山跳ね登る白ウサギ
「はっ? いや、はぁっ? なんで?」
呆気に取られた様子で、モニター画面を見つめる
元から多くを語らない彼女であったが、はいくら何でも語彙力が失われ過ぎていた。しかし、
なぜなら、夜見も操同様に目の前の光景に呆気に取られていたのだから。
(……すごい。このスピード、プロは言い過ぎかもしれない。けど、大学選抜以上には……!)
二人で見つめる、小型フィールドの拡大映像。
そこでは純白のウサギが、縦横無尽に山岳を駆け上っていたのだから。
※
「なにこれ?」
「はい! これが私のリンドブルム、ムーンワルツです!」
胸を張って自身の機体を紹介する兎羽。だが、操がそんな単純なことを聞いていないのは全員が理解していた。
「もう一度聞く。なにこれ?」
「どこか気になるところはありますか? 何でも質問に答えますよ!」
さらに怒気の割合が強まった操の質問が、兎羽に投げられる。それでも彼女は怯えたり、怯んだりした様子は無い。むしろ受けて立つとばかりに、逆に質問を投げかけてみせた。
「……そう。なら具体的に言わせてもらう。この機体は、どうしてこんな形状をしている?」
目の前に鎮座する兎羽の愛機ムーンワルツ。実在する植物をモデルにしたであろう白と薄黄色、そして末端にピンクをあしらった塗装もさることながら、その機体はあまりにも異質な形状をしていた。
一番初めに目につくのは、ロップイヤー種のウサギのような頭部に接続された二本の筒。その長さは腰近くまで伸びており、どれだけ軽い素材だったとしても、重量面で大きな不利を背負ってしまっているように見える。
次に目につくのは姿勢だ。まるで四足歩行を想定したかのような、度を越えた前傾姿勢。それゆえに通常の機体輸送コンテナに搬入出来ず、樹脂を流し込んで中身を固定化させる、特殊ロッカーを用いることでここまで輸送したほどだった。
最後は脚部だ。影山に機体を支えてもらうことで、操は足の裏まで確認した。そして気付いた。この機体の足裏には、外側に大量のスパイクが、内側には極端に柔らかい何らかの特殊素材が用いられていることに。
一般的に、リンドブルムとは操縦者の身体に寄せて製造される。
その方が実際に自分の身体を動かす感覚で機体を操縦出来る上に、不意の故障時に代機を見つけやすいからだ。
その点を見ればどうか。頭部には謎の円筒、実際の兎羽とは似つかない前傾姿勢、用途が分からない脚部のカスタマイズ。操縦者との接点を探すことの方が難しい。
どれだけ理解しようとしても、一部分すら理解が及ばない特殊設計。利便性や競争性を放り投げたかのようなカスタマイズ。
総論を述べるなら、あれほど
それゆえ操は持ち主である兎羽に質問をしたのだ。これ以上説明が無いままこれを見つめていたら、ガラにもなく設計者を怒鳴りつけてしまいそうだったから。
「えっと、機体の説明ですよね。まず、この機体は環境特化型の機体です」
「……ふぅん。続けて」
環境特化型。畑違いの操ですら聞いたことのある言葉だ。
リンドブルムレースはその戦略上、三コースで平均的なポイントを得るのではなく、一コースの勝利のみを追求した特化型の機体が投入されることがある。
例えば、ぬかるんだ沼地で足を取られない細い脚部のカスタマイズや、砂漠地帯で足が沈み込まないようにする広い足裏のカスタマイズのように。
それらと比べてもいささか極端が過ぎるような気がするが、しっかりとした理由があるのなら話は聞くべきだ。少しだけ操の溜飲が下がる。
「そしてこの機体が得意とするのは、山岳地帯等の下から上へとゴールを目指す、傾斜環境です」
「……なるほど。確かにあの前傾姿勢とスパイク付きの脚部は、不安定な山岳地帯を走るのに特化しているように見える」
