、ブロッサムカップの抽選結果が発表されたためだった。


 交通機関の発展のおかげで、現代の大会の多くは、予選の段階で全国全てのチームを含めた抽選を取る場合が多い。もちろんリンドブルムレースの抽選会も北から南まで全てのチームを取り入れた形式を取っており、この結果によって、一ブロック16チーム、得点上位二チームが突破の予選が振り分けられるのだ。


 この形式は取り入れた当初から、様々なチームと戦えると多くの学校から評価を受けていた。しかし、対戦相手が無数に存在することは、必ずしもメリットばかりとは言えない。


 多種多様な相手と戦えるデメリット、その一つが相手チームの分析が間に合わないという点だ。


 リンドブルムレースにおけるサポーターは、レース中はルート決定や情報伝達などチームの司令塔的な役割を担う場合が多い。そしてレース外では、敵チームの分析やレースコースの分析など、どちらかというとアナリスト的な立ち位置へと変化する。


 この役割の中でも、敵チーム分析というのが曲者だ。


 何せ、全国のチームと当たるのだから、大前提として全国の強豪校を把握している必要がある。加えてそれぞれのチームが得意とするコースの把握も必要であるし、それぞれの地域で流行っている戦術の理解なども覚えていて損は無い。つまり、とにかく理解が必要な内容が膨大なのだ。


 地頭の良い夜見だ。抽選結果を影山かげやまから聞かされた段階で、その恐るべき事態に思い至った。そこからはただひたすらに敵チームの情報収集を、日が沈み切るまで続けていたのである。


 (あぁ~! バカバカ! 過去の私のバカ! 何がサポーターでもちろんよ! この役割、一番経験が必要じゃない!)


 影山がそれぞれに個別の課題を用意して一週間。付きっ切りで教えてもらったおかげで、夜見もサポーターのイロハが分かってきた。だが、所詮分かってきたのは始まりのイロハに過ぎず、その後に続くを理解するにはまだまだ時間が必要だったのだ。


「あと一週間、一週間しかないってのに……」


 普段であれば人と深い付き合いにならない夜見だが、その分頼られた時などは十全に仕事を全うする責任感の強さがあった。


 サポーターはチームの司令塔。夜見の指示が、勝てる勝負を敗北に導いてしまう可能性がある。それを想像してしまえば、影山に渡される初心者向けの課題だけでは物足りなかった。


 そして今の夜見には、兎羽とわが言った目標も重石となっていた。ブロッサムカップ優勝。それにどれほどの価値があるかは分からない。けれど、お荷物を抱えて達成出来るような軽い目標でないのは明らかだ。


 このチーム唯一の初心者、お荷物候補筆頭、そんなプレッシャーが無理を強いていた。焦燥を生んでいた。このままでは強制的に下校させられるまで、分析を続けるような鬼気迫る雰囲気。しかし、そんな状態の彼女に声をかける者がいた。


「まだ下校していなかったのか」


「あっ、先生」


 夜見に声をかけた人物、その正体は影山だった。


 いつもと変わらぬぶっきらぼうな喋り方だが、今しがたの声には若干の呆れが含まれているように聞こえた。


「……なるほど、今日の抽選で焦りが生まれたか」


「えっ、あっ、 ……はい」


 机に散らばる資料を一瞥することで、夜見がやっていることに気が付いたのだろう。その観察眼と分析能力は、影山が元プロサポーターであったことを感じさせた。


「お前のやる気は評価しているし、課題をこなした後に何をやっていようと文句は無い。けれど、あえて一つだけ言わせてもらうなら、そのやり方では一生分析なぞ終わらん」


「えっ?」


「戦績、戦術、人材、コースの得手不得手、理解しておくに越したことは無い。だが、そもそもチーム全ての情報を、お前は覚えきれるのか?」


「いえ、あの、きっと今の私では、無理だと思います」


「アホ、今の自分を乏しめるな。こんなの全盛期の俺でも無理だし、今年世界大会を優勝したチームのサポートだろうと、覚えきれるわけないだろ」


「えっ、そ、そうなんですか? でもプロの試合だと、みんながみんな、凄く理解が深くって……」


 夜見にとって、影山の言葉はあまりにも意外だった。彼女が普段観戦しているプロの試合では、それぞれのサポーターが対戦チームごとにカウンター戦術を取るのが当たり前だし、それに対抗する戦術を披露するのが当たり前だったからである。


