04.
白金兄さまと金子姉さまは「おお」と感嘆の声をあげ、手を打って二人を称えた。
最初から最後まで話を聞いていたのかは非常に怪しいところである。
数之進は二人を一瞬睨めつけ、それから目を逸らした。
心なしか悔しそうな素振りである。
見事に歌の解釈をしておいて何が不満だというのか。
兄さまや姉さまにはできないことである。
もっと誇っても……。
ああ、そうか。
分かった。
分かってしまった。
数之進の知識と知恵は努力の末に身につけたものだ。
天才と呼ばれる兄さまや姉さまとは違う。
数之進もまた、二人と真っ向から対峙することなく、自分にできることで勝負していたのだ。
ある意味では負けを認めたうえでの勝負である。
分かってしまったのが、何となく数之進に申し訳ない。
そして少しばかり情けない。
あたしもある意味真っ向勝負を避ける発想をしているからだ。
龍神庵の誇る海の虹『朔龍湯』では勝てない。だから霊薬の方剤である『万象丹』で勝負を仕掛ける。
そうした発想を得るあたしも、ある意味では数之進に似ているのだろう。
「銀子。見せてくれ」
数之進は早く話を進めてしまいたいとでもいうように促した。
頷いたあたしが背嚢から天狗のひげを取り出すと、皆の視線がそこに集まった。
あたしは天狗のひげをちゃぶ台に置き、白金兄さまに向かって差しだした。
「天狗のひげです」
兄さまは天狗のひげに一瞥をくれると、いきなり席を立った。
「わたしは少し眠るよ」
「兄さま!」
やはり兄さまは怒っていたのだろうか。
三日では間に合わないと、あたしが言ったから。
言うなれば、兄さまが間に合わないという前提に立って動いた結果がこの天狗のひげである。
「銀子。おまえがこないだ採ってきた龍涎香だがね、もう全部使ってしまったよ。今のわたしにはすることがない」
「することならあるわよ!」
あたしは立ち上がり、ちゃぶ台を手のひらで叩いた。
「薬種の天狗のひげがここにある! 調薬方を教えてもらうって約束も慈風坊さまから取つ付けた! 今すぐにだって『流星丸』をつくれるわ!」
怒っているのならそれでも別にいい。後で文句を言われようが、冷たくされようが構わない。
今はとにかく兄さまに調薬してもらう外ないのだ。
そんなあたしの心算をちゃぶ台ごと引っ繰り返す言葉を、白金兄さまはいつも通りの軽い口調で言い放った。
「銀子。『流星丸』はおまえがつくりなさい」
「え」
「おまえの整えた手筈だ。おまえが始末をつけなさい」
「でも、あたし、霊薬の秘訣をまだ」
兄さまは両手を広げた。
「まだ? ではいつならいいんだい? 銀子のそのときはいつだい?」
「それは、」
「銀子、今はおまえが龍神庵の名代なのだろう? 実をいうと名代だなんて任せた記憶はないんだけどね。おまえがそう言うんならそうなんだろう。だったらね、銀子。店の名を名乗るだけ名乗っておいて御役目を果たさないなんて、随分調子がよくはないかい?」
「……」
「わたしにはまだやることが残っているからね、それまで眠るよ。明日の朝には起こしてくれ」
白金兄さまはひと息にそれだけ述べ立てると、いきなり大口を開けて欠伸をした。
「それでは諸君。おやすみなさい」
そうして兄さまは居間を出ていった。
誰も兄さまを引き止めなかった。
おじさまも、おばさまも、お婆さまも。金子姉さまも、数之進も、紫乃ももちろん。
きっと、白金兄さまが正しいからだ。
居間には、あたしだけが立っている。
「銀ちゃん」
面々の沈思黙考を破ったのは金子姉さまだった。
姉さまは立ち上がり、あたしの肩をそっと抱いて呟いた。
「もう大丈夫なのかな」
それからそっと手を離し、梅鶴おじさまと千里おばさまに「聞いていただきたいことがあります」と告げた。
「わたくし沖野金子は、いずれ龍神庵の後事を託せました折には、弁天楼へと嫁がせていただきます。予て先代龍神庵たる父が弁天楼さまと約しましたとおり、数之進さまの元へ置いていただきます。今このときのわたくしが龍神庵金子であります以上、道理にそぐわないこととは重々承知の上ではありますが、輿入れより後わたくしの残る生余さずを弁天楼に捧げるその前借りとして、弁天涙の調薬方をわたくしにご教授ください」
金子姉さまは迷いのない足取りで土間に下り、膝を突いた。
「姉さま!」
そのとき姉さまが何をするつもりなのか、あたしにはすぐに分かった。
しかし、あたしが立ち上がるその前に、いち早く駆けつけた者があった。
「やめなさい!」
梅鶴おじさまであった。
おじさまは自らも土に膝を突き、金子姉さまの両肩を握りしめた。
「教えてやる。秘方だろうが何だろうが、全部教えてやる。欲しければ今ある分は全ておまえにやる。いくらだってくれてやる。だから、そんな真似をしてくれるな。子が地に頭をつけるのを見て喜ぶ親があるか。子が自らの身を切るのを見て心を痛めぬ親があるか。子の代わりに頭を下げ腹を切ることこそ親の本懐だ。わしと千里はおまえたちの代の親だ。白金が『龍神庵はわたしだ』と一人泥をかぶったとき、わしがどれだけ忸怩たる思いをしたことか。龍神庵だ、弁天楼だ、そんなことが何だ。三百年の伝統が何だ。霊薬局が何だ。誇りが何だ。そんなものは犬にでも食わせておけ。わしは、おまえたちがほしいものは何だってくれてやる」
梅鶴おじさまは俯きながら金子姉さまの肩を揺すぶった。
「だからそんな真似はやめてくれ」
金子姉さまは手を目許にやった。
「……ごめんなさい」
徐ろに土間に降り立った千里おばさまが、姉さまの頭を撫でた。
「金子。わたしはこの人のように甘かないよ。欲しいものがあったら自分の手でつくんな。親の役目はあげることじゃないよって何度も言ってるってのに、この人ったらちいとも聞きやしない」
おばさまは梅鶴おじさまの頭を拳固で小突いた。
「何だって教えたげるよ。いつだって見守ってる。だから自分でおやり。ほら、二人とも、立った立った! まったく、こんなに裾を汚しちまって。数之進! うちの風呂を貸しておやり。今ちょうどお湯が沸いてるからね。そうして身体を清めたらね、ちょいとお薬の面倒見てやんな」
「はい」
数之進が急いで草履を履くと、その脇から顔を出した紫乃が「あの!」と声を上げた。
「金子さま! 弁天楼の薬房に、先日わたくしが採ってきた蓮華の朝露があります。もしよろしければ」
「ありがとう。紫乃ちゃん」
金子姉さまは満面の笑みを浮かべた。
数之進に手を取られ勝手口へと向かう姉さまの背中に「それとね、金子」と千里おばさまが声をかけた。
「嫁入りを取り引きなんぞに使うんじゃないよ。いいね。二度とは言わないよ」
「……」
「うちには笑って来てほしいんだ」
「はい」
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