秘密とは甘い誘惑である
リンドブルムレースとは、五人一組で挑むチーム戦のスポーツだ。
五人の内の三人がランナーと呼ばれる役割をこなし、そのランナー達がランダムに選出された三つのコースを走り抜け、その順位ごとに加算されるポイントによって勝者を決めるシステムを取っている。
ならば他の二人は何をするのかと疑問を覚えるかもしれないが、彼らにもしっかり役割はある。レースに参加こそしないが、ある意味ランナー以上に必要不可欠なメカニックとサポーターと呼ばれる役割が、割り振られるからだ。
メカニックはその名の通り、リンドブルムの整備役だ。生身の肉体と異なり、リンドブルムは自身の不調を言葉で表すことが出来ない。そのため、レース中に引っ掛けた小枝の一本、踏んづけた小石の一つが大きな損傷に繋がることも少なくない。
そういったリンドブルムの不調をいち早く察知し、適切な処置を施すのがメカニックの役割だ。
各レース終了ごとに与えられた三時間。その限られた時間を使って、メカニックは機体の調子を整える。もちろん大きな損傷を負ってしまったり、三機それぞれが損傷を負ってしまった場合でも時間は変わらない。
時に大きな損傷をしたリンドブルムをあえて見捨て、時に三機の損傷をそれぞれ軽傷レベルまで修繕する。判断力と技術力。この二つの能力を求められるのが、メカニックと呼ばれる役割なのだ。
そして、もう一つの役割であるサポーターは、チームの司令塔だ。
まず始めにサポーターにはランナー達と通話可能なマイク、コースの立体地図、コース全体を細かに一望出来るカメラモニターの三つが支給される。これらを用いて、ランナー達を導いていくのがサポーターの役割だ。
しかし、一体ランナーを何に導くのかと疑問に思う人もいるだろう。
だからこそ説明しなければいけない。サポーターが導くもの。それは、ランナー達が走るコースルートである。
リンドブルムレースの発祥は地球軌道上に浮かぶ、スペースデブリ群の一つだった。上下左右、あらゆる方向から物体が飛来する危険地帯。そこで廃品回収を行っていた自営業の若者達が、悪ふざけに投稿したレース動画が始まりだったのだ。
いくら命の危険が無いとは言っても、職業意識に欠けていたのは間違いない。最初は最悪の業者だの、子供が真似を始めたらどうするだの、多くの苦情が寄せられた。
だがその一方、命の危険無くスリリングを味わえる快感、ルートを好きに決められる自由性は多くの人間を虜にした。そうして着々と賛同者を増やしていったこのレースは、いつしかリンドブルムレースと名前を変え、大衆に受け入れられたのだ。
そういった背景もあり、リンドブルムレースのコースは一部を除いて異常に広い。実際にコースを走るランナー達の判断だけでは、道に迷ってリタイア者を出してしまうほどに。
だからこそランナーを支え導き、適切なルート選択をしてくれるサポーターが必要なのだ。レースの展開を読む推測力とルートを決定する決断力。
この二つを兼ね備えたサポーターこそが、リンドブルムレースにおける陰のリーダー、チームの司令塔であるのだ。
さて、上記の予備知識程度であれば、にわかファンの
だが、世界の頂に立ったチームの司令塔。そんな伝説とも呼べる肩書を持った男が、
「その、
おそるおそる兎羽に問いかける夜見。
彼女が嘘を吐いているとは考えづらい。だが、いくらリンドブルム大好き少女と言えども、見間違いや勘違いなどが無いとは言い切れない。
あなたが求めるコーチと
そうして行った質問に、返ってきたのはいきなり手渡された彼女の端末。
その画面に映されていたのは、世界を制した伝説のチームの集合写真。そして、写真の端で優勝メダルを首から下げていたのは、今より随分と若々しくはあったが、間違いなく影山だった。
「……私ね。小さい頃に
「……そうなんだ」
どんな物事にも始まりはある。これだけリンドブルムが大好きな兎羽と言えど、生まれた時から大好きというのは絶対にありえない。
