多様な彼女

三鹿ショート

多様な彼女

 私は彼女に対して好意を抱いているが、その想いを告白したことはない。

 私に対する彼女の態度や言動から察するに、彼女は私を異性として認識していない節があるからだ。

 だが、私がそう考えているだけで、彼女の気持ちを聞いたことはない。

 実際のところ、彼女が私と同じような感情を抱いている可能性が皆無というわけではないだろう。

 しかし、そのような楽観によって行動した結果、彼女との間に気まずい空気が流れるようになり、やがて疎遠になってしまうことは避けたかった。

 ゆえに、私は現状を維持するために、真なる想いを悟られないように細心の注意を払うことにしていた。

 その判断が誤りだと気付いたのは、彼女がとある男性と交際を開始したときである。

 彼女の交際相手であるその男性には、数多くの異性を泣かせてきたという噂があった。

 それを本人に確認するわけにもいかなかったため、周囲の人間から情報を集めていくと、その噂は事実であることが判明した。

 もしも私が彼女に想いを伝え、交際を開始していれば、そのような男性に引っかかることはなかっただろう。

 もしくは、私が告白に失敗し、彼女と疎遠になっていれば、余計な気を遣うこともなかったに違いない。

 現状を維持すると決定したことで、私はさらなる精神的苦痛に襲われる羽目になったのだ。

 だが、私は彼女と彼の関係を祝福した。

 そうすれば、彼女が心から喜んでくれることを知っていたからである。

 彼女の笑顔は、値千金だった。


***


 少しでも彼女のことを忘れられるようにと、私はとある女性と交際を開始した。

 纏っている雰囲気や言動が彼女に似ていたことが決定打だった。

 彼女に対する好意を捨て去ることができないまま別の異性と交際するなど、不実なことこの上ない。

 しかし、交際相手と過ごす際は、その相手のことのみを考えると決めていた。

 それが交際相手に対するせめてもの償いというものである。

 皮肉にも、私と交際相手は破局を迎えることなく、順調に同じ月日を過ごしていった。


***


 物騒な世の中であるため、私は交際相手を駅で出迎えるようにしていた。

 常のように改札口から出てくる交際相手に声をかけようとしたが、私の声が口から発せられることはなかった。

 交際相手が、彼女と談笑しながら姿を現したからだ。

 二人は知り合いゆえに、会話をすること自体は何らおかしなことではない。

 だが、ようやく忘れかけていた彼女に対する想いが、本人を前にしたことで、再燃してしまったのである。

 久しぶりの再会に彼女は喜びを露わにしたため、平静を装ってそれに応じた。

 しかし、気が気でなかった。

 雪のような白さを持つ肌、麻薬のように意識を乱す匂い、顔を埋めたくなる谷間、頬ずりをしたくなる細い脚。

 彼女を構成する一つ一つが、以前よりも容易く私をかき乱す。

 しばらく顔を合わせていなかったため、抵抗力が無くなっていたのだろうか。

 頬の肉を内側から噛みしめ、手を背後に回して甲を抓ることで、冷静さを保とうとした。

 そのおかげか、彼女が語る話をしっかと聞くことができた。

 最近になって彼女はこの近所に引き越してきたようだ。

 これから遭遇する確率が増すのかと困惑したが、彼女が未だに例の男性と交際している事実を聞くと、痛覚に頼らずとも彼女と向き合うことができるようになった。

 もしも彼女が単身ならば心が揺れただろうが、特定の相手と交際しているとなると、諦めもつく。

 くだんの男性に対して好感情は抱いていないが、今は精神を安定させるような材料と化しているため、感謝しておくことにした。

 それから数分の間会話をした後、我々は駅前で別れた。

 再会しないことを願いながら、私は交際相手と歩き出した。


***


 思っていたよりも早く、再び彼女の姿を目撃した。

 だが、見るべきではなかった。

 深夜の公園で、彼女は一人の女性の生命を奪っていたからだ。

 最初は何をしているのか分からなかったが、彼女が女性から離れると同時に、赤く染まった刃物が女性の腹部から顔を出し、そして女性が力なく倒れたことから、事態を把握した。

