05.
「そんな!」
その場にいた皆があたしのほうを見た。
「霊薬局でなくなったら、うちが! 島が、ごもも!」
一歩、二歩と踏み出すあたしに紫乃が飛びついてくる。
「んーっ! んぐーっ!」
紫乃は両手であたしの口をふさぎ、足を絡めてきた。
これ以上は一言も発せさせまい、一歩も進ませまいという意志が伝わってくるが、そんなことに負けるようなあたしではない。
一言どころか先万言尽くしても猶気は収まらぬ。
このままおしまいになってたまるか!
「銀子!」
鋭い声が飛んだ。
白金兄さまだ。
その声は紛れもなく叱責であった。
兄さまからお叱りを受けたのは、これが産まれて初めてである。
空前のできごとに、あたしは言葉も忘れ、前へと進むことも頭から吹き飛んだ。
その隙に側へとやって来た数之進が、あたしの腕を取り、組み付いたままの紫乃ごと、社殿脇へと連れ戻した。
「『大國主命』さま」
面を上げた白金兄さまは、呼んではならぬ名で、大黒さまのことを呼んだ。
「兄さま!」
それまで身動ぎもしなかった金子姉さまであったが、これにはさすがに声をあげた。
神さまには、通称と、本来のお名前とがある。
大黒さまは通称であり、その本来のお名前は大國主命さまという。
人間が神さまの本来のお名前を呼んでよいのは生涯にただ一度だけ。
命を懸けての請願を為すそのときのみである。
白金兄さまが続ける。
「初代谷川常安が谷川屋の看板を掲げてより三百年。分家して後、龍神庵を名乗ってより二百と十余年。我が名龍神庵は常に霊薬局の名誉とともにありました。龍神庵の名と霊薬局のお務めとは二つにして一つ。空往く鳥も片羽を失わば地に落ち果てるが如く、霊薬局たらぬ龍神庵はもはや龍神庵たりえず、地に落ちたその名とともに滅しましょう」
白金兄さまはくるりとふり返ると、確かな足取りで参道の脇へと退いた。
そして玉砂利の上に草履を脱ぎ捨てると、赤土の上にできた大きな水溜まりに膝をついた。
「何卒、今一度のご厚意をたまわらんことを、谷川屋直系三十三世龍神庵、残る片羽たる我が名、我が命を懸けてお願い申し上げたてまつる」
白金兄さまは提琴のような声で高らかに歌いあげると、その真っ直ぐ伸びたプラチナブロンドの髪の毛ごと、頭を水溜まりに突っこんだ。
「……っ!」
金子姉さまが駆けだした。
「金子!」
姉さまの草履が玉砂利を踏むと、白金兄さまは膝と頭とを泥水に浸けたまま、再び鋭く叱責の声をあげた。
「龍神庵はわたしだ」
大黒さまは無表情のまま腕を組み、白金兄さまを見下ろしている。
「んーっ! んーっ!」
いくらもがいたところで、紫乃に数之進と二人がかりで取り押さえられたあたしには何もできない。
文句のひとつも言えない。
兄さまを助け起こすこともできない。
その隣でともに頭を下げることもできない。
金子姉さまもあたしと同じだ。
釘で足を地面に打ちつけられたようにその場から動けないでいる。
泥水を吸い黒くなっていく袴。
先の方から次第に茶色く染まっていくプラチナブロンドの髪の毛。
白金兄さまだけが時を刻んでいく。
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