09.

「……」


「ありましたの?」


「多分そう。だけど、日本語じゃない」


「まさか、英語とか?」


「いや、平仮名なんだけど……ほら」


「え、ダメ!」

 あたしが料理手帖を見せようとすると、紫乃は両手で目を覆った。


「それは龍神庵の秘伝でしょう! 特に、霊薬の秘方だなんて! わたくしが見てよいものでは!」


「あー、もう! そういうのいいから! 今それどころじゃないの! 秘伝とか気にするくらいなら最初から手伝わせてないわ!」


 あたしは紫乃の手を引っぺがし、半ば無理矢理に手帖を見せた。

 薄目で頁を見ていた紫乃の目が、好奇心に押し開かれるように次第に大きくなっていく。


「……これは、短歌ですわね」


「え」


「ほら、数えてご覧なさいな。五、七、五、七、七」


「本当だ。でもこれ、意味わかんないんだけど。よろ、つの? ちよ、りわき? 何それ?」


「単語の区切り方が間違ってますわ。少々お待ちくださいまし」


 そう言うと紫乃は台所から走り出ていった。

 そしてすぐに書庫から戻ってくると、持ってきた鉛筆で筆記帳に文字を書き始めた。

 うんうん唸っては一文字書き、一文字書いては二文字塗りつぶしてと、内容についてはちんぷんかんぷんながらも、紫乃が苦戦しているのは目に見えた。


「……おそらくこうかと思いますわ。まだ分からないところもありますが」

 と紫乃が見せてきたのは、漢字混じりの文章だった。


  万のかたち(?)之に有り


   地より湧き 海にぞはふり(?) 空へ散る

       並べて此の世は のし(?)の通い路


 分からない言葉もあるが、それでも何となく文章に見えるようにはなった。


「ん? ねえ、『そ』が『ぞ』に変わってるけど、いいのこれ?」


「それでいいはずですわ。書き言葉に濁点を付けるようになったのは近代以降のになってから。精々が、ここ百年ほどのことです」


「へえ。よくそれで昔の人は文章の意味がわかったもんね。じゃあ、この(?)が付いてるのは?」


「いまいち自信が持てないところですわ」


「『かたち』ってそのまま意味が通じそうだけど」


「古語では表情や顔のつくりなどを意味することもありますの。『形』とそのまま当ててよいものか、自信がありません」


「へえ。じゃあ、『海にぞはふり』は?」


「『海』と『に』は現代語と同じでよいかと。『ぞ』は強調だと思います。歌の調子を整えるために入れたのでしょう。そうして分解すると『はふる』が残るのですが、これが何やら分かりません」


「そういうことね。確かに、今の言葉で何に当たるのか想像もできないわ、これ」


「最後の『のし』も同じです」


「熨斗紙のことじゃないの?」


「それで意味が通りますか?」


「世の中おめでたい通り道だなあ。……そんな顔しないでよ。分かってるって。こうじゃないことくらい」


「もう少し材料がほしいところですわね」


「……紫乃。あんた、弁天楼に伝わってる秘方とか知らないの? それらしい和歌とか、暗号文とか、心当たりは?」


「ありませんわ。弁天楼に秘方が伝わっていたとしても、当代のお父さまとお母さま、先代のお婆さままでではないかしら。わたくしはもちろん、お兄さまですら知らされているかどうか」


「そっか」


 おじさまたちに弁天楼の伝承について訊く、という手もあるにはある。

 今は龍神庵だけでなく島全体の存亡が懸かった危急の秋である。

 教えてもらえる可能性がないとは言い切れない。

 とはいえ霊薬の調薬方はもちろん秘中の秘。そもそも弁天楼に伝承が残っていない可能性すらある。


 おじさまたちに顔を見せるのが藪蛇となる恐れもある。

 今はこうして自由にさせてもらっているが、あたしたち以外は皆大黒さまの饗応にてんやわんやしているところだ。

 紫乃はすぐにでもお手伝いに駆り出されるだろうし、あたしだって見逃してもらえるとは限らない。


「……わたくしの部屋に古語辞典があります。歌の分からない単語を調べましょう」


 紫乃もあたしと同じ考えを辿ったのだろう。

 人に会うことなく新たな情報を得る手段を提案してきた。


 紫乃が居なくったってあたしは別段困らないのだが。

 一人でも全然平気だし。

 本当だし。

 まあ、紫乃本人が饗応のお手伝いよりも調べ物をしたいというのならば止めることもないけれど。


 ともかく、古語辞典を引くというのは、今すぐに打てる手としては悪くない。

 局面を打開する一手となるかは分からないが、少なくとも前に進む一歩とはなりそうだ。


「よし! そうと決まったら急ぐわよ!」

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