「ですです! 機体内部もそれに合わせた、衝撃吸収用の素材でカスタマイズしてあります」
「衝撃、吸収……? 転落用……? まぁいい。ならこの頭に付いた部品は何? こんなの付いてるだけで余計に重量が増す」
「あぁ、大丈夫ですよ。その用途で付けてますので」
「は?」
「その円筒、
「はぁっ?」
「山岳地帯で頭を無理やり上に向かせるためってのと、平地でのバランス用に取り付けているんです。それが無いと、前につんのめって転んじゃうんですよ」
恥ずかしそうに頭を掻く兎羽だが、傍らの夜見にははっきりと聞こえた。操から理解を放棄した、ピシッというフリーズ音が響くのを。
だがそれも仕方あるまい。いくら環境特化型と言えども、他のコースを走れもしない機体は論外だ。そんなことではいくら一つのコースで高得点を取ったとしても、他の二コースでそれ以上の負債を背負ってしまう。
兎羽の機体はまさしく一つのコースでは一位を狙えるが、二つのコースで最下位を取りかねない機体。一歩進んで二歩下がるを体現したかのような機体であったのだから。
はっきり言って実用にはまるで向かない機体。本当に影山をコーチに据えるための、一発芸のような機体だったのだ。
(でも、それって逆効果じゃない?)
確かに一つの見せ場を作るという意味なら、これ以上の機体は無いと言える。しかし、目の前の顧問はすでにそれぞれの役割を考え、勝利を得るための最善を考える男だ。
そんな彼に実戦で使えない機体を見せて何になる。滑った一発芸が如く、鼻で笑われるのが落ちではないのか。
「話しは落ち着いたか? それなら
そして件の顧問であるが、言い争いに決着が付いたと判断したのだろう。ただ淡々と、兎羽に走るコースを指定するよう指示を出す。
「あっ、はい! 指定は山道の43でお願いします!」
「分かった。俺の方で入力をしておこう。香月は意識の転送をしておけ。
「分かりました!」
「明らかなマイナスを設計段階で組み込んで……その上で勝利コースは一つ切り……どう考えてもあの機体を習熟するまでの時間を、他の機体に回した方が……」
「は、はい! ほら、今宵先輩もいつまでもブツブツ言ってないで、上に戻りますよ!」
操の精神に重篤なダメージこそ残したが、一応始まりの兆しを見せた試走会。高速で設計されていくコースを眺めながら、夜見は兎羽の顔が曇ることだけは無い様にと祈りを捧げた。
まさかこの祈りが正反対の方向に裏切られることになるとは、この時の夜見は思いもしなかった。
※
始まった兎羽のレース。その内容は圧巻の一言に尽きた。
山岳の43。不安定な溶岩石で構成されたその岩山を、兎羽はノーブレーキで突っ走っていた。いや、飛び跳ねていた。
まるでスピードスケートのように斜め前へと踏み出された足、その角度に従うかのように兎羽の身体は斜め前へと大きく移動する。そうして移動した後に出るのは反対の足、そうしてまたも斜めへと跳ぶ。これが彼女の走りの全てだ。
一見すると真っすぐ走るより遥かに遅く、機体にも余計な衝撃を加えてしまう落第点の走りに見える。だが、そんな問題は彼女の特異な機体設計が解決してくれる。
まずは独特なカスタマイズが施された脚部。足裏のスパイクは着地時のブレーキとして機能し、中心部の素材は衝撃を大きく吸収してくれる。これらのおかげで、機体が受ける負担は大きく減少している。
続いて極端な前傾姿勢。これも山岳地帯であれば、とても有利に機能する。人が傾斜で転倒する理由の多くは、重心のバランスが崩れるからだ。
重心が前に傾きすぎて転倒する。足を置いた場所が崩れ、重心が後ろに向いて転がり落ちる。それらの問題は、兎羽の姿勢と移動法の前では問題とならない。
