出港した船に役立たずはいらない

 リンドブルムレースはあらゆる場所、あらゆる環境を走る、いわばロボット版アースマラソンだ。実際のアースマラソンが長期間をかけて世界を渡ることを考えれば、いくら機械の身であったとしても、その負担は凄まじいものになる。


 しかし現代科学の発展はそういった問題を過去のものとし、リンドブルムレースという競技を大衆スポーツの域まで押し下げた。


 ここまで話をしたら、その技術とは何かと問われることになるだろう。その技術とは3Dプリント技術である。


 特定の薬品と一定の熱に反応して即座に液体へと戻る特殊樹脂素材。それらを用いた上で世界中のあらゆる写真をコース情報として読み取り、3D技術で再現するAI。これらが合わさることで、人類は特設ドーム一つで、世界中の環境を再現する力を得たのだ。


 そして日本にも数十か所点在する全スポーツ対応型特別ドーム。その中でも叢雲むらくも学園から一番近くに位置するのが、愛知リンドブルムパークなのである。


「着いた…… けど、このどでかい施設の中から、どうやって兎羽とわちゃんを見つけるっていうのよ……」


 目の前の巨大ドームに圧倒された夜見よみは、今更ながらこの場に訪れたことを後悔し始めていた。


 発端は昨夜の兎羽との別れ際。生殺しに近い秘密の延長をされた夜見は、いてもたっても居られずに愛知リンドブルムパークへ向かう決心をしていた。


 ここで秘密を聞かないのは後悔する。そもそもあんな思わせぶりな行動に反応しなければ、クラス内でも気まずくなると確信して。


 ただここで一つの問題が発生した。兎羽は来てくれれば秘密を話すとは言っていたが、よく考えてみれば待ち合わせはしなかった。そして、あんな状態で別れた彼女に、わざわざ待ち合わせのために連絡するのは気が引けた。


 それでも連絡するべきか、いやそもそも施設内にいるんだから見つけて声をかけるのが早いかと悩み続けて一夜間。遂に具体的な結論を出せず、夜見は会場へと到着していた。


「というか、ホントにこんなでかいなんて思ってなかったんですけど……」


 普段試合風景をアーカイブで視聴するのみだった彼女は、会場の大きさなんて知るはずが無い。


 ループスフィアを乗り継いでどんどんと潜っていった地中深く。いざ到着してみて目に移ったのは、文化遺産になって久しい甲子園球場を何百個連結すればいいのかと思うほどの巨大施設であった。


 こんな施設内で兎羽を見つけ出すことは、干し草の山から一本の針を見つけ出すことに近い。つまり、ほぼ不可能だ。


 けれどここであきらめて兎羽に連絡を取るのは、昨日の思わせぶりな態度に釣られたみたいでなんとなく悔しい。あくまでも仕方なく、兎羽をほっとけなかったからという体で、夜見は合流したかったのだ。


「とはいっても……」


 地下一千メートルに建てられたこの愛知リンドブルムパークは、最寄駅だけでも三つ、入り口だけでも数十もある化け物ドームだ。歩いて一周しようものなら筋肉痛は確実、最悪うだうだ悩む時間が原因で、兎羽の走りが終わってしまう可能性もある。


「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」


 夜見があきらめて兎羽に連絡を取ろうとしていた時だった。


「夜見?」


「えっ? ええっ!?」


 突然名前を呼ばれ振り返る。するとそこには予想外の人物がいた。


今宵こよい先輩!?」


「ん。昨日ぶり」


 憑闘ひょうとう部所属のメカニック、今宵みさおがそこに立っていたのだ。


「ど、ど、どうしてここに?」


 当然の疑問を夜見は尋ねる。


 何せ納得があったとは言え、部室を強奪してしまった相手である。一晩立った後に直美なおみが悪い方向に心を入れ替え、報復として兎羽に勝負を挑みに来たのかもしれないと思ったのだ。


 しかし、夜見の予想は全くの見当違いだった。


「兎羽が影センに、コーチについてもらうための走りをすると聞いた。メカニックとして見に来るのは当然」


「ど、どうしてそれを!?」


 操が話した内容は、昨日決裂した夜見と影山の交渉の果てに、兎羽が行った提案だったはずだ。聞いていたのは兎羽と影山に夜見、それにせいぜいが付近にいた教師くらいのはず。


「どうしてって、影センに聞いたから」


「あっ、あぁ、あの後、影山先生とお話か何かを……」


「ん。直美と揃って憑闘部を退部した」


「ほえっ?」


「そんで新しく憑機ひょうき部に入部した」


「はえっ?」


「昨日見た感じ兎羽はガチガチのランナーだろうし、夜見はラン…… サポーター? 少なくともメカニックには見えない。そうなると機体の管理は必然的に私になる。影センがコーチをするにせよしないにせよ、兎羽の機体を確認しておくのがたいせ……夜見?」


