思い出した熱量

「来るのが遅ぇから逃げたかと思ったが、ダイブしてきやがったか」


 脳裏に直接響く直美の声。兎羽があらためて視界を認識すると、目の前には飾りっ気の無い無骨な機体が、今か今かとその場でステップを繰り返していた。


「やだなぁ。あそこで逃げ出すんなら、そもそも部室にまで来ませんよ」


 続いて自分の身体を確認する。腕、足、身体と目に見える範囲で、直美の機体との違いは感じられない。強いて言うなら、こちらの機体は少しだけ綺麗だろうか。


「どうせ憑闘ひょうとう部で機体に乗るのは私だけだからよ。そっちは偶にみさおが調整で乗るくらいで、普段はホコリを被ってるんだ」


「ホコリって言う割には、どこも違和感なく動かせますよ?」


 グーパーと手を動かし、プルプルと足を震わせる。その動作一つを取っても、本来の身体を動かす時のように正しい反応が返ってくる。とてもホコリを被るような管理をされていた機体には思えない。


「馬鹿やろっ! 比喩ってやつだよ! そんなこと操の耳に入ってみろ。だったら自分で管理してみろって、センサー関係全部引っこ抜かれちまう!」


 わたわたとコミカルな動きをする直美からは、本当に慌てている様子が伝わってくる。同時に、そんな動きを無理なく行えるところから、彼女の操縦技術の高さが伺えた。


「お近くにいた先輩のことですよね? ……信頼してるんですね」


「……私が身体をぶっ壊した後でも、何も言わずに傍にいてくれた奴だ。感謝してもしきれねぇよ」


「……羨ましいです」


「あん? お前もリンドブルム乗りなら、メカニックには世話になって…… いや、そんな会話はゲームの後でも出来る。ほら、さっさと制限時間を決めろよ」


「私が決めていいんですか?」


 兎羽が意外そうに聞き返した。


 当たり前だ。このゲームは制限時間が何よりも大切な耐久戦。その決定権を兎羽に委ねてしまった場合、仮に制限時間を一秒にしてしまえば、一瞬で兎羽の勝利が決まってしまう。


「あぁ、いいぜ。だから見せてくれよ。お前の自信ってやつを」


「……ふふっ、そういう。それなら、えっと、学生のボクシングは三分を何ラウンド行うんですか?」


「んん? まぁ、普通は三ラウンドだな」


「ならそれで行きませんか?」


「……はっ! やっぱお前、おもしれぇよ」


 それが合図だったのか、直美のステップがより鋭く、より速く変わる。


「大口叩いといて、一発で沈むんじゃねぇぞ!」


 兎羽へ向けて踏み込んだ第一歩。その一歩と共に、風切音が響くほどの鋭いパンチが、彼女へと放たれた。



「ちょっと今宵こよい先輩、もう少し急いでくださいよ! 兎羽ちゃんのことだから、きっともう始めちゃってますよ!」


 ほとんど歩きと言ってもいいスピードで廊下を走るのは夜見よみみさお。目的地は直美と兎羽の意識が転送された部活棟ホールだ。


「兎羽って子の考えは、気にするだけ無駄。どうせ直美のことだから、兎羽が転送された時点でとっくにゲームを始めてる。夜見が期待するのは、兎羽が直美の拳を避けられるだけの実力があること」


「そこの詳しい解説はいいんですよ! 頼むからもう少しだけ急いでください!」


 (どっちにしたって、あなたが遅いと過程を見る前に結果が出ちゃうんだってば!)


 憑闘部部室から別館ホールまで移動する時間を使い、夜見は操との交流を深めていた。


 兎羽がゲームに敗北すれば、ほとんど関りが無くなる人物とコミュニケーションを取る理由。その一番の理由はやはり、先ほどの自分の失言をうやむやにするためだ。


 操は気にしていない様子だったが、そんな表情と言葉だけでは人の本心は測れない。そのため、今後ふとした瞬間に口を滑らされても笑い話で済むよう、今の内に仲良くなっておこうと画策していたのだ。


 もちろんそれ以外の理由もある。それは、兎羽が直美に勝利した場合に、後腐れ無く部室を借り受けるためだ。


 いくら直美が馬鹿正直な性格であろうと、後輩に負けて部室を貸し出す羽目になれば、本心では不満もあるに違いない。そうなれば、嫌いな相手と毎日顔を合わせることとなり、増々不満は溜まっていく。


 それを少しでも和らげてもらうため、彼女のブレーキ役と思われる操と交流を深めていたのだ。


 いくら横暴な問題児と言われている直美と言えど、兎羽との会話からも分かるように、まず始めに話を聞くだけの常識は持ち合わせている。ならば、最悪兎羽と夜見の話に耳を貸さない状態になっても、操の話だけは聞く可能性がある。


 憑機ひょうき部と憑闘部の橋渡し役。夜見が操に求めていた役割はそれだった。今日こそ兎羽に振り回されっぱなしだが、本来の夜見はこういった人間関係の調整が何よりも得意なのだ。