「……はぁ、そういうことか。棋将、今の日本のプロリーグにチームはいくつある?」


「……えっと、男女それぞれ一部が16チーム、二部が32チーム、三部が_」


「そこまででいい。昇格戦は一年に一度、その間は同じメンバーと戦い続けることになる。能力不足による解雇はあるが、卒業というタイムリミットは無い」


「は、はい。それは分かります」


「分かる? ならお前が今やろうとしていることの無謀さも、分かって当然のはずだ。ほぼ固定メンバーで戦うプロのサポーターと、百を超えるあらゆるチームに当たる高校サポーター。分析の面だけに絞って、大変なのはどっちになる?」


「あっ……」


 夜見はようやく、自分のやろうとしていたことの無謀さに気が付いた。


「理解したな? 全ての情報を持っていることは、確かに理想だ。だが、それを追求するあまり、倒れたりしたらどうするつもりだ? 不戦敗同然では誰も納得しないだろうし、お前に無理をさせたと香月かがちは抱え込むぞ」


「……すみませんでした」


「自覚してくれれば、それでいい。ほら、受け取れ」


 そう言って影山は、夜見にクリップでまとめられた二つの資料を手渡してきた。


「えっと、これは? あっ!」


 軽く資料に目を通したことで気が付く。


 この二つの資料は予選で戦うことになる15チーム中、二校の資料であることに。


「元々、今回は俺が分析した資料を通して、サポーターの分析方法を学ばせるつもりだったんだ。雪屋大付属ゆきやだいふぞく高鍋電子工業たかなべでんしこうぎょう、この二校を攻略出来れば予選突破は可能だろう」


「あ、ありがとうございます! でも、どうやって……」


 夜見は自分がとんだ早とちりをしてしまったことを恥じると同時に、疑問を抱いた。抽選結果が発表されたのは今日。つまり、敵チームを分析し始める時間は、夜見と同じであったはずなのだ。


 それなのに影山は脅威となるチームをしっかりと見定めていた。いくら彼の分析能力が優秀だったとしても、あまりにも早すぎる。


「もちろん教える。春というのは新入生が入学し、新体制でチームが始動する時期だ。だから去年までの戦績で戦力を評価するには、一番適していない時期になる」


「……なるほど。でも、それなら何を見てチームを判断すればいいんですか?」


「生徒は流動する。しかし、変わらない要素がある」


「変わらない要素?」


「指導者だ。学生スポーツの多くは、指導者の力量によって戦績が左右される場合が多い。つまり長年に渡って好成績を残している、もしくは実績を持った指導者がコーチに就任することが、春における評価基準となる」


「ということは……」


「あぁ。名門雪屋の群城ぐんじょうコーチは、過去にチームを世界大会に導いたこともある名将だ。戦術行動を徹底させ、基本に忠実で無理をしない。崩し難い相手だ」


「それは…… 聞いているだけでも強敵ですね」


 基本に忠実であるということは、下手な戦法を取らずとも勝利出来るだけの総合力があることを物語っている。そういった相手から勝利を得るには、相手以上の総合力を持っているか、相手の対応力を吹き飛ばすだけの突出したナニカが必要だ。


「高鍋の金橋かなはしコーチは、群城コーチとは全く異なるタイプだ。というよりあの人がどんな指導をしているのか、全く想像がつかん」


「えっ、影山先生でも分析が出来ないんですか? いえ、それなら何で脅威だと分かって…… あれ?」


 そこで夜見は気付いた。高鍋電子工業憑機ひょうき部の設立月日に。


「そう。高鍋電子工業憑機部が設立されたのは去年だ。金橋コーチは古い知り合いでな。指導力は未知数だが、あの人の能力のみを勘定に入れて、資料を作らせてもらった」


「そ、そんなにすごい方なんですか?」


「棋将はプロシーンに明るかったな。天神フェニックスは知っているか?」


「それは、もちろんです。とてもユニークなチームですよね」


 影山があげた天神フェニックスは、J1で活躍する宮崎のチームだ。個性的な環境特化型の機体を製造することで有名で、悪路を悠々と走り抜けるその姿から、ホーム問わず人気のあるチームだ。