 そこで操は気が付いた。いつの間にか、夜見がフリーズしていることに。


「え」


「え?」


「えええええぇぇぇ!?」


 生まれた大絶叫は、しかし最先端の防音技術のおかげで、そこまで迷惑にならなかった。



「……なるほど。元々闇堂あんどう先輩も、憑闘を離れる決意はしていたと」


「きっかけが兎羽だったってだけ。直美自身も自分の目を完治させることと、技量を落とさずにいられることの両立は不可能だって気が付いてた」


「それでリハビリに憑機部に、と」


「極度の緊張と集中が続く憑闘と比べたら、道とラフプレイに気を付ければいいだけの憑機は何倍もマシ。というかこのまま放っておいたら永遠にウジウジするから、私が無理やり憑機部に突っ込んだ」


「は、はぁ……」


 (あの二人の関係って、間違いなく今宵先輩が闇堂先輩を尻に敷いてるよね……)


 目的地を把握しているらしい操の案内に従いながら、聞かされたのは兎羽と夜見が去った後の憑闘部組の顛末。


 迷惑をかけた相手全てに謝罪をして周った二人は、その足でそのまま影山に転部届を出しにいったらしい。そうして聞かされたのが今回の内容。


 自分が調整を行う機体だ。確認をするのは早ければ早いほど良い。そのため操は、ここに足を運んだようだ。


「闇堂先輩は来てないんですね」


「直美は昨日の無茶が祟って食事も喉を通らないらしい。目を開くのも辛いとか」


「えっ……? それって大丈夫なんですか?」


「いつものこと。難癖付けて、ボコボコにして、次の日にはダウンする。これからはふざけた行動は、しっかりと私が縛るから問題ない」


「そ、それでしたら…… あっ!」


 そんな話をしながら辿り着いたのは、リンドブルム一機ごとの練習を目的とした小型フィールドの一室。そこには見知った顔がすでに準備は万端といった雰囲気で、壁面の操作パネルをいじっていた。


「兎羽ちゃん!」


「あっ! 夜見ちゃん! それに操先輩も!」


「ん。来た」


 夜見の呼びかけに気が付くと、嬉しそうにこちらに手を振る兎羽。操がいることに驚きをしないことから、すでに彼女には話が通っていることが分かる。


「ありがとっ! 来てくれたんだね!」


「……そりゃあ、あんな幕引きをされたらほっとけるわけないじゃん」


「……そっか。ほんとにありがと!」


「っ! そんなお礼は言わなくていいよ! 私も来たいから来ただけ! そこの今宵先輩と一緒!」


「……おい、なんで引き合いに出した?」


「全員到着したか」


「あっ、先生」


 和気藹々と話す三人の後ろから声をかけてきたのは影山だ。手にはレジ袋に入れられた各種ジュース缶を持っており、無言で夜見に手渡してくる。きっと差し入れのつもりなのだろう。


「あ、ありがとうございます」


「気にするな。メインエントランスから香月かがちのリンドブルムが搬入されてくるまで、時間があったからな。それと、今宵と闇堂が憑機部に転部する件は、棋将には話してなかったと思うが……」


「えっと、今宵先輩とは途中で合流しまして…… お話は本人から」


「そうか、ならいい。香月、リンドブルムの用意は?」


「はいっ! ちょっと前に届いています。ダイブ装置とのリンクは終わらせました!」


 兎羽は気合十分といった風に影山に言葉を返す。その表情には今のところ、前日にあった無理をしている雰囲気は感じられない。


「よし、なら早速走りを見せてもらおうと言いたいところだが、せっかくメカニックがいるんだ。まずは機体そのものの確認をしよう」


「えっ? 今すぐ兎羽ちゃんの走りを確認しないんですか?」


 影山のコーチ赴任をかけたテストレース。


 まさにその火蓋が落とされるものと感じていた夜見は、その提案にがくりと肩透かしを食らった気分になる。だがそんな彼女とは真逆で、他の二人は納得するように頷いていた。


 そんな二人を見て、夜見は困惑するしかない。けれどもそんな彼女に影山の助け舟が出た。


「どうしてすぐに始めないか気になるか?」


「はい。……正直何が何だか」


 夜見からしてみれば、この場は影山が兎羽の走りを見て、コーチに赴任するかどうかを決める場の筈だ。リンドブルムは個性的な機体もあるにはあるが、そんな部分は評価に関係しないはず。


 そもそも展覧会のような時間を割かなくても、走り出せば嫌でも機体は目に入るのだ。準備万端の兎羽から集中力を奪って、ミスを誘発させることが目的なのではと邪推すらしてしまった。