「初めて見た時は、ルールも分からないのにただただ圧倒された。金色の彗星があらゆる障害物をすり抜けて、他の追随を許さずに一瞬で追い抜いてく。あの時の私にとって、リンドブルムはスポーツじゃない。芸術作品だった。そして、私も同じ舞台に立ちたい。芸術を作る側に回りたいって思ったの」
彼女にとってのきっかけが、龍征の活躍だったのだろう。そして、強すぎる光は得てして視界に焼き付けを起こす。脳裏にまで刻み込まれる強烈な思い出として。
それだけの衝撃を幼い頃に味わったのだ。おっかけとして、龍征に関わる様々な情報まで収集しだしたはずだ。そうなれば、龍征をサポートした名選手に、コーチについて貰いたいと思うのも何ら不思議ではない。
「それが、影山先生にコーチをしてもらいたい理由?」
「うん、半分はそんなあこがれ。でも、もう半分は……」
せっかく明るさが戻りかけていた顔に、またも暗い影が差す。その顔は、影山にコーチングを拒否された時の顔と一緒であった。
「もう半分は?」
「……ごめん、ちょっと説明が難しいや。夜見ちゃん、今日は付き合ってくれてホントにありがとう。それと、迷惑をかけてごめんなさい」
「はっ? えっ?」
理由も聞けず、突然の感謝に謝罪と切り替わっていく感情の濁流に、夜見は付いていけない。
そして、示し合わせたかのように一台のバスが停車する。兎羽が待っていたバスだ。
「明日、私の走りを先生に見せた後なら、ちゃんとお話出来ると思うの。だからもうちょっとだけ秘密にさせて!」
そう言って、ピョンとひとっ跳びでバスに乗車する。
彼女もリンドブルム選手なのだ。素の運動神経が悪いはずが無い。まさに名前の通り、綺麗な跳躍であった。
そうして反応も出来ずに立ち尽くす夜見を置き去りにして、バスは発進していった。昨今の全自動運転技術の発展によって、空気を読んで停車時間を伸ばしてくれる運転手など、車内に存在しないのだから。
「……勝手に感謝されて、勝手に謝られて、終いにはお預けだなんて。織り込み済みでやってるんなら、役者が過ぎるでしょ……」
兎羽に振り回されるだけ振り回された、怒涛という言葉すら生温い一日であった。
勝手に職員室に連れ込まれた怒りがあった。勝手に問題児先輩にカチコミをかけられた怒りがあった。ここまで付き合わされて本音を話してくれないことへの怒りがあった。
けれどそれ以上に、夜見はほっとけないと思ったのだ。
兎羽が何を考えて、入学早々憑機部を設立したのかは分からない。どうして影山に指導を受けることにこだわるのかは分からない。どうして本音を言うことをためらったのかは分からない。
だが、一つだけ分かることがある。彼女は色々無理をしているということだ。
そうでなければ、わざわざ上級生に喧嘩など売らない。わざわざ一人のコーチにこだわらない。わざわざ夜見に謝ったりなどしない。
それらは全て、彼女が切羽詰まっていることへの裏返し。兎羽が無理をしていることへの証明になっているのだ。
薄っぺらい人間関係で完結していた夜見に、大きく踏み込む度胸は無い。しかし、場の空気を乱さない事に執心していたからこそ、大きな賭けに出ようとしている兎羽の、ほんの少しの心の機微は分かった。
そしてああいった無理をするタイプには、成功失敗に関わらず、傍で支えてあげる人間がいなくてはいけないことも分かっていた。
「えぇい、乗りかかった船!」
付かず離れず、程良い距離感を保ってきた。けれどそれは、決して夜見が薄情な人間であることを指すわけでは無い。むしろ普段人に頼られることが無いからこそ、頼られた時は必死に応える。案外彼女は、責任感が強いのだ。
端末に検索ワードを打ち込み、すぐさま経路案内をダウンロードする。その検索欄には、愛知リンドブルムパークと表示されていた。
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