特化型の落とし穴
「ふぅー…… はぁー……」
意識転送装置からフラフラと出てきた
「予想はしていたが、現実の肉体との乖離が激しいようだな」
「あっ……先生。えへへ、これはお見苦しいところを」
いまだカプセルに重心を預けたままの兎羽が顔を上げると、そこには
「環境特化型を操縦する宿命ですから。それで、どうでした? 私の走りは先生のお眼鏡に敵いましたか?」
「成績自体はな。急勾配のコースを、一発勝負でここまで走り切れる選手は中々いない」
「それじゃあ、コーチの件は合格ということで?」
「それとこれとは話が別だ」
「……私には
そう問いかけた兎羽の声は、普段のトーンを二段以上下げたような、とても低い声だった。その表情も先ほどまでの明るく強引な態度とは一変し、判決を下される前の囚人のようであった。
「……あいつは関係ない」
そう問われた影山も、普段の彼らしくも無く、イライラしたようにこめかみを叩きながら言い返す。
「でも! 先生は龍征選手がいたから! ……あの人の才能に惚れ込んだから、世界の舞台にも立ってくれたんでしょう?」
「だからあいつは関係ないと…… いや、不毛だな。お互いに隠し事があるままでは、まとまる話もまとまらん」
「……」
影山の言葉に兎羽は返答出来なかった。自身の秘密に、感付かれていることが分かったから。
「香月、試走前にお前は言っていたな? この機体は自身の愛機であると」
「……はい」
「愛機という言葉には様々な意味があるが、一般的には操縦歴の一番長い、普段使いをする機体に当てられる言葉だ。間違っても環境特化型の機体を呼ぶ言葉ではない」
「……」
「お前はこの試走に合わせて、環境特化型機体を持ち込んだんじゃない。お前が一番自身のある機体が、環境特化型だったんだろう?」
「……やっぱり、ばれちゃいましたか。どこで気付かれたんですか?」
悪戯がバレた子供のように苦笑いしながら、兎羽は影山の言葉を肯定した。そんな表情を作りながらも、少しだけほっとしているようにも見えるのは、隠し事をしていた罪悪感からだろうか。
「そんなもの、走りを見ればすぐ分かる…… と言いたいところだが、昨日の内に少しだけ調べさせてもらった」
「えっ? でも……」
「あぁ。中学生大会や子供クラブチームの大会記録を探しても、一度もお前の名前は出てこなかった。いくら目を病んでいたと言っても、あの
けれどアイアンボクシングで多くの好成績を収めてきた闇堂と戦い、あまつさえ本人の口から完敗したと聞かされた時、兎羽の評価はがらりと変わった。
加えて、当の昔に引退した自分に、コーチを依頼するその姿勢も興味を引いた。そのためコーチに就くかは試走会次第と言っておきながらも、前日の時点で兎羽のことを調べ上げていたのだ。
「高校入学までの大会記録に、お前の名前は無かった。けれどお前達の年代は、一つのきっかけで才能が芽吹く場合が多々ある。そこで今度は、各クラブと部活動の在籍選手名を洗うことにした」
「プロ時代に
「……止めろ。四十代の男が、そんな異名を名乗っていたら痛々しすぎる」
「私は好きなのに」
「今後は禁止だ。 ……続けるぞ。そうやって探している内、一つのクラブチームと中学校
「……もうそこまで調べちゃったんですね」
そう答える兎羽の表情は、あきらめたかのような、或いは困ったかのような顔に見えた。
「在籍期間はそれぞれ半年にも満たず、いずれも在籍してから一度目の大会を終えた後に退部している。あれほど俺の前で憑機部設立を熱く語った奴が、一度レギュラーを取れなかっただけでやる気が無くなるわけがない。理由は別の場所にあると考えた」
「……それで、先生の解答はどういったものでしょうか?」
「リンドブルムに対するあれほどの熱意、俺のコーチ就任を熱望する姿勢、龍征の熱烈なファン、これだけ要素があれば十分すぎる。
「……ふふっ、大正解です」
笑っていた。だというのに、今の兎羽は泣いているように見えた。
「小さかった頃、偶然龍征選手の活躍を目にしました。誰よりも速くて、誰よりも自由で、そして誰よりも輝いていた。あの星々を巡るリンドブルムの姿は、今でも鮮明に思い出せます」
「……」
始まったのは自白か、或いは懺悔か。己の後悔を口から吐き出し続ける彼女に、影山はあえて声をかけることはしない。今のこの時間が、兎羽と憑機部に必要な時間だということを理解していたからだ。