「理由は簡単だ。試走前の機体を、今宵に見せておきたかったからだ」


「試走前の?」


 理由を聞かされても、夜見にはピンとこない。そんな彼女の表情に影山を気が付いたのだろう。さらに言葉を追加した。


「香月と棋将きしょう、お前達二人のみの部活であれば、別にこんなことは不要だ。機体のメンテナンスも香月が自分で行っていただろうからな。だが、今宵というメカニックが転部してきたとなると話は変わってくる」


「えっと……」


「学生大会では役割の兼任が許されている。しかし、レースを終えた直後の疲れ切ったランナーに、機体のメンテナンスを任せるのは酷だろう。専任メカニックがいるのなら、そちらに投げてしまう方が早い」


「あ、あ~。やっと先生が言いたいことが、分かってきた気がします」


 要するに、ランナーである兎羽の練習時間を、機体メンテナンスという余計な時間で潰したくないという事だろう。


 リンドブルムのメンテナンスは、練習に使用した場合でも数十分。試合や過酷なコースの練習に使えば、数時間単位で必要になる。せっかくメカニックがいるというのに、そこにランナーの時間を消費してしまうのはとんでもない損失だ。


 顧問に赴任してまだ一日だというに、すでにこの教師はチーム運営をしっかりと考えている。そのことに驚嘆すると同時に、夜見の頭に一つの疑問が生まれてくる。


「……けど、そういう機体確認って、やっぱり試走後とかにやるものじゃないんですか? プロチームとかの練習風景でも、練習前に確認しているものは見た事無いんですけど」


「確かにプロ同士ならあり得ない光景だろうな」


「それなら……」


「だが、その考えはプロだから成り立つものだ。機体のデータ、設計図、ランナーの癖、あらゆる情報が集約されているからこそ、出来る選択だ。香月、お前の機体は量産型か?」


「オーダーメイドです! というより、完全な自作です!」


「だろうな。そんな情報が無い機体を試走後に、はい直してくれと渡されたら今宵はどう思う?」


「ぶっ飛ばしてやろうかって思う」


「あっ……」


 夜見はようやく気が付いた。自分の考えは、操が兎羽の機体を知っている前提が無ければ成り立たないことを。


「そういうことだ。棋将、お前の考えはあらゆるものが充実したプロ視点では正しい意見だ。しかし、得てして学生スポーツとは不足するものだ。お前の課題はプロと学生、二つの視点のすり合わせだな」


「……はい」


 (そっか。だから二人は先生の意見に、最初から同意出来たんだ)


 夜見のリンドブルム知識は、プロ試合やチームドキュメンタリーを見たことによる知識しかない。全てが充実した上で生まれる、高尚な悩みしか知らない。


 だから気が付くことが出来なかった。メカニックからしてみれば、初見の機体をメンテナンスするのは多大な負担がかかるという事実を。それが冗談でも物騒な言葉を交えてしまうほど、無理難題だということを。


 そんな当たり前のことに気が付けなかった自分に嫌気が差す。そして分かっていたことだが、部員仲間二人とのスタートラインの違いを感じてしまう。


「……気にするな。最初から出来る人間なんていない。徐々に覚えていけばいい」


「……はい」


 影山に慰めの言葉をかけられる。けれどそんなもので機嫌が直るようであれば、ここまでひねくれた人間性は出来上がらない。むしろ不安はさらに増してしまう。


「そうだよ! 私だってメカニックさんにいっぱい迷惑をかけてきたから!」


「……そうなるとこれから迷惑をかけられるのは私なんだけど?」


「ははっ…… 兎羽ちゃんもあんまり今宵先輩を振り回さないようにね」


「うん! しっかり付いてきてくれてるか、確認するようにするね!」


「放し飼いで散歩している犬か何かか?」


「ふっ、ふふっ。今宵先輩、兎羽ちゃんを犬扱いはあんまりですよ」


 今までは遠巻きに眺めていた風景。関係ないと流し見してきた風景の中に、今夜見は立っている。思っていたより面倒には感じなくて、思った以上に充実していて、そして何より自分のせいでこの風景が壊れることが怖かった。


 (そうだ。乗りかかった船じゃない。もう出港した船なんだ。逃げ出そうったって周りは海、役立たずは船員全員に睨まれる)


 もう自分は憑機部という船を運行させる、船員の一人となっているのだ。いつまでもお客様は許されるわけがない。いつか求められる期待に、応えられるだけの力を有しなくてはいけない。


 傍から見れば三人のおかげで立ち直った風に見える裏で、夜見は一つの覚悟を決めていた。


「……まったく。 ……潰れないようにしてやらねぇと」


 それに気が付いたのは、いつの間にか一歩下がって傍観に回っていた影山のみだった。

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