04.
まさかこんなにもすぐに始まるとは思ってもみなかった。
今日は挨拶のみで、準備期間をおいて後日に審判されるものとばかり思っていた。
これでは霊薬を用意する暇もない。
どうするのかと数之進にこっそり訊いてみると、「大黒審判にはつくり置きの霊薬を提出するのが慣わしとなっている」との答えを得た。
せっかくあたしが採取した龍涎香も、紫乃が手に入れた弁天蓮華の夕露も、今日のためにならなかったのは口惜しいことであるが、慣わしであっては致し方ない。
まずは『蒲の背撫で』の儀が執り行われた。
霊薬局の証たる『蒲の穂鉾』は、本来大黒さまのお持ち物であり、龍神庵や弁天楼にはかれこれ三百年近くも掲げられているが、それは飽くまでもお借りしているだけである。
大黒審判を受ける際には、一旦それを大黒さまにお返しするのだ。
蒲の穂鉾は名の示す通り蒲の穂を模した形をした鉾であり、長さは凡そ三尺と本家の植物に近いものとなっている。
ただ、非常に重いらしい。
何の金属でできているのか聞いたことはないし、あたしは手を触れてこともないから、これは聞いた話である。
白金兄さまが龍神庵の蒲の穂鉾を、梅鶴おじさまが弁天楼のそれを掲げる。
大黒さまの前に出た稲羽という白兎が、その背なを二人の当主に向けた。
まずは梅鶴おじさまが蒲の穂鉾でその背なを撫で、続いて白金兄さまがそれに倣った。
すると向き直った稲羽が宣告した。
「原始、薬は神のものであった。人の子らよ、己が力を示せ。神の分を侵すなら、証を立てよ。さすれば蒲は与えられん」
おじさまと兄さまは蒲の穂鉾をそれぞれ稲羽に差しだした。
稲羽はそれらを受け取り、大黒さまの脇へと戻っていく。
蒲の穂撫での儀は以上である。
この後大黒さまの審判を仰ぎ、合格であるならば蒲の穂鉾は再び貸し与えられるというわけだ。
審判の順序については「長幼の序に則るといたしましょう」と白金兄さまが梅鶴おじさまに先を譲り、まずは弁天楼の審判から行われることになった。
このやり取りは形式的なもので、順序については事前に打ち合わせていたようだ。
蒲の穂撫での儀も、おじさまが先に行った。
おばさまが捧げ持つ黒箱の蓋を開けたおじさまは、中から手のひらほどのおちょこを取り出し、それをうやうやしく大黒さまへと差しだした。
ここからでは見えないが、中身はもちろん弁天楼のほこる霊薬、天女涙であろう。
社殿の入り口に腰を下ろした大黒さまは、おちょこをお受けとりになり「……この輝き」と静かな声でおっしゃった。
「頂戴する」
そして、大黒さまは仰け反るようにしておちょこの中身をお服しになった。
沈黙がおりる。
人々も、うさぎも、ねずみも、神さまも、咳きひとつたてない。
と、いきなり大黒さまが立ち上がられた。
正面へと向けられた顔には輝くばかりの笑みを浮かべられ、そして島中に響きわたるような声で「これだ!」とお叫びになった。
「地より湧く魂のきらめき、その何と豊かで芳しきことよ! 星の骨たる大地は新たな生命の湧くところ! この涙にはその深さが確かに染み入っておる!」
大黒さまの足がふわりと地を離れ、そのお体を覆っていた漠たる光は眩さを増していく。
「これぞ霊薬! 天女涙は地の虹よ! この大黒が認めよう! 弁天楼、文句なしに合格である!」
太陽のごとく天にて輝く大黒さまが、光とともに地上にお下しになった審判に、辺りから歓声があがった。
紫乃は「よかった!」とあたしの腕に抱きついてきたし、数之進はぐっと両手に力を込めた。
しかし、梅鶴おじさまと千里おばさまは微塵も感情を表に出していなかった。
ぴくりとも動かず、まだ審判はこれからだと言わんばかりの緊張感を変わらず発し続けている。
「望外の褒誉に与り、畏れ多くも感謝の念に堪えません」
梅鶴おじさまのその声は、硬く、重い。
「うむ。まこと見事であった。さすがは二十八世弁天楼。年月を重ねるごとに腕と心とに磨きをかけておる。申すまでもないやも知れぬが、今後も変わらず精進するがよい」
「は。心得ましてございます」
梅鶴おじさまと、その脇に控える千里おばさまが深く礼を捧げ、頭を垂れたまま一歩後ろへと下がった。
入れ替わるように、今度は白金兄さまが前へと進み出た。
漆塗りの黒箱より取り出したおちょこを、白金兄さまは大黒さまへと献上した。
受け取った大黒さまは、おちょこを日に掲げ、目を細められた。
「龍神庵は、代替わりしてより初の審判となるな」
「左様にてございます」
白金兄さまは最敬礼のまま応えた。
「うむ。……頂戴しよう」
福々しい笑顔を浮かべたまま、大黒さまは天を仰ぐようにして一気におちょこを傾けられた。
そしてそのまま、動きを止められた。
「……」
沈黙が長い。
握りしめた手から汗がにじみ出る。
隣で紫乃が小さく頭を振り、きょろきょろとしているのが視界の端に映る。
ようやく下ろされた大黒さまのお顔からは、笑みがかき消えていた。
「……これは、紛れもなく朔龍湯である。霊薬ではある」
大黒さまのお言葉が、俯いたままの兄さまのプラチナブロンドへと振りかかる。
「しかし、ここに海はない。ないのだ! 星の懐たる海の深きが! 面を打つ波だけでは海にならぬ。龍神庵、わしの申すことがわかるな?」
「……はい。心得まして、ございます」
白金兄さまの口から漏れる声は、臓腑より血を絞り出すような響きを伴っていた。
「先代夫妻は突然の身罷りであったと聞き及んではおったが、やはり継承はままならなんだか」
大黒さまもまた呻くような声でそう嘆かれてから、とうとう断をお下しになられた。
「龍神庵。蒲の穂鉾を返してもらおう」
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