04.

 ようやく笑いを収めた紫乃が「でも、銀子」と思い出したように問いかけてきた。


「そんなすごい霊薬を知っていますの?」


「知らない」


「は?」

 紫乃の顔色が変わる。


「知らない!」

 あたしは胸を張って答えた。


 床に散らばった洗濯ばさみをあたしに投げつける紫乃。

 拾った洗濯ばさみで紫乃の髪をはさむあたし。


「……心当たりはあるのよ」

「……言ってご覧なさいな」

 仰向けになったあたしは、馬乗りになった紫乃に向けて説明を再開した。


「紫乃、生薬と方剤の違いって知ってる?」


「何ですの、唐突に」


「いいから。知ってる?」


「えっと……生薬は、粒のような。方剤? 方剤は、粉のような?」


「あ、もういいわ。ありがとう」

 予想通り、紫乃は伝統薬学について碌に知らなかった。


 むくれ顔でこちらをにらむ紫乃を押しのけ、あたしはあぐらをかいた。


「生薬っていうのは、天然の素材である薬種を、そのまま加工した薬のこと。例えば、龍神さまの鱗を砕いた『龍鱗散』だとか、エノシマアゲマキの貝がらを炙ってから粉末にした『石角散』だとかね。ちなみに、近代薬学では素材から単一の有効成分だけを抽出して薬とするわ。いわゆる精製ね。この方が何かと効率的なのは間違いない。同じ効果を得るのに必要になる摂取量が少なくて済む。不純物を取り除くし、成分量を精緻に計るから品質も安定する。何より、製薬を機械化して大量生産ができる」


「商売敵を褒めてどうしますの」


「敵を正しく評価するのも喧嘩のうちよ。見くびって泣きを見るなんて御免だわ。それに、あたしたちの伝統薬学だって、近代薬学に負けちゃいない。生薬には生薬の強みがあるの。生薬は薬種を精製せずに加工したものだから、有効成分が複数含まれているし、それ以外の成分もたくさん含まれてる。それらが互いに補いあったり、相乗効果を発揮したりする。ときには理屈を超えた効果を発揮することだってあるわ。そう、理屈じゃないの。経験よ。数百年に亘る人間の営み、その経験の中で淘汰されてきたのが伝統薬学の生薬なのよ!」


「……銀子」


 紫乃は真剣な面もちであたしの目を見つめた。


「話が長いですわ」


 思わず床の洗濯ばさみに手を伸ばしかけたが、まだまだ話は道半ば。

 するが堪忍と、あたしは無理矢理に心を鎮めた。

 無理のぶんだけ胃のむかむかが一割増した。


「で、もうひとつの、ええと、方剤とは何ですの?」


「……方剤っていうのは、二つ以上の生薬を調薬した薬のことよ。『調薬』って、『薬を調える』って書くでしょ。『調える』っていうのは、『均して全体に行き渡らせる』っていう意味なの。ほら、熟語でいったら調味料とか、調理とか、調整とか、とにかく複数の要素が混在してでこぼこしてるのをいい感じにするってこと。だから、字義通りにいえば、調薬っていうのは生薬の加工とは違うのよ。飽くまでも二つ以上の生薬を混ぜ合わせて方剤をつくることを調薬っていうの。ま、誰もそんなの気にしないで、『生薬を調薬する』なんて言っちゃってるけどね」


 紫乃は枝毛を探している。

 あたしの胃のむかむかが二割増した。


「……で、方剤っていうのは、だいたいにおいて生薬よりも優れているのよ。生薬には有効成分やその他の成分がたくさん含まれてて、それらが互いに補いあってたり、相乗効果を発揮したりしてるって言ったでしょ。それと同じ。例えば、弁天楼で扱ってる『瀉神圓』ってあるじゃない」