彼女の斜めに跳ぶ移動法ならば、例え足場が崩れようともかかる力は横への力となる。そして横への力なら前傾姿勢のおかげで、転ぶ前に反対の足が出る。これならば二連続でバランスを崩さない限り、転倒はありえない。
しかし、それはあくまで推測の話だ。なぜなら彼女は夜見達が見ている中では、ただの一度もバランスを崩してはいないのだから。それを可能としているものこそが頭部の重り、操が理解することを放棄した重りだ。
通常人は前傾姿勢であればあるほど、頭は下へと下がり、視界は遠方を見られなくなる。だが、頭部に備えられた重りのおかげで、彼女の視界は遥か遠くを臨める位置にある。
単純に兎羽の動体視力が優れているという部分もあるのだろう。けれども広がった視界は、より走りやすいルートを考える時間を兎羽に与えてくれる。
これらが合わさり、兎羽は山岳を縦横無尽に跳び跳ねていたのだ。
考えつくされた機体設計、それらを実現するだけの徹底した努力。夜見と操は今、常人では理解及ばぬ突き詰められた業というものを、ありありと見せつけられていた。
ここまでの走りを見せられて、一発芸のような機体などと乏しめることは到底出来なかった。
そしてそうこうする内に目の前にはゴールが、登頂を果たした者を称えるホログラムで浮かび上がったゴールテープが見えてきた。
完璧な走りだった。文句の付けようなどどこにも無かった。後は走者を称えるのみ。走り切った兎羽を出迎えようと、椅子から腰を上げた時だった。
「……マズい、落石」
「あっ、あぁっ!」
兎羽の走る衝撃が何らかの着火剤となったのか、目の前から巨大な落石が転がってきたのだ。いくら原材料が3Dプリント用の樹脂と言えど、それぞれのコースオブジェクトには、その見た目に相応しい強度と重さが備えられている。つまり直撃などすれば、最悪機体が大破しかねない。
最悪の光景が頭に思い浮かぶ。けれど、現実は彼女の想像など簡単に踏み越えてしまった。
「嘘……? 転がってくる落石を足場に……」
兎羽の進行上に発生した巨大な落石。それを確認した彼女は斜めに大きく跳び、落石の半分ほどの岩石に飛び乗った。そして、そこからさらに大きく跳び出すと、転がる落石の頂点でジャンプ。綺麗に一回転を果たすと、そのままの勢いでゴールテープを断ち切ったのだった。
「信じられない」
操の言葉に、無意識で夜見は頷いた。
彼女の言葉の通り、信じられなかった。今までの光景すら信じられない熟練の業だったというのに、最後のは一体何なのか。
きっとこういうものを神業と呼ぶのだろう。人知を超えた神の御業、あれを表現するにはそれ以上は思いつかなかった。
「……夜見」
操が自分を呼ぶ声が聞こえる。その声はここ二日過ごした中で非常に珍しいことに、少しだけ上ずっているように聞こえた。
「何ですか?」
「前言は撤回する。あれはまさしく環境特化型の完成形だった」
「そうですね。それ以上の言葉は見つかりません」
「その上で言わせて欲しい。なにこれ?」
「分かりませんよ。けど、一言添えさせてもらえるのなら、あれで影山先生がコーチに付かないのなら見る目が無いかと」
「言いえて妙。確かにあれを評価しないのは、見たことがない奴らだけ」
「そう言った意味では……」
感想戦の形となり、それぞれの言いたいままを遠慮なく口に出していく二人。最後の衝撃のせいで、最早腰すら上げられなかった。ある意味で彼女達に出来ることは、思い思いの言葉で感想を言い合うのみだった。
そんな彼女達に気付かれることなく、一人の人影がモニタールームから消えていた。そして、それに呼応するかのように、一人の操縦者も現実へと帰還していた。
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