 何故彼女がそのような凶行に及んだのかは不明である。

 彼女は犯罪行為とは無縁の人間だったはずだ。

 どのような理由があれば、彼女は犯罪に手を染めることになるのだろうか。

 そんなことを考えながら物陰から彼女を眺めていると、暗がりから一人の男性が姿を現した。

 それは、彼女と交際している例の男性だった。

 犯罪行為を目にしているにも関わらず、男性の表情は明るかった。

 まさか、彼女の交際相手が命令しているのではないか。

 遊びで交際していた相手が鬱陶しくなったが、自分の手を汚さないために、彼女を利用している可能性もある。

 私が二人を糾弾するべきか悩んでいると、不意に彼女は、倒れた女性の胸に手を当てた。

 それと同時に、彼女はその場に倒れ込んだ。

 被害者の女性に覆い被さるようにした彼女は、動かなくなった。

 その代わりに、倒れていた女性が起き上がった。

 私は、己の目を疑った。

 先ほど彼女によって絶命させられたはずの女性が、何故起き上がることができるのだろうか。

 しかし、信じがたい光景はさらに続いた。

 彼女の交際相手が、起き上がったその女性の唇に、己のそれを重ねたからだ。

 背中に手を回し、周囲に舌が絡み合う音が響くほど、激しい接吻である。

 やがて男性は女性の衣服の内側に手を滑り込ませると、腕を動かし始める。

 女性の口から嬌声が漏れ、呼吸が荒くなっていく。

 それから二人は、倒れている彼女を余所に、身体を重ね始めた。

 状況を飲み込めないために、二人の行為が終わるまで、目を離すことができなかった。

 だが、またしても不可思議な現象が発生した。

 衣服を整えた女性が倒れた彼女の胸に手を当てると、女性が倒れ込んだ代わりに、彼女が起き上がったのである。

 一体、何が起きているのだろうか。

 脳の処理が追いつかなかったが、眼前の行為が異常であることは理解できる。

 私はその場から逃げ出した。


***


 後日、彼女が私の部屋にやってきた。

 いわく、逃げていく私の姿を目にしたため、事情を説明しに来たらしい。

「私は、殺害した相手の身体に意識を移すことができるのです」

 唐突な発言に、私は阿呆のように口を開いてしまう。

 しかし、彼女はいたって真面目な表情をしていた。

 私に構わず、彼女は続ける。

「この能力に気付いたのは、私が交際している男性が密かに会っていた女性を殺めたときです。恥ずかしい話ですが、私は嫉妬のあまり、凶行に及んでしまったのです。他者の交際相手に手を出したことは許せませんが、その生命までを奪ってしまったことに対して思うところはありました」

 己の罪を反省しているのか、彼女は神妙な面持ちだった。

「そこで相手の胸に手を当て、謝罪の言葉を述べようとした瞬間、私の意識が殺めた相手の身体に移ったのです。何故そのような能力を有していたのか、今でも不明です」

 彼女は自身の手を見つめながら、

「事情を交際相手に話したところ、彼は驚きましたが、すぐに破顔して言ったのです。自分が抱きたい相手を発見したとき、私が相手に乗り移れば、不貞行為ではないのだと」

 何故そのような理論に至るのだろうか。

 彼女の交際相手は、よほどの女好きとみえる。

「そこで、私は天秤にかけました。自分の交際相手が見知らぬ異性と関係を持ち続けることと、自分が罪を犯すことで交際相手を留めておくことができるということを」

 両手の人差し指を立てると、彼女は片方の指を引っ込めた。

「私は、後者を選ぶことにしたのです。馬鹿な人間だと思うでしょうが、彼に対する私の愛情は、それほどのものなのです」

 彼女は私に向き直ると、綺麗な土下座をした。

「私はただ、愛する人の力になりたいだけなのです。あなたが黙っていてくれるのならば、私は死ぬまであなたに感謝をし続けます。どうか、見逃してくれませんか」

 実に厄介なことになった。

 ここで彼女を見逃せば、私も犯罪の片棒を担いだようなものだ。

 だが、彼女のためならばたとえ火の中であろうとも飛び込む所存である。

 どうするべきか、私は悩みに悩んだ。

 私が答えを出すまで、彼女が姿勢を崩すことは無かった。

 その姿に、根負けしてしまった。


***


 若い女性が被害に遭う報道が止むことはなかった。

 犯人が逮捕されないことから、彼女やその交際相手がよほど上手く死体の処理をしているのだろう。

 人間とは愛する者のためにここまで変化することができるのかと、尊敬のようなものを覚えながら、日々を過ごしていた。


***


 彼女と食事をしてから帰宅すると交際相手から伝えられたが、日付が変わっても帰宅することはなかった。

 何か事件に巻き込まれたのだろうかと不安になり、自宅を飛び出して駅へと向かう。

 道中、彼女の凶行を初めて目にした公園を通りかかった。

 今日もまた罪を重ねているのだろうかと思っていると、私はその光景を目にした。

 彼女の交際相手が、私の交際相手と身体を重ねているのである。

 近くには、彼女が倒れ込んでいた。

 それが何を意味しているのか、即座に理解する。

 真っ白な衣服の背中部分に数多くの赤い染みがあるところを見ると、私の交際相手は何度も背中を刺されたのだろう。

 女好きである彼女の交際相手が私の交際相手に目をつけたため、このような状況に至ったに違いない。

 私はその場に崩れ落ちた。

 涙が頬を伝っていることから、私は彼女の代用品ともいえる交際相手を、少なからず大事に思っていたのだろう。

 しかし、気が付いたところで、何もかもが終焉を迎えていた。

 私が目にしたこともないような淫乱の姿を見せる交際相手を、ただ見つめることしかできなかった。

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