「頭痛薬ですわね」


「そう。『瀉神圓』も方剤よ。用いる生薬は三つ。まずは『蓮華丸』と『江黄柏』ね。それぞれの薬種、つまり素材は弁天蓮華の花弁とエノシマキハダ。どちらも頭痛、神経痛に薬効があるわ。この二つを合わせることで、頭痛への薬効を高めるわけ。だけど、『蓮華丸』も『江黄柏』も苦味が尋常じゃないからね、そのままじゃとても飲めたもんじゃない。だから、甘味の強いアマモを加えるわけ。薬効を高め、欠点を補う。そうすることで、理屈だけじゃない、現実の人が服用する薬として調える。これが調薬よ」


「へえ」


「自分とこの売り物でしょ。少しは興味持ちなさいよ」


「その知識が売り上げにつながるとでも?」


「謳い文句にはなるでしょ」


「そんなものなくとも愛想とおべっかで売り切ってみせますわ!」

 たまに、極々稀に、紫乃の接客への自信が羨ましくなる。


「……で、話はまだ続くのかしら。わたくし、眠たくなってきましたわ」


「もう話は終わりよ。ここで問題です。我が龍神庵の誇る『朔龍湯』、そして弁天楼の『弁天涙』。この二つは薬の分類でいったら何に当たるでしょう?」


「何って、霊薬でしょう。人には効かず、神さまのみに薬効のある霊薬ですわ」


「違うって。そういう意味じゃなくって。あんた、今のあたしの話、聞いてなかったの?」


「ええ」


 胃の奥で堪忍袋の緒が切れた。

 洗濯ばさみなどというまどろっこしいものはもう要らない。

 人には拳と爪と足と頭蓋と膝と肘と腕と尻がある。


「……もう一度、お馬鹿なお紫乃ちゃんでも答えられるくらいわかりやすく訊くわね」


「……どうぞ」


 仰向けになった紫乃も、その上に馬乗りになったあたしも、息を切らしながら、何ごともなかったかのような口調で問答を続ける。


「二つの霊薬、『朔龍湯』と『弁天涙』は、方剤でしょうか? それとも生薬でしょうか?」


 呼吸を荒らげていた紫乃が、不意に息を呑んだ。

 それから、落ち着いた声で答えた。


「生薬ですわ」


 思わず、ため息を吐いた。

 ようやっと紫乃も答えに辿りついてくれた。

 ここまで長かった。


 あたしは紫乃の上から立ち上がり、書棚の方に顔を向けた。


「そう。『朔龍湯』も『弁天涙』も、一つの薬種を加工した生薬なのよ。だとしたら、これより優れている方剤があってもおかしくない。百点満点の『朔龍湯』を上回る百五十点満点の霊薬。あたしが探しているのはその調薬方よ」


 少し間を措き、紫乃があたしに問いかけた。


「あなたが長々説いていた生薬と方剤との違いは人間の薬についてのことでしょう? 霊薬についても同じなのかしら」


「昔はあったみたいよ、霊薬の方剤も。お婆さまのそのまたお婆さまの頃の話みたいだけど」


「その昔話、お婆さまから聞きましたの?」


 紫乃が疑問に思うのはもっともだ。

 あたしがお婆さまから聞いているとしたら、実の孫である紫乃が聞いていないのはおかしい。

 だけど、あたしが霊薬の方剤について聞いたのは、お婆さまからではない。


「お婆さまからじゃないわ。母さまから聞いたの」


「……あ」

 口から思わず漏れた、といった風情の声を残し、紫乃は黙りこんでしまった。


 母さまと、それから父さまが身罷ってからまだ三年。

 現在というには遠過ぎ、過去というには近過ぎる。


「聞いたはずなんだけど、記憶が曖昧なのよね。その霊薬の名前とか、調薬方とか、ぜーんぜん覚えてない。困っちゃうわ、本当。とにかく、何かすごい霊薬があるって話を聞いたっていうのと、そのとき何か古い書物を見たっていう記憶が朧にあるだけなのよ」


 いつも以上にいつも通りな調子で話をしてみたけれど、紫乃には伝わっただろうか。

 装おうとした分だけわざとらしくなってしまったような気もする。

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