「そうだ。そこで二十年メインメカニックだった人が、金橋コーチだ」


「えっ、えぇ!? で、でも、天神フェニックスのメカニックって、若い人ばっかりだったような……」


「後任の人材が育ったことを理由に、五年前には引退していたからな。知らないのも無理はない」


「……そうだったんですね」


「だから想像してみろ。プロシーンで全てをやり切ったと引退したご老人が、今更学生チームのコーチを引き受けたその理由を」


「長年引退したままだった人が、コーチとして立つ…… まさか!?」


 夜見はその事例を知っている。つい最近目にしたばかりであるその事例を。


「あの人は、環境特化型の機体を作り上げる天才だった。修繕に時間を割かれるプロチームのメカニックでなければ、もっと多様な機体を開発しただろうと言われていた。そんな人がもう一度、表舞台に立ったんだ。理由なんて一つしかない」


「……新しく機体を作り上げたいと思える才能に出会った」


「そうだ。雪屋は目の前にそびえる高い壁、そして高鍋は後ろから猛追してくるダークホース。この二校を攻略出来なければ、予選を突破するのは難しい」


 予選の時点で、聞くだけでも脅威の相手が存在する。誰だって負けるつもりで勝負は挑まない。必ず勝つつもりで来るはずだ。


 不意に夜見の身体が、ぶるりと震えた。それは、今まで画面の向こうから眺めるだけだった勝負の世界に、自らも飛び込んだことを自覚したゆえだった。



 日陰に僅かながらの雪が残る校庭。そのトラックを一糸乱れぬ隊列を組んで、ランニングするリンドブルム達の姿があった。


 リンドブルムは様々なコースを走り切る頑丈さを兼ね備える一方、一つの部品の破損によって、分解修理を行わなければならなくなる繊細さも秘めている。


 それこそ機体同士がぶつかって転び、玉つき事故が起こったりすれば、自力で起き上がれぬほどの損傷を負う可能性だってあるのだ。だというのに、その隊列は乱れない。まるで事故が起こらないことを確信しているかのように。


 一体どれほどの練習をすれば、ここまでの練度が出せるのか。このランニング風景一つを切り取っても、チームの高い実力がうかがい知れた。


 そんな隊列に近付く一人の女性。四十代ほどに見えるその女性は、キリリとした眼差しと男勝りな雰囲気から女傑という言葉が良く似合った。


「ランニング止め! 集合!」


 女性から声が響くや否や、リンドブルム達は即座にランニングを止め、女性を取り囲むかのように集合した。やはり機体同士の接触などの事故は無い。


「群城コーチ、おはようございます! お願いします!」


 女性の正面に立ったリンドブルムから声が発せられると、周りは一斉に復唱する。その掛け声を聞いて、群城と呼ばれた女性は満足そうに頷いた。


「皆理解していると思うが、ブロッサムカップ開幕まで一週間を切った。昨年は私の力不足によって、君達を勝利させられなかったことを申し訳なく思う。特に霧華きりか、お前には悔しい思いをさせた」


 群城が真正面に立ったリンドブルムを見つめた。このリンドブルムの操縦者が霧華なのだろう。


「いえ! 私自身の未熟さもありました! 今年こそ世界大会出場を果たすため、目前のブロッサムカップ優勝を目指します!」


 群城の言葉に、生真面目さと強い意志を感じさせる声で霧華が応える。


「よく言った! 抽選結果は確認したと思うが、今年の予選は荒れるぞ。明日にはコース発表もされるだろう、全体ミーティングの準備を忘れないように!」


「はい!」


「以上! 練習再開!」


「はい!」


 まるで録画映像の再放送かのように、一糸乱れぬランニングが開始される。


 先ほどの群城の言葉、普通なら予選が荒れる理由を聞こうとする者もいるだろう。しかし、このチーム内には存在しない。なぜなら、必要な情報であればしっかりと群城が口にするからだ。


 あえて口にしないのであれば、それは言えない理由か言わない理由があるということ。ならばわざわざ問いかけることはしない。それが雪屋大付属高校憑機部の、生徒とコーチの信頼関係の表れなのだ。


