05.

「さ、何を探すかはわかったでしょ。ほらほら、手を動かした動かした!」


 手で煽ると、紫乃は「はいはい、わかりましたわよ」と答え、書棚の前に立った。


「……まったく。わたくしも暇ではありませんのに。ただ様子を見にきただけですのよ」


 紫乃が憎まれ口を叩く。

 いつも通りとはとてもいえない切れ味の鈍さではあるが。


「だいたい、あの長い説明は必要でしたの? あれだけでだいぶ時間を食いましたわよ」


「必要だから話したのよ。『霊薬の方剤を探してる』って言っただけじゃ、何のことだかわかったもんじゃないでしょ。だいたいね、薬に関する書物って、はっきり書かれていないものが多いのよ。特に調薬方なんて尚更。調薬方はその店の財産、秘伝の秘方だもの」


「秘伝と言いながら、あなた、うちの『瀉神圓』の調薬方知っていたじゃありませんの!」

 紫乃が咎めるような声をあげた。


「落ち着きなさいよ。知ってるのは調合する生薬だけ。お婆さまに教わったのよ。それに、使う生薬くらい、薬房を覗けばすぐにわかる。でも心配しなくていい。生薬を知ってるだけじゃ調薬なんてできっこないんだから」


「そうですの?」


「うん。あたし、生薬を配合する手順も割合も知らないもん。それじゃ無理なのよ。あのね、紫乃。一つの調薬方であっても、一所にその知識を集約したりしないの。調薬方と一言でいってもその知識は三つに分かれるわ。一つ目、材料。生薬だったら素材となる薬種だし、方剤だったら配合する生薬ね。二つ目、手順。砕いたり火で炙ったり煎じたりなんて薬種の加工法だとか、生薬を配合する順番だとかね。で、三つ目が配合する割合。割合は、材料か手順、どちらかといっしょに伝えられてることが多いわね。だって、二対三だとか、小瓶に大さじ一杯加えるだとか、割合だけじゃ意味がわかんないもの。意味が分からない伝承なんて受け継がれていかないわ。ともかく、これらの知識を口伝と書物に分けて受け継ぐの。『瀉神圓』だったら、材料は口伝ね。お婆さまから梅鶴おじさまや数兄に伝えられてるんでしょ。で、残る割合と手順については、書物で受け継がれてるはずよ」


「秘密を守るためとはいえ、七面倒くさいことしますのね」


「調薬局にとって知識は財産だもん。必要なことなの。というわけで、今探してる霊薬の方剤についても、おそらく書物には断片的な言葉でしか書かれていないわ。しかも、暗号か謎掛けかってくらい分かりにくくね。間違っても『これは霊薬です』だなんて書かれていやしないわ。言葉を知ってるってだけじゃいくら書物をめくったところでぴんときたりしないわけ。大事なのは前提となる体系的な知識と、文脈の理解。だからこそ、わざわざこれだけの時間を割いて、薬のお勉強を碌すっぽしてないお紫乃ちゃんでも分かるよう懇切丁寧に教えてさしあげたってわけ。おわかり?」


「……そういえば、お腹空きましたわね」


 丸めた書物で紫乃の頭を引っ叩く。

 ごまかし方が雑過ぎる。


 紫乃にも聞こえるよう大きくため息を吐いてから、あたしは渉猟を再開した。


 紫乃も、ぱらぱらと紙をめくっていく。


「……ねえ、皆は今どうしてるの?」

 気になっていたことを紫乃に尋ねる。

 もちろん視線は書物に落としながら、ではあるが。


「お兄さまはずっと岩本院別館に詰めておりますわ。饗応役ですもの。島を代表して大黒さまから御用を仰せつかっておりますのよ」


「数兄、意外と饗応役合ってるわよね。気が利くし、しゃべりもうまいし。愛想なしだから大丈夫なのかと思ってたけど」


「他人さまの兄をつかまえて生意気なこと言ってくれやがりますわね」


「褒めてるんだって!」


「まったく。で、お兄さまが席を外せない分、わたくしとお父さまが別館やら本館やら観光協会やら漁協やらと駆けまわってますのよ」


「……梅鶴おじさま」

 あの威厳とあの図体でぱしりとは。

 もはや哀愁さえ感じさせる。


「で、金子姉さまはどうしてるの?」


「今は岩本院本館に応援にいらしてますわ」


「そう」


 塞ぎこんだりしていなくてよかった。

 こういうときは忙しくしている方がよい。

 しかし、朝昼晩と大名行列のお食事を用意する大わらわの中、夢見の金子とまで呼ばれた姉さまが戦力となっているのだろうか。


「姉さま、ちゃんと役に立ってるのかな」


「……金子さまは邪魔にならないところで『がんばれー、がんばれー』と応援していらっしゃいますわ」


「……そう」


 まさかそういう意味の応援だとは。

 岩本院の皆様方、うちの姉が本当申し訳ありません。


「金子さま、昨晩は弁天楼でお父さまとお話になっていたのですが、今朝になってお母さまが倒れてしまったので、その代わりにと、」


「え! ちょっと、千里おばさま、大丈夫なの!」


「今は弁天楼で横になっていますわ。ちゃんとお婆さまがついています。大丈夫、いつものことですから」

 何でもない、とばかりに言ってのける紫乃。


「なら、いいけど」


 おばさまは人一倍体が弱い。

 それでいて人の五倍は気が強い。

 持ち前の気力で体の無理も道理も引っ込ませてしまうような人だ。


 とはいえやはり限界はある。

 昨日も大黒審判が始まるまでは寝込んでいたようだった。

 どうしたって気にはなるが、忙しなく書物をめくる紫乃の背中は『今あなたが気にすることではない』と語っており、あたしとしてもこれ以上口を出すのは憚られた。


「そういうあなたは、昨日からずっと調べ物してますの?」


「ん? そうよ。いくら読んでもきりがないったらありゃしない」


 床にはうず高く書物を積んだ山がいくつもできている。

 これだけ目を通したのかと思うと一種達成感のような感慨も心のうちに浮かんでくるが、それは言わずもがなまやかしである。

 肝心の記述を見つけられねば全ては徒労に帰す。


「……正直、予想外でしたわ」


「何が?」


「あなたがこんな地道な作業をしているとは思いませんでした。てっきり、怒り狂ってそこらの人やものに当たり散らしているものと」


「失礼極まりないわね」


「あら、褒めてますのに」


「ふん」


 実のところ、褒められることなんて何一つありやしない。

 あたしはこれっぽちも大人になどなっていないし、昨日からずっと内心は怒り狂っていた。

 腸は煮えくり返っていたし、暴れたい、壊したいといった衝動は臓腑から溢れんばかりに湧いてきた。


 この屈辱、晴らさでおくべきか。

 胃の奥の方から噴き出した熱が、蒸気機関のように脳味噌を回し続けた。

 脳味噌は、目が矢継ぎ早に取り込んだ情報を次から次へと峻別し、論理を積み上げていった。

 昨日夕方から明け方まで、半日近くもそんなことをしていたら、ぶっ倒れて眠りこけるに決まっている。


 熱は、今も腹のうちから生まれ続けている。

 しかし、もう熱暴走を起こすこともないだろう。


 紫乃と言い争い、喧嘩し、しゃべり続け、ときに下らない言葉を交わし、要らぬことを言い、また喧嘩する。

 そうこうしているうちに、溜まっていた噴気は抜けた。


 礼を口に出す気はない。

 こんなことを聞いたら紫乃は間違いなく調子に乗るからだ。

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