「あの動画によって、私は一気にリンドブルムを好きになりました。龍征選手のことも大好きになりました。毎日毎日アーカイブを漁って、龍征選手の活躍を目にする日々。そうやって試合を目にしていく内に、当然のようにリンドブルムに乗りたいと思うようになりました」
「……あぁ。龍征の活躍は世界大会決勝が語られがちだが、普段のあいつは」
「はい。あの人の勝率が一番高いのは山岳コースです。あの頃の私は夢見がちな女の子でしたから、いつか龍征選手と戦える日が来ると信じて疑わず、その日のために山岳コースを得意にならなきゃいけないと考えていました」
「その結果が、あの機体か」
「その通りです。お父さんが板金屋だったおかげで、センサー類はともかく機体部品は格安で手に入ったんです。今思えばこれも運が良かったのか、悪かったのか」
「父親の知識と協力もあって、環境特化型の機体を作り上げたわけか。誰も止めはしなかったのか?」
「お父さんはダイブ系の知識がありませんでしたし、センサーを取り付けてくれた業者の人も、子供の遊び程度に考えていたんだと思います。まさかこのまま、コーチ一人付けずにリンドブルムを操縦させるわけが無いと」
「だが、普通はどこのドームで操縦するにせよ、12歳以下にはインストラクターか、操縦免許持ちの保護者の同伴が必要だろう?」
特化型機体の操縦は、操縦者に良くない癖を付けてしまう。最悪の場合、今の兎羽と同じように、一つの機体以外まともに動かせなくなってしまうほどだ。
そのため知識の無い親子が不幸にならぬよう、小さい子供にはインストラクターが付き、教育と矯正を施すのだ。
「そうですね。そこでドームで練習をしていたら、こんな事態にはなってなかったでしょうね」
「どういうことだ?」
「私のお爺ちゃん、結構な山の持ち主なんです」
「……あぁ、そういうことか」
「はい、そういうことです」
前述したように各地のリンドブルムドームであれば、インストラクターが教育と矯正を施してくれる。だが、自宅の敷地内で車を運転する時に運転免許が要らないように、自身の土地でリンドブルムを操縦するのであれば、インストラクターは付ける必要が無い。
「それまで年に一度程度しか会えない孫が、毎週のように来てくれるのがお爺ちゃん相当嬉しかったみたいで、自腹で通信装置とダイブ装置を用意してくれたんです」
「それで長年かけて、天然のコースを走り続けていたわけだ。特化型の弊害に気付きもせずに」
「それから数年、遊びと真面目の中間くらいの気持ちで練習を続けました。そして、いざ自分の実力を試そうとクラブチームに参加してみて驚きましたよ。まさか、大会出場はおろか、ただの練習ですら足を引っ張ってしまうだなんて」
低年齢層のリンドブルムレースで選択されるコースは、難易度が低いものがほとんどだ。山岳コース一つ取ってもピクニックで登るようななだらかな斜面が精々、これでは兎羽の良さは活かせない。
むしろ、確実に勝てるコースが無い彼女は、チームのお荷物になってしまう。
「確か中学生のコースも、平面の悪路が追加される程度だったか」
「はい。そういったコースも、別にムーンワルツは速くありません。そうして毎日皆の足を引っ張り続けるのが嫌になって、部活は止めてしまいました」
「……そうか。お前の過去は大体分かった。その上で聞く。どうしてそんな辛い過去があったにもかかわらず、また憑機部を作ろうとした?」
そう。普通に考えれば、今の兎羽にはリンドブルムを嫌いになることは無いにせよ、憑機部設立をするメリットは無いはずだ。
いくら自力で一から作り上げたとしても、練習が始まってしまえば秘密を隠しきることは不可能。加えて隠し事をしていたとして、非難の的にされる可能性すらあったのに。
「……私って、ずるい子なんです」
「どういうことだ?」
「この学校を受験したのは、一から憑機部を設立すれば、多少強引にでもレギュラーになれると思ったからです。夜見ちゃんに声をかけたのは、憑機部の存在しない学校でリンドブルムレースのアーカイブを眺めてる、言葉は悪いですがにわかファンだと分かったからです」
兎羽の自供が始まる。自身に言葉のナイフを付きたてるが如く、理路整然と己の罪を告白していく。