 圧勝したか、惨敗したか、辛勝したか、惜敗したか。結果一つ取っても人間が抱く感情は全く変わる。そんなゲーム後の調整を考え、夜見は今すぐにでも観戦したかったのだ。


「もう着く。あの扉」


「分かりました!」


 色々な理由で初動が遅れた以上、すでにゲームは終わったか後半戦のはず。これ以上見落とすわけにはいかない。夜見は急いで扉を開いた。


「はえっ?」


 そして随分と間抜けな声を出すはめになった。


 簡潔に言うならゲームは続いていた。なら、夜見は安心感から気の抜けた声を出したのだろうか。いや、それは違う。


 彼女は呆気に取られたのだ。兎羽と直美、両者の実力を前に。


 ヒュン、ヒンと空気を切り裂きながら直美の拳が兎羽に迫る。普段あまり憑闘の試合は見ない夜見だが、そのあまりの速さと正確さ故に、一目で直美の実力がプロに差し迫るものであると理解した。


 これだけの素晴らしい才能があれば、なるほど確かに横暴に振舞って潰されないだけはある。だが、このゲームの最も見るべき点はそこでは無い。


 幾度となく振るわれる、一発一発がKO級と思われるパンチ。そんな乱打の嵐を全て紙一重で躱し、ゲームを成立されている人物がいるのだから。


 顔しか狙わない。フェイントは使わない。通常の憑闘の試合であれば、大きなハンデとなるだろう。しかし、それを受ける兎羽は憑闘の選手ではない。憑機というレース種目の選手なのだ。


 憑機はコースによっては、障害物の中を進むこともある。飛来物が迫ることもある。だが、それらのいずれもパンチの乱打と比べれば優しすぎる。意図して自分を狙ってこない飛来物の、何と優しきことか。


 レース種目の部活設立が目標だったはずだ。そのために部室を求めていたはずだ。だというのに、肝心の本人は憑闘部に参加した方が、よっぽど相応しいように見える。


「……あぁ、直美。負けね」


 気が付けば、自分の隣で冷静に戦局を把握している操がいた。そんな彼女の冷静さすら、今の夜見には埒外の才能に感じられた。



 (すげぇな。お前、本当にすげぇよ……)


 繰り出す拳のことごとくを避けられる直美は、感心などとっくの昔に通り越し、感動すら覚えていた。


 目の前の兎羽が操る機体は、体勢が少しばかり前傾に偏り、猫背のようになっている。お世辞にも綺麗とは言えない姿勢。しかし、そんな姿勢であっても当たらない。一度だって拳がかすりもしないのだ。


 おまけに兎羽は一歩だってその場から動いていない。一歩もだ。迫りくる拳を躱すために動かすのは上半身まで。実際には足どころか下半身も動いてない。だというのに当たらない。


 あまりにも不可思議な状態に、混乱で拳がコントロールが鈍りそうになる。だが、半ば引退状態の直美と言えど、知識を蓄えることまではサボっていない。今の兎羽の状態に、直美は少しだけ覚えがあった。


 (昔聞いたことがある。本当に目の良いボクサーはガードを下ろす。そうして広がった視野を活かして、絶好のタイミングでカウンターを叩き込むってことを……)


 まさに今の兎羽そのものだ。元々彼女はボクサーではない。ガードの体勢を取れと言ったって無理だろう。


 けれども、偶然下がったままの腕のおかげで、彼女の視界は何にも邪魔されない。飛んでくる拳を発生の瞬間から捉えることが出来る。


 そして、発生の段階からルートを辿れば、おのずと拳が飛んでくる場所は想像がつく。後は身体を少しだけずらすだけ。それだけで拳は空を切る。


 (いくら飛んでくる場所が分かるったって、飛んで来てんのは元憑闘選手のパンチだぞ。どんな胆力だってんだ)


 そう、いくら躱す自信があったとしても、拳が自分に向かって飛んできているのには変わらないのだ。


 人は顔に飛んでくる物を無意識に恐れる。それは機体であろうと変わらない。むしろ機体の方が、恐怖で視覚センサーを無意識に切断し、曲がらない方向に機体の関節を捻じ曲げて破損させたりと、悲惨な結果を迎える確率が高い。


 けれど、それらはいずれも恐怖に屈した場合の話だ。目の前の兎羽はどうだ。一切動きを乱さず、一歩だって動こうとしない。意識、無意識問わずに、恐怖に打ち勝っている証拠だ。


 一体どれだけの訓練を積めば、一体どれほどの失敗を重ねればこの境地に辿り着けるのか、直美ですら想像がつかない。だが、一つだけ分かるのは、目の前の少女が必死に努力を重ねてきた人間だということだ。


 (あぁ…… 楽しいな。お前、どうして憑闘に来なかったんだよ。どうして私が万全の時に出会えなかったんだよ……)


 直美の胸を駆け巡るのは寂寥せきりょう感。全力をぶつけ合えるだけの相手に出会ったというのに、もうすぐその時間が終わってしまうことへの悲しみ。そして、こんな才能に出会ってボロボロに負けていれば、あんな無茶な努力をしなかったのではという後悔。


 (……はっ! クヨクヨすんのは終わりだ。私らしくもねぇ。悪ぃが胸、貸してもらうぜ!)


 直美はとっくの昔に兎羽を認めていた。仮にここから彼女が被弾しようとも、部室は明け渡してやるつもりだった。


 後は、この夢のような戦いを楽しむだけ。普段は感じる頭痛も眼痛も、今日だけはちっとも感じなかった。


 拳を放って、放って、放って。鋼の身体に幻想の息切れを感じながら、鳴り響いたのは終幕のゴング。


 それは夢から目覚める時計の音のようだった。直美は仰向けにばったりと倒れ伏し、ただただ満足そうに笑い声を上げた。


 彼女の放ち続けた拳は、ついぞ兎羽を捕らえることは無かった。

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