「……さて、世界レベルのメカニックと実際に世界を取ったサポーターが相手か」


 ランニングを眺めながら、群城がポツリと言葉を漏らす。実際に自分が勝負を挑まないにも関わらず、その表情は戦いに赴く戦士のようであった。



 春だというのに、少しばかりの蒸し暑さを感じさせる部室内。そこでは必死に手を動かして何かを組み立てる少女と、それを眺める老人の姿があった。


「ほれ、ひな。もう少しで一時間じゃぞ?」


「わあぁっ! 爺ちゃん待って! タンマタンマ! ほんとにあと少しの辛抱だから!」


「ワシはそれでも構わんが、お前は幼馴染達を不良品に乗せる気か?」


「もーっ! 分かってる! そんなメカニックが無能だってことは、十分に分かってますよ! だからっ! このっ! ……やた! 爺ちゃんストップストップ! 時間は!?」


 雛と呼ばれた少女の掛け声に反応して、老人は手に持ったタイマーを停止させる。そこに記された残り時間は、たったの3秒だった。


「……一応合格にしてやるか」


「一応ってなんでさ! ちゃんと時間内には収まったんでしょ!?」


 不機嫌を隠そうともせず、雛は唇を尖らせた。


 その態度を見て老人はやれやれと腰を持ち上げると、雛の持っていたドライバーを取り上げる。


「な、なにさ?」


「お前、最後に焦ってネジ絞めたじゃろ? 右腕全体の締めが甘くなっとる。見とれ」


 そう言って老人は、ドライバーの柄をリンドブルムの肘にガンガンとぶつけだした。


「わー! 何やってんの!? そんなことしたら機体が歪んじゃう! って、あぁぁぁ!?」


 何度目かの衝撃の後、それは起こった。


 ガゴンと響く鈍い音、それはリンドブルムの肘から先の腕パーツが、根こそぎ脱落してしまった音だった。


「ワシの殴打をレースに換算するなら、他の機体との軽い接触レベルの衝撃じゃろう。それを八回繰り返すと、この機体は腕が脱落してしまうというわけじゃ。コースによっては接触は少ないじゃろうし、腕ならば最悪取れても走れる。だから一応合格と言ったんじゃ」


「あぁ~…… そんな~……」


 自分の仕事が完璧では無かった事に気が付き、ガックリと項垂れる雛。しかし、そんな彼女に対しても老人は慰めたりはしない。


「消沈するのは勝手じゃが、そのレベルで大会に出場してしまっていいのかの? ワシがランナーなら、こんな不出来な仕事をしたメカニックなんぞ試合後にぶん殴るがのう」


「はぁぁ!? 私のレベルが低いのは置いといて、つぐまいも、百姉ももねぇ鈴姉すずねぇもそんなことしません~! ってかそんなバイオレンスな環境なんて、爺ちゃんの爺ちゃんの時代でしょ!? DVDなんていう化石媒体の映像ばっか見てるから過激になるんだよ!」


「……バレたか。まぁ、このレベルの仕事で満足するのなら、それはそれでいいじゃろうて」


「なにさ、その言い草」


「別に深い意味など無いわい。ただ」


「ただ?」


「自分の不出来な仕事で負けた時、誰よりもメカニックは堪えるぞ」


「っ!」


 リンドブルムレースにおけるメカニックの仕事は、機体の製造とレースごとの修繕。ランナーのようにコースごとの走りを練習することも無いし、サポーターのように戦術や戦略に頭を悩ませる必要も無い。


 けれど、だからといってメカニックが重要な役割でないかと言えば、それは誤りだ。


 機体はレースを行う上で、必要不可欠な存在。ランナーの才能を活かすことも、サポーターの戦略を実行することも、カタログスペック通りの機体をメカニックが用意して、初めて可能なのだから。


「……もっかい」


「何じゃって?」


「もう一回タイム測ってって言ってんの! さっきは脚に時間をかけすぎたのが原因だって分かってる! 原因が分かってんだから、後は練習あるのみでしょ!」


 老人を見つめる雛の瞳。そこには今度こそ文句を言わせないという、負けん気が宿っていた。老人のかけた発破は、思いのほか有効に働いたらしい。


「……それでこそワシの孫じゃ。機体の分解整備、見事三十分でこなしてみせよ!」


「何で!? さっきは一時間だったじゃん!」


「今さっき整備した機体じゃぞ? 整備の時間は短くなって当然じゃろ。それに…… 今のお前の腕で、つぐみの機体を一時間で整備出来るんか?」


「ああぁぁぁ! やりますよ! やってやるっての! 百姉の機体で三十分、舞の機体で三十分、鶫の機体に二時間! これで、レース中のメンテ制限時間はピッタリですもんねえぇ!」


 悲鳴と文句をタラタラと零しながらも、手だけは高速で動かし始めた孫を見て、老人は満足げに頷いた。


「……お前も輝く原石を見つけたんじゃろ? 現役時代の再現じゃ。ワシの腕と貴様の智、どちらが上か、確かめるとしよう」


 老人、高鍋電子工業憑機部コーチ金橋たがねは、そう言って未だに孫にも触らせていない、自らが製造した機体を優しく撫でるのだった。

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