「先生をコーチにしたかったのは、環境特化型の操縦者を育て上げた先生のお墨付きがあれば、人を集められると思ったからです。今日
淡々と言葉を紡ぎだしていくのとは裏腹に、徐々に兎羽の表情は苦悶へと変わっていく。己の罪深さを自覚していく。
「夜見ちゃんに、真実を話さなかったのは、あ、頭数として、辞められるわけには、いかなかったから。 ……せ、先生にも黙っていたのは、コーチを、やってくれるって、言質を取りたかったから!」
気付けばたどたどしく、とぎれとぎれになっていった兎羽の声。見れば彼女の瞳からは涙が流れ出していた。自身の望みを叶えるために他者を巻き込んだ罪深さ。その罪悪感に耐えきれなくなったからだった。
「直美先輩に、反射神経の勝負を挑まれた時は、一人で勝利を、確信してました。二人が部活に、入ってくれるって、聞いた時、これで大会に出れるって、最低なことを考えてました!」
流れる涙はいつの間にか大粒の雫となって、直接地面に零れ落ち、ギリギリと握る掌は、すっかり血の気を失って真っ白になっている。止めようと思っても、もう兎羽自身にこの感情の濁流を抑える術は無かった。
止められるとすれば、今まで相槌と知識の補足をするだけに留まっていた影山のみ。そして彼は、口を開いた。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
「……えっ?」
「自らの罪悪感をギリギリまで抑え込んで集めたメンバーを使って、何がしたいと聞いているんだ? 今更自分の罪深さを全員に語って回る気か? それともその特化型の機体を使って、一瞬だけ高校憑機界の話題をかっさらう気か?」
「ちっ、ちがっ!」
「なら何をする? 何がしたい? うだうだ言い訳を述べてないで、それをはっきりと言葉にしろ」
「わたっ、私はっ! みんなと、リンドブルムがしたい! 例えボロ負けで終わったって、全力で大会に挑みたい! もう、もう、一人っきりでコースを走り続けるのは、たくさんなんです!」
ずっとずっと、一人で山の中を走っていた。
それが人生の選択を浅はかに決めて、大きく誤った自分に対する罰なのだと思っていた。
けれど、この罰はいつ赦される。いつ贖罪が果たされる。どれだけ耐えた所で自分が普通に戻れることはなく、どれだけ努力を重ねた所で、それが日の目を浴びることは無い。
そう思ったら、耐えきれなくなった。たった一度でいい、信頼出来る仲間達と戦いの舞台に立ちたかった。だから自分は胸の鈍痛を堪え続けてまで、他者を無理矢理引き込んでまで、憑機部設立を目指したのだから。
魂を込めた叫びを言い切った兎羽は、ぎゅっと目を固く閉じる。
幼稚な意見と笑われる覚悟はあった。そんな理由のために自分を巻き込んだのかと怒られる覚悟もあった。けれど今だけは、心が弱り切った今だけは、幼少期に散々目にしたあの失望の顔だけは見たくなかったのだ。
「
「ふぇっ?」
けれど予想していた反応はいつまで経っても来なくて、名前を呼ばれたかと思ったら、頭を優しく撫でられていた。
「仲間と一緒に走りたい。良い理由じゃないか」
「えっ? えっ? でも、日本一のサポーターだった先生を巻き込むには、幼稚すぎて……」
「どこが幼稚だ。誰にも真似出来ないようなカッコいい機体で走りたいんで、サポーターになってください。これと比べればよっぽど大層な理由だろう?」
「あっ……」
龍征の大ファンである兎羽は知っていた。そのセリフは、高校時代に龍征が影山をサポーターとして誘った時のものだと。
「明日から本格的な練習とミーティングを始めるぞ。準備しておけ」
「っ! それじゃあ!」
「期待された程度は仕事をしてやる。俺は地を這うだけだった蛇を、天まで飛ばしたことすらあるんだからな」
「っ! 先生! はうっ!」
感極まって抱き着こうとする兎羽を、影山は頭を抑えることでブロックする。
「俺に感謝する暇があるんだったら、涙の理由でも考えておけ」
「えっ?」
影山が言い終わるが早いか、自動ドアが開き、外から夜見と操が入室してきた。
「兎羽ちゃん! 凄い走りだった、ってえぇっ!? なんで泣いて!?」
「あっ、えっと~…… あはは……」
大団円でまとまりを見せた話の中、兎羽は涙を誤魔化す言い訳を真剣に考え始めるのだった。
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